風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

佐世保でビートルズ

2013年05月13日 01時06分38秒 | 風竿日記

今夜は佐世保市のCLUB GINZAでビートルズナイトライブでした。

我がバンドThe AppleBeatsも最近レパートリーが増えて4ステージ分位は充分に確保できた。

まあ、出来はともかくとして、曲数だけなら50はゆうに超えたんである。

その中で、私達の売りは、三声でのハーモニー

その大切な中核を担っているのが、この男ドラム担当の山下勇希

イケ面、独身の28歳、最近ハーレーダビッドソンというバイクに跨り、あれっと思う間に、スッと遠出をする悪い癖を身に付けた。

だからこちとら、怪我でもされたらたまらんとばかりに、親よりも心配することが多いんである。

だってこいつがいなくなると、バンドが一番困ってしまう。

4人編成のバンドで彼の存在は極めて大きい

8歳から叩き始めたというドラムは天下一品

プロに一番近い男なのだが、意外や意外

歌も中々のものなんである。

難しいコーラスも絶対音階を持っているのか、キチンとハモってくれる。

いやはや、有難い存在なんである。

そんなこんなで、こいつThis boyが可愛くてならない私。

今夜はビートルズナンバーばかり27曲を演奏したのだが、嬉しかったのは武雄からわざわざ駆けつけてくれた皆さんである。

山下さん、森田さん、そして〇〇さん・・・・

どうもありがとうございました。

ギャラは、打ち上げのラーメンとチャンポンに消えてしまったけれど、楽しい夜でありました。

音楽の神様に感謝です。

 

 


温泉deビートルズ

2013年05月12日 09時05分02秒 | 風竿日記

早くも市内の旅館に

「温泉deビートルズ音楽祭に合わせて武雄に泊まりたいけれど・・・今年のスケジュールはどうなっているのでしょうか・・・?」

という問い合わせがあったのだという。

このイベントも三年目となる今年は、全国的にイベントのブランドイメージは定着の方向性が顕在化しているのだが、

一部に協力状態に温度差があったり、市の予算は半分に減額されるなど(それでも充分にありがたいのだが・・・)

私達実行委員会の説明不足が原因と思える事態が表面化するなど、

反省すべきことも色々とあるように思う。またあって当然ではあろう。

あれだけの9日間にわたるイベントを支えているのは、実行委員長以下わずか数名のスタッフなのだ。

でもそれでも、我々実行委員会は黙って耐えて、コツコツとやっていくしかないんである。

先日、佐賀西高校の6回卒業生の還暦祝賀同窓会では、

わが地元のホストバンドThe AppleBeatsは

「出前deビートルズ」という主旨に基づいてボランティア出演を果たし、百名ほどの皆様に大いに喜んで頂いた。

それを喜んで頂いたのは、ほかならぬ春慶屋のSさん

武雄温泉駅にお出迎えにお越しになっていた折にバッタリ会うと、

「こんな素晴らしいことをやっておられたのですね・・・。」

「今年はもっと積極的に応援しますよ・・・・。」

嬉しい言葉を頂戴したんである。

5月の五月晴れのようにスカッとした激励の言葉が胸に染みた。

それも日々の地道な努力から生まれるもの。

温泉deビートルズ音楽祭の宣伝隊を自負している、我が地元ホストバンド「The AppleBeats」であるが、

これまで宣伝ライブを市内では勿論のこと、博多、大分市、佐賀市、佐世保市などでやってきた。

すべて手弁当であるが、その成果もその土地その土地でのコミュニケーションの中で、着実にビートルズを通じての輪が広がってきている。

武雄温泉とビートルズが同義的に認識され始めたら、それはしめたものなんである。

団塊の世代はビートルズ世代だといったのは朝日新聞であるが、暇と時間と資金的余裕を持て余すリタイア組は、挙って温泉が大好き。

でも個の時代の旗手を務めた彼らは、ただの温泉ではなく、こだわりのサムシングを秘めた温泉に出かけてくれる筈なのだ。

この仮説に基づいて展開してきた町おこしイベントなのだが、全国から40バンドがエントリーする全国的にも稀な音楽イベントに成長してきた。

ただ毎年スタッフ不足にヒーヒー言いながら、実行委員長と数名の同志で、耐えに耐えながらやってきた。

  

日曜日、母の日の今日は佐世保市のCLUB GINZAで夜の8時からビートルズ・ライブに出演

来週の土曜日18日は伊万里とんがりぼうしでビートルズナイトライブ

25日土曜日は、「温泉保養村ほたるまつりコンサート」でのライブ

8日土曜日は、博多キャバーンクラブでのライブ

ちょっと音楽活動が忙しくなってきたけれど、いつも温泉deビートルズ音楽祭の、ひいては武雄温泉の宣伝と思い活動しているんである。

「まあ、好きでやってるんだろう・・・。」といわれようと何と思われようと、歩きだしたのだから、頑張ってゴールを目指すのみである。

 


ノルウェイの森

2013年05月11日 11時17分04秒 | 風竿日記

我が家の控えめで、ささやかな木々も

実に遠慮がちながら、季節の訪れを静かに謳歌している。

一人暮らしを始めてもう十二年にもなるだろうか・・・。

秘かにEmpty Gardenなどと自嘲していた庭も、

いつしか木々が穏やかに覆いつくしてくれて、今やちょっとした森の様相なんである。

そこで2,3年前から「ノルウェイの森」と名付けている。

冬の間は「モチの木」が赤い実をつけて鳥を招き寄せ

早春、梅の花が咲き出すと、やがて・・・・

春の訪れを「さくらんぼの木」が花をつけて教えてくれ

やがて「花ミズキ」が薄いピンクのショールを纏うと

「さくらんぼ」の赤い宝石のような実がなり

そして「エゴの木」に花が咲き

なんとも愛くるしい花ではあるが、この開花を待ったようにミツバチが羽音を響かせてくれ

それはさながらオーストリアあたりのシンフォニーを彷彿させてくれる。

だとすれば私はヘルベルトフォン・カラヤンみたく指揮棒を振りたくなってこようというもの・・・・。

そして、今や「やまぼーし」が、文字通り白い帽子を被った。

不思議な自然の造形に、ただ「恐れ入りました。」とひれ伏すのみの、私達にんげんではあるが、

一体、だれがこのような「種」をもたらしたもうたのであろうか・・・・。

貴婦人でもあるまいに、どうして白い帽子を被るのか・・・・

我が家のささやかなノルウェイの森ですら、ミステリーに満ちている

それはいいとしても・・・・、

この花壇を一緒に手入れして、季節ごとに花を咲かせ

仲良く愛でる、心優しきBetter halfを見つけねばと思わされている。

 

 


ハマナスの花が咲いていたよ

2013年05月10日 06時39分16秒 | 風竿日記

平戸・生月の旅は、天候にも恵まれて、

私のささやかな人生にとっても実に思い出深い、ちょっとステキな旅になりました。

海辺に咲く花を愛でたり

海に沈む夕陽を眺めたり

旧友としこたまお酒を呑んだり

自然と人との間で、それはそれは、愉しく、嬉しく、心から笑った旅でありました。

そのことを先日ブログにしたためたところ・・・・・

正体不明の花の正体が、あるお方のコメントで白日の下へ

この花・・・・・・あの知床旅情に歌われたハマナスなんでありましたよ森繁さん・・・・。

実はそうではないか・・・と秘かに思っていたんですが・・・・。

北の最果ての海に咲く花が、広く日本中に分布するなんて・・・・

意外でしたね。

だいたいは日本の北の海辺に咲く花で、九州には咲かないと勝手に思い込んでいた。

たしか鳥取県が北限だと聞いたこともあったが、まさか長崎県の西の果てに咲いているとは・・・・

だとすれば、私は植物学者の足がヘナヘナと座り込むほどの大発見をしたことになるんである。

まあ幾種類か品種があるらしいのだが、白いハマナスは貴重らしい・・・・。

 

バラ科の植物で、海辺の砂地に自生するとされる。なるほど野いばらから派生した品種らしい。

ハマナスの花言葉は、「老いらくの恋」

何とも「いみしん」な花ではないか・・・。

それでは、そのハマナスが登場する名曲を・・・・

昭和35年にかの森繁久弥さんが作詞作曲して自分で歌った

彼は日本のシンガーソングライターの草分けなんである。

私の友人池田勝輔が、かって伊万里で一粒園という、健常児も障害児も一緒に保育するという当時画期的な尊い仕事をしていたのだが、

保育行政は同時保育を認めておらず、市の助成金も受けられずに資金難で困っていた時、どこから聞きつけたのか、森繁さんがこれで何かの役に立ててくれと、ポンと50万円くれたことがあったなあ・・・。

私も多少は音楽を志すものとして、歌を唄うのだが、こんな味は到底だせっこない。


ハマナスの啓示を与えて頂いた神奈川の「スナフキン」さま、「さがのひと」さまありがとうございました。

コメントのお返事に代えてこのブログをお二人に捧げます。

 


さよならチャーリー

2013年05月07日 23時59分59秒 | 風竿日記

私にはかって、1年半ほど一緒に暮らした犬がいた。

彼の名前は、尾形チャーリー君

ミニチュアダックスフンドのオス犬で色はレッドだった。

私はすっかりこの愛くるしい犬のとりこになってしまい、彼とじゃれあったり、からかったり、散歩にいくのが楽しみであった。

そんな私の気持ちをチャーリーもよく判っていて、二人はどこか気脈で通じ合っていたように思う。

ところがある事情で彼と離ればなれになることになった。

それから12年の歳月が流れたのだが、時々チャーリーに会いたくなると彼の大好きなベビーチーズを買って遊びに行くと

私の足音がしただけで、彼はぐるぐると回って喜んだものだった。

 

そのチャーリーが6日の朝亡くなったのだと知らせを受けて、私は震える手でハンドルを握り、会いに行った。

慌てて駆けつけると、彼は既にお骨箱の中であった。

お骨箱を抱きしめて、臆面もなく泣いた。

1時間ほどハンカチが絞れるくらいに泣いた。

どこにこんなに涙が出る源があるのかと思うくらいに、

体中の水分が無くなるくらいに泣きに泣いた。

が死んでもこんなには泣かないのに、嗚咽して泣いた。

最後に会ったのは、つい一週間前のこと・・・。

さくらんぼを持って彼に会いに行った時、彼は全身をガンに侵され身動きも辛い有様だったが、

私が来ると、「ワン!ワン!ワン!」と元気に吼えて、

まともに歩けないくせに、飛び跳ねて迎え入れてくれた。

私はいつものように、頭を撫でて、

「チャーリー元気にしとかんばよ・・・。」と励ました。

辛そうな素振りだったので、いつもより長く彼の傍にいたのだった。

犬は、痛いとも云わずに、ただ耐えているだけなのが、私達の心をハンマーで叩くんである。

だから彼の死は胸を掻き毟られる思いであった。

    

実は、チャーリーが居なくなったことの淋しさから、我が家の愛犬レオンを飼い始めたのである。

そしてレオンの兄貴としてチャーリーのことをレオンも慕っていた。

チャーリーは平成11年生まれ

わずか14年の生涯であったが、犬年齢からすると、つとに標準なんだという。

レオンは平成14年生まれ、彼もやがてチャーリーの後を追うことになるのだろうが、その時に私はまた今日のように号泣するだろう。

犬、この素晴らしい友人

そして、さよならチャーリー

彼のお骨に線香を手向け、セブンイレブンから買ってきたベビーチーズを泣きながらお供えした。

どうしてモノもロクに喋れない犬に、こんなに人は魂を揺さぶられるのだろうか。

 

 

 

 


小旅行は海のリゾートへ

2013年05月06日 23時54分24秒 | 風竿日記

連休は人が多いので行楽地へは行かない主義だったのだが、

今年はフラリと出かけることに

年甲斐もなく・・・この海を観たかったのだ。

生月島の塩俵の断崖は、打ち寄せる波の音だけで、限りなく静かであった。

風に吹かれるまま、ただ、黙って海を観ているのもいいもんだ。

アザミの花がいたるところに色鮮やかに咲いていた。

潮風の中で植物はとてつもなく元気だったのが、強く印象づけられた。

この花、なんていうお名前なんだろうね。

誰も見る人などいない、山道の中で、一所懸命に咲き誇っていた。

ちょっと感動、

カメラを向けると白い花びらがほんのり赤くなったような気がした。

ホワイトジーンズを履いて・・・・少し若返ったおじさん

かって海に恋した男なのだが、最近は陸に上がったトドの異名もある。

それでも・・・加山雄三を気取って写真を撮って貰った。

それにしても何とも綺麗な海である。

心が洗われるように透き通っていた。

その意味では、いい命の洗濯が出来たように思う。

夜は友人が経営する平戸サムソンホテルに逗留

風呂上りに夕凪の海をただ、眺めていた。

ボーッとしている瞬間がたまらなくいい。

いい風に吹かれながら夕陽を眺めていると、お腹がグーッと云った。

サムソンホテルのディナーはもう最高・・・当然のように大歓待を受けたのである。

柴山社長様・・・いつもいつも、感謝でござります。

しかもディナーショー付きという豪華な夕食。素晴らしかった。

その話はあとでゆっくりと・・・・。

 

5日は友人達とかねてからの約束通りゴルフ

6日も佐世保市民ゴルフで佐世保市へ

長いようで短いゴールデンウイークだったけれど、少なからずリフレッシュが出来た。

奴隷のように働き、王様のように遊ぶというポリシー通りの連休は今日でオチマイ

さあ、明日からガンガン飛ばして、仕事仕事仕事!!

 

 


Beauty and the beast

2013年05月04日 13時34分40秒 | 風竿日記

連休前の2日、佐世保営業本部には多彩なお客様がおみえ頂いた。

そんなたくさんのお客様の中で、約30年ぶりに直接会うお方が・・・。

川棚在住の中村孝道君である。

Facebookを通じて再会していたのだが、何度も私を訪ねてくれていたのだが、・・・ニアミスばかりだったのが、

この日ひょっこりと・・・・。

彼は一枚の音楽CDを持参してくれていて、

その中の一曲が素晴らしい映画音楽だったのだが、どうしても思い出せない・・・・。

ヘビの生殺し状態というか、こんなに感動しているのにその出所がわからないというのは、どうとも始末に終えぬものだ。

かくして、七転八倒して調べたのだが、どうする術もなく

友人に電話をかけまくるのだが、皆聴いたことはあるが、思い出せないという始末。

困り果てて遅い眠りについた。

  

そんな中、やっと・・・・

「それは美女と野獣よ・・・。」

と教えてくれる人がなんと身近なところに・・・・。

それで、喉に詰まっていたものがやっと半分取れた。


しかし中村君がプレゼントしてくれたCDの歌手はこのオリジナルバージョンの音源ではなく、いまだ不明なんである。

女性歌手が1人で歌っているのだが、それがとてつもなくいいのだ。

ということで3日は平戸・生月の小旅行に出かけたのだが、ドライブ中はその曲をずっと聴いていた。

そのうちにパズルは解けるのだろうが、あのステキなハスキーかかった声の持ち主は一体だれなのであろうか・・・・。

美女が誰なのか、野獣は森を彷徨い歩くのである。

  

 それが晴れた時に、私は王子様に変身するんである。

 

 

 


明日

2013年05月02日 23時15分38秒 | 風竿日記

私たちには、明日、明日という日がある。

どんなに眠れない、苦しい夜も、暗闇の中を彷徨っていても

必ず夜は明ける。明けてくれるのだ。 

   

 


朝日がのぼり、明日が始まる

どんな明日になるのだろう。

私の、大切な明日は。

四日間のゴールデンウイーク後半の始まり。

夢を運んでくれるのだろうか・・・・。



まるで子供のように

2013年05月01日 15時43分08秒 | 風竿日記

 母が亡くなって半世紀が過ぎ、イイ大人になった筈の私は、今夜泥酔しておりました。

職場の仲間とちょっとしたお祝いで・・・・呑んでおりました。

冷酒を六合ほど・・・・もうヘロヘロなんであります。

足をとられてしまい・・・うずくまって

体中の毒素をおえっおえーと吐きながら、そして車の中で長い間寝ていました。

まるで母の胎内に居るように、その人は黙って受け止めて下さいました。

 

感謝です


 

あとがき

ところで、帰ってからパソコンに向ったのだろうけれど、

このブログを書いた記憶がない・・・・。恐ろしい。