離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

心の軸をもつ

2015-07-14 05:29:51 | 日記
毎日、

ほんとうに、まさに血のにじむような・・苦しみ。

誰にもその苦しみや悲しみをわかってもらえないかもしれない。

誰もそれを助けてあげることができないかもしれない。

それもこれも、自分でもわかっているから

だからこそ、絶望し、どうにもならないどん底で、

もがいている。

雑誌も、テレビもドラマも、そして周囲の誰もが

結婚というすばらしい瞬間しか教えてくれなかったかもしれない。

いや、人生において、

離婚ということについて教わった人は多くはないかもしれない。

もちろん、両親や兄弟、親せきにいれば多少は知っているかもしれないが、

その苦しみや悲しみ、どうしようもない絶望感、虚無感を

誰が教えてくれたでしょうか。

知ったからといって、

大好きで、愛する相手と結婚を躊躇したのかといえば、

そうではないかもしれないが、

やはり物事には光と影があること、表と裏があること

それを知らずにはやはり偏っている。

さて、そんな苦しみのなかで、

あなたを支えてくれるものはなんでしょうか。

どうして心が折れたとき、多くの人がスピリチュアルや宗教にはまるのでしょうか。

あなた自身でもうどうしようもなく、だれかにすがるしかない。

そんなときに、ふと目にするスピリチュアルな言葉は

あなたを救うかもしれません。

やさしく言い寄る新興宗教は、藁をもつかみたい人間には

心地よく感じるかもしれません。

どんなことでも、その人に主体がある限り、

洗脳で、思考を停止させない限り、

何を信じても良いのだと思います。

カウンセラーとしても、何も否定はしない。

ただ、どうせ信じるなら、

真理を信じませんか。

それこそ洗脳していると思われてしまうかもしれませんが、

あなたが信じようと信じまいとどちらにしろ、

あるものはあるし、ないものはない。

あなたは離婚して、何を考えたでしょうか。

テレビや、何事もなく平穏に暮らしている人たちの信じている

安泰な平穏な何事もない人生というものがあるのだと

今、心から信じることができますか?

少なくとも、あなたは離婚すると思って結婚はしていないでしょうし、

そうならないように、同棲したり、何年も付き合ったり、

じっくりと相手と語り合い、接するなかで結婚を決断したのではないでしょうか。

そして、何年も暮らして、子供もできて、何気ない日常のなかで感謝もして、

それでも、予期せぬことは起きました。

あなたは、起こらないことなど何もない。

予期せぬことも、ありえないと思うことも起こり得るし、

確実なものなどひとつもないのが人生だと思い知らされたのではないでしょうか。

たしかに親や友人、兄弟の助けもあるかもしれませんし、

ちょっとした日常の幸せや楽しみにも目が向くようになり

なんとか生活できているかもしれません。

それでもあるとき、自分はひとりで本質的な意味では孤独で

この人生を乗り切らねばならないと自覚することもあるでしょう。

本質的に人間は、ひとりで生まれ、ひとりで死にます。

それ以外に事実はありませんよね。

パートナーと過ごしても、死ぬときに看取ってもらえる保障などどこにもなく、

自分が看取り、晩年を孤独に過ごす可能性もあるのです。

子供が見守ってくれることもあるかもしれません。

それでも死という現実に向かうときは、どんな人でもひとりで向かうしかありません。

このことを本当に、心から考えぬき、想ったときに、

あなたが頼るものはなんでしょうか。

自分自身を頼り切れれば、良いでしょう。

でも人はそんなに強くありません。たいていは。

あなたのプロセスを信じることは、その助けになるかもしれません。

仏教やキリスト教、イスラムでも、宗教は助けになるかもしれません。

神や、人智を超えた力がないと言い切りたければ、それでいいし、

自分は強く生きられるのだと思えばそれでいいのです。

少なくとも、私は化学で博士まで取得し、合理的、効率的、理論的に

物事を考えることもできます。だからといって科学がすべてとは思いません。

有名なアインシュタインや、ニュートンや・・・

心理学者のユングもフロイトも・・・

哲学者の・・・

知を追究した偉大な過去の方たちも信仰をもっていました。

追究すればするほど、この宇宙も、地球も、地震や火山の噴火も、気象も

科学では完全に説明できず、人間の肉体ひとつ、脳ひとつも

奇跡的な構造と機能で成り立ち、いまだにその臓器ひとつすらも

人間は科学的に再生することができません。

癌もエイズも、まともに解決することができません。

そういう意味では生まれることも死ぬことも科学で止めることなどできませんよね。

なぜでしょうか。

長い間、この歴史のなかで、多くの人が信仰をもってきたという現実を

どう考えるでしょうか。

人には何か生きる軸、信じる軸が必要ということではないでしょうか。

私は宗教をもちなさいとか、プロセスが絶対だとか、スピリチュアルを受け入れなさいとか

そんなことを言うつもりはありません。

私自身が何を想うかを押し付けるつもりは毛頭ありません。

そして、その苦しみや悲しみに漬け込むような悪意のある人たちもたくさんいますから

注意も必要です。

そんなことではなくて、

あなたはこの理不尽にも思える人生の経験を通して、

何を軸に生きていくのか、どうしたら生きていけるのか、

自分ひとりの力はあまりに弱いのだと心から知った今、

そのことを本気で考えてもいいのではないのかと思うのです。

私は苦しみの最中で、ある有名な本も書いているような女性のクリスチャンの講演で

聴いたことを想い出します。

もちろん、クリスチャンのその女史は、キリスト教を信じなさいというのはたやすい、

でもそうではなかった。

「人生で信仰ほど強くあなたを助けてくれるものはない、信仰をぜひもってください。

キリスト教でも、仏教でも、なんでもあなたの信じるものを」

それが宗教であることすら必要ではないのです。

プロセスでも、人生そのものでも、なんでも。

私がいう信仰とは宗教だけを意味しません。

その信仰があれば、心強いことは誰もが異論ないはず。

そして、あなたがほんとうの意味で理屈で、合理的に考えることができるなら、

信じて損をすることなど、どこにあるでしょうか。

信じずに苦しむことはあっても、大金を巻き上げられたり、そのことに生活を圧迫されるのでなく、

ほんとうの意味で人生を豊かに生きる支えになるならば、

何かの軸をもつことは、きっとあなたの支えになるのはないでしょうか。

うまく伝えられているかわかりませんが、

言いたいことの本質を本気で考えてみてもらえればと思っています。

コメント (6)
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