monologue
夜明けに向けて
 




太陽の化身でありミサキ神である八咫烏はなぜ蜂子皇子(はちこのおうじ、波知乃子王)を導いたのか。

ウイキペディアには「崇峻天皇5年(592年)11月3日に、蜂子皇子の父である崇峻天皇が蘇我馬子により暗殺されたため、蜂子皇子は馬子から逃れるべく丹後国由良(現在の京都府宮津市由良)から海を船で北へと向った。そして、現在の山形県鶴岡市由良にたどり着いた時、八乙女浦にある舞台岩と呼ばれる岩の上で、八人の乙女が笛の音に合わせて神楽を舞っているのを見て、皇子はその美しさにひかれて、近くの海岸に上陸した。八乙女浦という地名は、その時の八人の乙女に由来する。蜂子皇子はこの後、海岸から三本足の烏(ヤタガラスか?)に導かれて、羽黒山に登り羽黒権現を感得し、出羽三山を開いたと言われている。」とある。この記述から見えるものはかれが「蜂(八)、八咫烏、八乙女浦、出羽(八)羽(八)黒、」など八の数をトーテムとしていること。八をトーテムとしていたのは出雲族であるから蜂子皇子は霊的能力を八咫烏に見込まれて出雲族のために「羽黒山 出羽神社(いではじんじゃ) 伊氐波神・稲倉魂命、月山 月山神社(がっさんじんじゃ) 月読命
湯殿山 湯殿山神社(ゆどのさんじんじゃ) 大山祇神・大己貴命・少彦名命」などを奉斎する役目をまかされたとみられる。八の子とは出雲の系譜をひくものという名であったらしい。
fumio



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