離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

信じることの本当の意味

2015-07-22 00:01:00 | 日記
最近、本を読んでいて、ある哲学者の言葉で、

なるほどと思うことがありました。

「信仰とは、苦悩の中にあって、はじめて求めるものだ。 
 何事もないときには、人は信仰など必要としていない。」


「神など存在しないという無神論者は、自分は平穏な日常を生きていて、
 まるで、他人事のように、世の中の虐待や、不幸な出来事を挙げて、
 そんな悪がはびこるようなら、神も仏もあるわけがない!という。

 でも、ほんとうに神を必要としているのは、
 苦悩の中にある人、耐えている人なのだと。」


神様を信じなさいとか言うつもりはありませんし、

私も特定の信仰をもつわけではありません。

それでもいつもいうようなプロセスや人智を超えた働きは信じています。


苦悩や絶望的な悲しみに耐えて、命を自ら絶とうと思うくらいに
苦しみ抜いて、やれることは全てして、

それでもそこから救われないとき、

もう自分でできることがなく、どうにでもしてくれ!というような

半ばあきらめと、やけっぱちの心境になり、

それでも、なんとか助けてほしい、救ってほしい。

そんなことを経験したことがある人なら、

何かを信じることの大切さと、その救いがわかるのではないかと思います。

人っていうのは、どうしても自分勝手なものですから、

自分が元気や幸せなときには、全部自分の力でできているような気持ちになり、

何でもできるような傲慢さもあり、

無意識なうちに、不幸に見舞われている人は他人事のように感じ、

自分はそうではないと考える。

実は紙一重どころか、何も変わらないのに。

人はどうして、苦悩のときに、救いの言葉を本でも人からでも

探すのでしょうか。

自分ひとりではどうにもならないと直観でわかっているからでしょう。

周囲の家族や友人やそういう人の言うことで、

自分が救われないと感じるからこそ、

何か自分が経験したこともないような、偉大な言葉や教えを探すのではないでしょうか。

そこに一筋の光があることを信じて。

今、苦悩にあるあなたには、

何かひとつでもいいので、自分の未来を信じることのできる何か

それを見つけてほしいと思います。

友人でも、家族でも、神でも仏でも、偉大な言葉でも、スピリチュアルでも

心ときめく異性でもいい。

自分がつかめる何かを。

それがあれば、必ず立ち直ります。

いや、そう信じれる何かを探してほしいのです。

ただし、ほんとうにそのことを信じるかどうかは、

あなたが立ち直って、客観的になれたときにしましょう。

冷静さを欠いて、のめりこむのはリスクがあるからです。