風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

スクープ! 永田裕美子という・・・おんな

2013年05月14日 23時59分59秒 | 風竿日記

強烈な個性の女傑が武雄市で働いているのをご存じだろうか・・・。

我々仲間内では、秘かに「千の顔を持つ女性版ミルマスカラス」と呼ばれている。

実は、防災を兼ねたタウンFMの準備室で働いておるのだが、人遣いが荒く、ドケチな武雄市役所のことなので、広報の仕事も受け持たされているようなのだ。

とにかく、ユニークかつアクティブかつパワフルかつ強烈かつ天然なんである。

こいつと知り合ったのは、かのRKBの7局ネット釣り番組「フィッシュ・アイ」

10年も続いた長寿番組であったのだが、私も当時は磯釣りの世界でちっとは知られた存在だったので、この番組の準レギュラーみたいなもんだった。

その人気番組で主役を喰う三代目リポーターをやっていたのが、こいつ

それまでの、どのリポーターとも違って・・・・

まるで自分の番組みたいな、妙な存在感を醸し出していたんである。

取材で同行したのは数知れず、五島・男女群島は勿論のこと、福島の波止から、平戸瀬戸、南は鹿児島県、日韓石鯛対決と称して韓国チェジュ島遠征までやった。

磯の上の取材は泊まりこみが多く、その場に寝袋を敷いてそのまま眠るのだが、こいつはまったく平気そのもの・・・。

取材中、「今からウンチしてくるけん、見らんでね・・・。」なんて日常茶飯事

性格は大陸的でおおらか、Take it easy という感じで、あまり細かいことは気にしない。

なので、一見デリカシィなんて無いような気もするが、それではメディアの仕事は務まらない筈なので、まあ、時々どこかに置き忘れてくるんだろうねと思う。

 

 コスプレには素直に自己主張が込められているのだが、今や昔の衣装は着れば爆発してしまうほど、見事に太ってしまいやがった。

とにかく神出鬼没な人生行路を歩んできた彼女だが、その都度、我々ジョーシキ人は目を白黒させられてきた。

RKBの製作会社を辞め、博多から東京に行くと、いつの間にかニューヨークに

いったん帰ってきて、やっと落ち着くのかと思ったら、またニューヨークに・・・

当時は何でもでかい、黒人のの彼氏がいるんだろうなどと、遠巻きに仲間内でヒソヒソ噺をしていたのだが、丁度同時多発テロの9.11のころ、日本のメディアにとり入って、ちゃっかり現地レポートなんかをやって荒稼ぎしたという噂も・・・・。

再び帰国すると東京で結婚して子供を授かったと思えば、さっさと男を放り投げ、故郷の島原へ帰り、今度はタウンFMのアナウンサーに・・・・

    

これでやっと故郷にも帰れたし、落ち着いてくれるかと思っていたのだが・・・

副業で英語の先生をしたり、MC(司会)のアルバイトをしたりしながら、町おこしにも興味を持ち、大いに触発されたらしいのだが、田舎の閉鎖的な壁に阻まれ、アホらしくなって・・・

誘われるままに再び東京へ、今度は日本で一番忙しいとされるテレビ朝日のディレクターに転身

BS系の「やじうまテレビ」をディレクターとして番組制作していたんである。

 

そん時、何度か会ったのだが、六本木の雑踏の中を自転車に娘のLZちゃんとワンコを連れて闊歩する姿は、実に鬼気迫るものがあった。

まるでポロ雑巾のように仕事に育児に働いてストレスとやけ酒から、さすがのゴッドねえちゃんも、心身症の一歩手前まできてたらしい。

こんどこそ落ち着くと思いきや、いつもメディアに登場する武雄市長樋渡啓祐氏のアイデアと行動力に惚れこみ、この人と仕事をしたいと熱望・・・

思いかなって武雄市に来ることになったのである。

  

まあ自己実現を果たすために、こんなに転職するというより、出来る人も珍しいのだが、何かのご縁で、最低限こいつの頼みだけは時々出来ることだけ、聞いてやり、

実は台風の余波に巻き込まれぬように、遠くからブラインド越しに見守っている私なんである。

その彼女が本格的に手掛けたメディア作品が゜届いたので、ちょっと早いリリースとなるが、こっそりと試写してみたい。

 

なかなかやるじゃん。というか市役所だから民放のようにはいかんのだが、それでも市民目線で仕上がっているように思うのだが、皆さんいかがでありましょう。

カメラからマイク、ロケーション、台詞すべて、こいつがディレクトしたものであります。

いやいや、愉しくなってきたぞ武雄市

ああそれと、一応まだ結婚願望があるようですので、子連れ熟女でよかったら、ボランティアしてあげてください。

今のところ、武雄に住みつくと申しております。

この写真は一応、プラス2の彼女ではございますがっ・・・お見合い写真ということで

なお年齢制限はないということですが、それなりの所得がおありになるお方が嬉しいそうです。

 

なお娘のLZちゃんはピカピカの小学1年生、たび重なる転居経験を重ねた結果、最も子供らしい子供に育っております。

 一応、私の妹分ということで、市内各所に手配書を配布しておるのでございます。

主体的に生きるという見本のような女傑、交際希望者は履歴書と収入証明書を添えて、返信用封筒にちゃんと切手を貼って武雄市役所Facebook課まで・・・・・。

最後に実家が島原でも老舗の焼鳥屋を営んでいるせいもあって、稀代の酒豪であることをお伝えしておきます・・・。アーメン

 


へルター・スケルター

2013年05月14日 00時36分44秒 | 風竿日記

「民生、連日の音楽談義はやめなさい・・・。」

と、入院中の従兄弟の兄貴から忠告されているのであるが、

このところの、わがバンドの人気ぶりに当の本人達が戸惑っているのだ。

有難いことに、出演依頼が目白押しになってきた。

サラリーマンバンドなので、土・日の休日しか受けれないのが原則

私の仕事の関係で、その土日もお付き合いが多くて、その合間を縫って音楽活動をすることになるのだが、

結構、体にこたえることも多くなってきた。

それはレパートリーの8割を私が唄うことによるものだろうが、

一曲ごと全力投球のパフォーマンスを心がけているからかも知れないとも思える。

 

例えアマチュアであれ、音楽を志すモノとして、持てる力を全部出し切ってやらないと、聴く人に申し訳がないんである。

  

 そんなヘンな生真面目さが、一種のこだわりとなっていくのも、趣味の世界の面白さであろうか・・・。

すでに7月まで新しくスケジュールが入ってきて、それはそれでメンバーの励みになっているようだ。

やっと音楽だけを気楽に楽しめる状態になってきたことが、バンドの可能性をさらに押し上げてくれて、

肝心のお客様の反応も、とてもよくなってきた。

バンドとして、ひと山超えたような気がする。

その私たちが次に取り組むべき課題曲は・・・・陰のリーダー勇希クンがやろうと言い出した曲

映画の作品名にもなった曲

そして、いつかはやりたいと思っていた曲に挑戦できるようになっただけでも嬉しい出来事ではある。


 今年の温泉deビートルズ音楽祭でご披露できればいいのだが、

ついでにもう一つポールのライブから

<!-- Paul McCartney - Helter Skelter -->