80ばあちゃんの戯言

聞いてほしくて

日本は何故戦争に向かったか(3)

2011-09-12 09:10:21 | 戦争体験
NHK テレビ ”日本は何故戦争に向かったか”よりの抜粋

恐慌のあった1929年から6年の間に7人の首相が代わっている。

短い間にころころ、ころころと代わっている。つまり政党が民意の

支持を待たずに、内閣が求心力を失っていく。軍部をはじめ各組織が

てんでんばらばらに自分の政策や外交を展開していくことになる。

そうした中で思わぬ形で始まったのが、1936年、ナチスドイツの

接近でありました。孤立を始めた日本の行く手に影を落とすものが

ありました。軍による外交への介入です。

防衛省の中で戦前の戦術を研究している小谷賢調査官が日本軍の知ら

れざる暗号解読力を明らかにし、軍が外交介入へと至った背景を

浮かび上がらせました。

戦前の日本の暗号解読力は世界トップレベル。米英仏など年間数万通

のものを読み解いていました。中国に関しては軍事暗号までほとんど

解読して高度の情報収集によって、現地軍は独自の対中国感を持ち

はじめていました。

 1,933年蒋介石の国民政府は、日本との停戦に応じ、妥協姿勢

に転換していました。

 しかし軍は、これを全く信用していませんでした。例えば、現地軍

がつかんだ国民政府軍の No/2 の極秘発言です。

 ”わが政府は東北部(満州)を放棄するつもりではなく、偽国家

(満州)の存在も黙認しない。強盗が室内に闖入して、この家の住人

が力及ばず屋外に追われたからと言って家が強盗のものにならない

のと同じことである。”

 こうした事情を軍は外務省に伝えませんでした。

1935年5月現地の陸軍は思わぬ行動に出ました。

国民政府を相手に対ソ防衛として国民政府を中国北部からの退去を

要求すると言う外交上の越権行為に出たのです。

政府にとって、現地軍の行動は寝耳に水でした。

外務省(広田弘毅外相)は軍とは逆に国民政府への支持を軸に国際

関係を改善し、国際的孤立を回避しようと考えていたからです。

外相秘書官安東義良氏。

 ”政府としても、外務省としても国際的孤立を脱ししようとした

 わけですよ。

 中日関係を良くしようとそれが主眼であった。 もう他の(中国

 領土)の方へ手出しをするなんて事は厳禁だという気持ちが非常

 に強かった。

 軍と外務省、ひとつの国家として全く合い入れない外交方針が

 存在する二重外交が生じていました。

 防衛省小谷調査官は

 ”陸軍はそういう中国の反抗姿勢を強調して捕らえすぎたと思う。

 外務省は逆に日本と協力したがっている中国のイメージで情報を読ん

 でしまっていて、そういうイメージをどんどん作り上げてしまって

 陸海軍、外務省との縦割りが進んでしまって情報共有が全くできなく

 なっていた。

 何故この時期に外交の分裂が生じたのか、かつて、日露戦争の頃は

 対外情報を総合的に判断する組織や外交方針をまとめて主な組織に

 従わせるリーダーが存在していました。30年代にはその役割を

 政党内閣が担うはずでしたが、政党の不人気や相次ぐテロなどで

 内閣は弱体化し、独自の行動を強める軍を統一した方針の元に従わ

 せる事ができなくなっていたのです。

 特に中国大陸では軍の独断行動が顕著でした。

 対中国外交の矛盾をどうするか外務省の緊急会議(1935年6月

 27日)で思いもよらぬ案が飛び出しました。

            (つづく)

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