音楽というものは実に不思議なものである。
演奏する時には基本的には飲酒運転はしない主義
酔って音楽を聴かせるなんて、オーディエンスに失礼だというのが、根底にあって、若い頃から酔っ払って演奏したことはなかった。
中島君とも、もう40年近くと音楽歴は長いし、
ベースの岡ちゃんとも、もう35年以上は付き合っているのだけれど、そんな横着なことはしたことなかった。
ただし、聴く方にまわると状況は一変する。
酒は音楽の角を確実に取り去ってくれる。
こうでなくてはいけない・・・とか
かくあるべし・・・とかいう学術的で理論的なことなど、どーでも良くなり
肩に力が入った状態に陥りがちな、頭でっかちな私達に
音楽の持つ本質的な意味を教えてくれるのが、酒のリラックスパワーなんである。
余分な力が抜けて、魂が喜ぶか否かが本質的な音楽の意味であることが実に素直に理解できるようになる。
それは元々音楽が、人間の長い歴史の中で、魂の世界に語りかけてくる世界に存在するものだからだと思う。
つまりは人間の本質的な世界へ原点回帰する、「どこでもドア」を音楽が、忠実な執事のごとく誘ってくれるから・・・なんである。
人間が忘れがちな本能の世界へ、フィードバックするために音楽は存在するのだと思う。
と言いつつ今夜は愉しい酒の席にご招待を受けて、酔っぱらっている私なのではあるが・・・・
酔っぱらって書いているので、ブログも飲酒運転なんである。
こんな本能の世界へ一緒にトリップできる仲間がいてくれること自体が、何ともステキなご縁であるのが、バンドの素晴らしさ。
価値観を共有できることの不思議なご縁に支えられながら、私達の音楽の旅は続いていく。
一つずつハードルを超えて、さらなる高みを目指すんである。
暖かい光の環の中に、天真爛漫に入り込むと、音楽の神様は身震いしながら喜んでくれているのが思い浮かぶ。
音楽・・・何ともステキな宝石箱を手に入れたものである。