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monologue
夜明けに向けて
 



《アリオン語録》

   抑圧について
                     
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 あなたがたは抑圧という言葉からどんな状態を思い浮かべるのだろうか?
身動きできない感じ…自分の思い通りにならない状態…きつく縛られている状態…
上記の状態は、恐らく誰もが嫌がる好きになれない状態だろう。つまり人は心地好い、自分の好きな状態に居る時は<抑圧>を感じないことが多い訳だ。こういった<抑圧>とは私から見れば、自己中心的な幼児的なワガママに見える。私の話したいことは、本当の意味での<抑圧>なのだ。本当の意味の<抑圧>とは自己確認行為の過剰からくるものだ。
それは、いつも『自分が…』とか『私は…』に始まる一人称の世界での遊戯が過ぎた結果だとも言えるだろう。

 つまり、あなたがたが感じている<抑圧>は自分の思い通りにならない時に感じると言った具合の非常にシンプルなものだということだ。しかし、本当にあなたがたを<抑圧>しているのは過剰な自己確認遊戯に明け暮れた結果、異常に増殖してしまった『自我』だということに気付いて欲しい。『こうありたい自分』から『こうあらねばならない自分』という風に転換してゆくモノサシを持った自分。その異常増殖した自我を満足させる為に『こうあらねばならない自分』用の肥大したモノサシを使おうとする。

 一体、いつから『あるがままの自分』を見ようとしなくなったのだろうか?あるがままの自分とは、見るに耐えないほど酷いものか?
しかし、あなたがたの成長とは『真実の映し絵としての事実を見る』ことから始まるのでは無かったのだろうか?あなたがたの<抑圧>とは肥大化し異常増殖してしまった自我を満足させることの出来ない、本当の自分を見ようとしないところから始まる。まず、本当の自分を見ること、これを始めたなら多くの<抑圧>は抑圧では無かったことが判明するだろう。本当の自分を見ること、それがたとえ『こうありたい自分』から遠く離れていてもそれを認めること。認めることは恥、にならないことだ。好きになれとは言わない。認めるということは嫌いにならないこと…そして好きになることでもない。ただ、ありのままに『それを、そこに在ると知る』ことなのだ。この行為を通して、あなたがたは多くのことを見つけるだろう。それは『自分とはこういうものだ』Jという枠を壊すことに繋がってゆくだろう。つまり、自分を何にも規定したりしないこと、自分を自分として見つけることが出来るようになる道へ繋がる行為になるからだ。

 その道こそ<抑圧>の無い道、この道こそ真の理解への道、この道こそ愛の道だ。
<抑圧>には外的なものと内的なものとがあるが、大切なのは内的な<抑圧>なのだ。
自我によって押し潰された、本来の自分を認めることが<抑圧>からの解放に繋がる。
そしてそれが『自由・自分の在る故を知る』ことへの道なのだ。

                      ---ARION,O∴O---


JULY.11.1990
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