風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

我が青春の「ウイスキーハウス郷」

2013年02月15日 18時21分09秒 | 風竿日記

この3月16日で、武雄の名物プレイスポットである「ウイスキーハウス郷」が閉店するのだという。

このお店がオープンしたのは確か昭和54年頃だと思うので、苦節34年の歴史なんである。

マスターの浦郷さんとは、ソフトボールやバンドの仲間で、当時武雄市の合唱団やまびこでもメンバーとしてお付き合いしていた関係もあり、随分と親しくさせて貰っていた。

長いつきあいだから、お互いの人生行路にも色んな出来事があった。

一々あげると枚挙にいとまがないが、

まず武雄の野外ライブの走りである、ミュージック・イン・たけおの初代実行委員長として浦郷さんにお願いしたことが思い出される。

1981年のことだから、32年も前のことになる。

 

当時の西浦公会堂で実行委員会を数回にわたり開催して、役割をきちんと分担して運営にあたった。

日本のウッドストックを目指そうと、言い出しっぺの私に快く力を貸して頂いたばかりか、司会進行まで引き受けて下さった。

                   このTシャツ私がデザインしたのよ・・・

一泊二日の大ライブに疲れ切っていた浦郷さんの姿が記憶に残っている。

スタッフには当時のやまびこのメンバーや、舞台は塩田の建築会社の足場をタダ同然で貸して貰ったのである。

その時に出場した高校生バンドSWINGが、もういいおじさんなのだから、まさに遠い出来事になってしまった。

最近、INPUTの山下さんにより、復活したのはまことに嬉しい限りである。

  

さて、最大の出来事は、昨年の脳血栓であったろう。

偶然、氏が倒れるところに居合わせた私なので、心から心配したものだ。

幸い大事には至らずに、麻痺もすぐにとれたのでホッと胸を撫で下ろしたのだったが、この時ほど近くにある新武雄病院の有難さが身に沁みたことは無かった。

あの「北村尚志」くんもこの店で定期的にピアノの弾き語りライブをやっていたし、

その彼が仕事でこれなくなることが多くなると、今度はJB鎌上バンドとして私も5年くらい、毎月第三日曜日にライブをやらせて貰っていた。

楽しい青春の日々をここで送らせて頂いたのである。

その後は東京からプロのギタリスト原田さんが帰ってくると、涼バンドに引き継がれながら、武雄の貴重なライブスポットとして、貴重なお店であり続けてきたのである。

そのウイスキーハウス郷が閉店するのだという。

残念でたまらないが、マスターも一度倒れてからは、無理はさせられないし・・・・

無くなってしまうと淋しいし・・・・なんとも複雑な心境なのである。

閉店の名残惜しさを抱きつつ、これから色んな「閉店イベント」が催されることになっている。

 

◆2月17日(日)フォーク・ライブ   出演 古新聞 8:00pm~

◆2月24日(日) ビートルズ・ナイト 出演 The AppleBeatsほか 8:00pm~

◆3月3日(日) 北村尚志&西山茂樹ライブ 8:00pm~

◆3月?日(?) 極上のS&Gライブ 出演 J-PARKARS  8:00pm~

◆3月16日(土) お別れイベント

 

今決まっているのはこれくらいだが、まだまだ企画中のイベントもある様子。

実は、恥ずかしながらも24日のイベントに出演するのは、

私が所属するバンド「The AppleBeats、前のThe WestWindsのメンバーも駆けつけてくれるらしい・・・・。

仲間内で席が埋まるかも知れないが、良かったらぜひ遊びにおいでください。残り少なくなったウイスキーハウス郷を一緒に愉しみましょう。

 

いつも気取らず飾らずに、独特のユーモアでお客さんを楽しませてくれた武雄の名物スポットの閉店は本当に淋しい限り・・・・。 

我が青春のウイスキーハウス郷の開店の日、一番最初にボトルキープしたお客さんとして、最後の日は必ず駆けつけねばと思っているのである。

 


老後はJazz Vocalistになるのだ

2013年02月14日 19時22分48秒 | 風竿日記

今日は全国的にバレンタインデーなんだそうだ。

ということで私の机の上にも、ひぜしんの女性軍の皆様から、チョコレートが・・・

武雄の本部の女性軍からまで、さらには、遠く東京からもある女社長様から、そしていつもランチに行く定食屋のお姉さまからまでも、

おかげで今日は、トラックを借りて帰らないといけないハメにあいなりました。

いくつになっても、たとえ義理チョコであっても、女性からプレゼントされるって嬉しいものでございます。

   

さて、今夜は老後の備えという話で・・・・

毎日が日曜日となった時・・・・・

その時に一体何をするのか・・・・。

秘かに考えていることがある。

それはかねてより志望せしめし、Jazz Vocalist

そのためにひそかに訓練をつんでいるのだ。

  

この世界は圧倒的に男性のヴォーカルが少ないんである。

60の手習いではないが、スタンダードナンバーは多少かじっているので、ヴォイス・トレーニングと英語の発音、そして何よりジャズのノリを身に就けねば、とても人さまの前では歌えない。

まあ、一曲聴いてもらいましょうか・・・・。

 

 

この曲は、音楽の友達で私のジャズヴォーカルのセンセイ、Maikoちゃんから教えて貰った曲

スタンダードナンバーだそうだが、とてもインスパイアを受けた。

いつかセッションでご披露したいと練習することに・・・・。

音楽はボケ防止に最適な趣味だそうな・・・・。

老けこまず、常に何かに挑戦するような、そんな爺さんを目指すために、これから少しづつ努力していきたいと思うのである。

では、本日のテーマ曲を・・・・

 


金ジョン恩さん、ジョンのイマジンを歌おうよ

2013年02月12日 23時22分37秒 | 風竿日記

また北朝鮮が核実験をやった・・・・。

石原慎太郎が怒って、日本も核開発を・・・

って言いかねない事態になろうとしている。

実際我が国が本気になれば、3年以内に自国だけで開発ができるノウハウはあるんだとか物騒な話を聞いたことがある。

力の均衡はエスカレートするばかり

こんな時に思い出される歌がある。

ジョン・レノンが作って世界中で愛される曲

戦争が起こると必ず世界中で歌われ始める。

 

IMAGINE

国境も、人種も、宗教もないと想像してごらん

君は夢見るバカと笑うだろうが、ボクはそうは思わない

みんながそれを望めば、やがて世界は一つになるんだ


  

そうそう、拍手するくらいにいい歌でしょう・・・・。

どうか、西側で留学生活をおくったとされる北朝鮮の若き指導者金正恩氏のグローバルな視点に期待したいんですよ。

でも、人間はひとたび権力を手にすると変わるからなぁ・・・。

名前の中に同じジョンを持つのだから、どうか早く目を覚まして欲しいものだ。

民衆が飢え、国がやせ細っている時に、軍事予算を湯水のごとく遣い、何が強盛大国なものか・・・・。

すべてのベースに民があってこその為政者なんである。

ジョンのイマジンだけで足らないのなら、誰かが録音してくれていた私のイマジンも北朝鮮に向けて聴かせようか・・・・。

下をクリックしてそのままお聴きください。音源だけですが、私の歌が聴けます。

「風竿の歌うイマジン」

2010年のJohn Lennon's NightでのWestWindsの演奏

誰かが貼り付けてくれていました。

もし、当事者がいらしたら、私に教えて下さいませ。

 

そう、私の拙い歌にも拍手を貰えるんですか・・・・。

もともと日本とは結びつきの強い隣国ではありませぬか・・・。

拉致した日本人も早く帰してあげて下さいな。

被害者のご家族も高齢化が進んでいるんです。

人間ならば、是非、お願いします。

核爆弾を作るよりかは、余程平和に貢献しますよ・・・・。

 


Better Half

2013年02月11日 22時38分02秒 | 風竿日記

今夜は我が家の相棒の話

ジョン・レノンが大好きな私は、彼が生後50日あまりで我が家にやってきた時に、迷わずレノンと名付けた。

しかし、どうも呼ぶ度に歯切れが悪いので、しばらくして、市役所の戸籍係に届けてなかったことをよしとして、改名を施したんである。

それが今の尾形レオン君なんである。

彼は平成14年7月14日の生まれ、レッキとした血統書付きの純粋なミニチュア・ダックスフンド。

雑種の私なんぞより、よっぽど毛並みがいいんである。

今年で11歳になるから、犬年齢でいうと55歳から60歳くらいなんだろうか・・・・。

傲慢で我儘な偏屈男の私を主人と定め

ひたすら太陽のような無償の愛を注いでくれるんである。

若いころのレオンは悪戯の天才で、私をさんざん悩ませたものだ。

新築したばかりの家は彼の悪戯で傾きかけたほどなんである。

「このバカ犬、こんなところにオシッコしたらダメていうたろうが・・・。」

何度怒ったことか・・・・しかし犬に怒っても却って逆効果だと判ったのは、随分と共同生活が経ってからのことであった。

そんな天性の悪戯っ児の彼も、いつの間にか年老いた。

ひと頃、心臓弁膜症で血液が逆流したり、その血液が肺に溜まり呼吸困難に陥ったりと、絶命の危機に瀕したのであるが、

グータラな主人を残してこのまま死ねるものかと、死の渕から甦ってきた。

毎日投薬治療は続けているものの、やはりそこは老犬の哀しさ

若い時のようにはいかんのである。

その証拠には、だいたい一日ゴロゴロしていることが多い。

それでも私が帰ってきた時など、クルリクルリと私の回りにまとわりつき・・・・、

ヘルニアの持病もどこ吹く風と、無謀ともいえるジャンプを繰り返すんである。

嬉しくて仕方がないという、この素振りに私もまた嬉しくなるのだ。

しかも、このレオンから教えられたことは数多い。

弁膜症による呼吸困難をやっと脱したと胸を撫で下ろしていたある日、今度はヘルニアから来る左足の麻痺が彼を襲う。

その所為でまったく歩けなくなってしまったのだった。

トイレに行くにも、庭まで抱きかかえてやらねばならぬほどの重症だった。

動けぬ自分を哀しむがごとく、「クーン、クーン・・・」と哀しそうに泣く。

すると私の心も段々と落ち込んでいくのだ。

左足にちょっと触れただけで、ビクッと縮こまっていたのだから、相当の痛みもあったのだろうと思う。

いつもリビングにいる彼も、私が入浴する時には必ず風呂場のドアの前で私を待っていたのだが、

まさに、動けぬ時に風呂場まで這った状態で来ていた時には、心底参った。

裸のまま、彼を頬ずりして抱き上げたのであった。

「犬畜生」という言葉があるが、決してそんな失礼な言葉を浴びせてはならない。

かくして、我が家では、以降「生類憐みの令」が発動中なんである。

 

ジョン・レノンは自作の「Woman」という曲の冒頭

For the other half of sky・・・・と囁く

まさにその心境にさせる我が家のBetter Halfなんである。

彼は私を必要としているが、その彼のおかげで私は癒されているという、いい間柄なのだ。

 

今夜は件のWomanを聴きながら眠るとするか・・・・。


 


White Albumから45年も経つのに・・・

2013年02月10日 23時59分59秒 | 風竿の音楽夜話

The Beatlesが晩年の倦怠期に作ったWhite Albumから45年

私はその時高校3年生であった。

このアルバムを抱えて、七浦海岸をひた走り、当時の初恋の女性の家に行った。

その中の曲、I Willが二人ともとても気に入り、何度もレコード盤に針を落としたものである。

当時はサージャント・ペッパーズの完成度が高く、このホワイトアルバムは意外と評価が低かったものだが、私には宝石箱のようなレコードに思えたものだった。

そしてもう少しで半世紀にも及ぼうとするほどの、長い年月が経つにも関わらず、

不思議なことに、今でもとても新鮮な気持ちでこのアルバムに接しているんである。

それは、当時は及びもつかなかったけれど、今バンド仲間を得て、多少なりとも彼らの音楽の再現に取り組んでいるからかも知れない。

その青春甘酸っぱい思い出の詰まったI Willを初恋の彼女の前で唄えたら、

多少は疲れたおばさんにはなっているだろうけれど・・・、

こんなステキなオーディエンスは居ないのではと思ったりする。


まさに音楽は永遠なりである。

その日、その時に瞬時にしてタイムスリップできるのだからね。

そしてビートルズがデビューして50年の間、まったく現役でお付き合いしてきたことに妙な誇りと、彼らの音楽を長い間やってきたプライドにかけて

今からもしっかりと彼らの音楽を歌いこなしていきたいと思う。


 

そのためのビートルズ・ギアがまた一つ、私のコレクションの仲間入りをすることになった・・・・。

  

見よ、このセクシーなボディ

しばらく抱きしめて寝ようと思うんである。

 

 


梅は咲いたか

2013年02月09日 23時59分35秒 | 花の日記帳

金曜日は嬉野温泉に宿泊して業界の会合がありました。

意外と地元の人ゆえに泊まることは少ないのですが、華翠苑という観光ホテルはお湯も、料理もサービスも中々良かった。

中でも屋上にある空中露天風呂からの眺めは圧巻

ビジホ★泊まりが多い私のか細い経験では、

★★★といったところ・・・。

料金も割りとリーズナブルで、まさにオススメの宿なんである。

   

館内には梅の花が活けてあり、春遠からじの優雅な気分に

こんな細やかな気配りが、正しく日本の温泉旅館のいいところですよね。

明けて、土曜日の今日は、武雄嬉野カントリークラブで、親睦ゴルフコンペに参加、昨夜の深酒が祟り、スコアはメロメロのボロボロのヘロへロ。

疲れきって我が家に帰り着くと、今を見頃のシクラメンがお出迎えしてくれました。

何故か疲れたときに花を愛でると「ホッ!」とするんである。

たった花一輪で心が和むのだから、単純なもんである。

この花は、我が家に来て三年目の冬を迎えた鉢植えの美女

何とか今年も上機嫌にしてくれています。

夏に水をあまりやらないこと、甘やかさないこと、が秘訣でしょうか・・・・。

問題の体罰教育にも通じる要素があるような、ないような・・・・。

 

冬のバラもまた美しいものですが、友人の愛好家は花と会話することが大切だと気障なことを申しておりました。

水をやりながら、

「綺麗だね・・・・素晴らしいね。咲いてくれてありがとう。」

と語りかけるのだそうな・・・・。

私に、そんな歯の浮くようなことを云える筈も無く、ただ黙って笑いながら聞いていると・・・・

そうすると花も生き物だから、必ず波動が通じるのだと・・・・。

俄かには信じられないのだが、

そう云われればそんな気がしてくるのも、我が家のシクラメンを見ていて思い当たるフシがなくもない。

 

さて、梅の花がチラホラ咲きだした。

もう少しすれば桜も・・・・・。

「来年の春も、また桜が見れるだろうか・・・・。」

と云いつつ亡くなった友人の言葉が、毎年この時期になると不思議と思い出される。

老境に差し掛かると、春の尊さと、花の美しさが一際身に沁みてくるんである。

一心不乱にただ咲く花の真剣さと、切なさが胸をしめつけるのだが、人は明日は知れぬ身。

そんな意味で、「梅は咲いたか、桜はまだかいな・・・」という都都逸を聴いてみると、ちょっと違った風に聞こえてきたりする。

ものおもふことの多き、老境かな・・・である。

 

 

 

 


風竿、名古屋に登場す

2013年02月07日 23時55分25秒 | 風竿日記

ある有名な生保系保険会社の信用金庫役員向けセミナーに出講するために、2月5日、一泊二日の短期間ながら名古屋に出かけました。

この東海地区というのは愛知・岐阜・静岡と日本史上、戦国時代の表舞台だったところで、

今もそのまま金融激戦区と呼ばれるところ・・・・・。

1兆円規模の信用金庫がひしめきあっている、いわば、成熟化した地域なのです。

  

そんな燃え盛る火の中に、九州の田舎の小さな信用金庫に勤務する私なんぞが、講演するなんて・・・・

冒頭のご挨拶で、その非礼を詫びて話がスタートしました。

演題は「セルフモチベーションを刺激することで部下は育つ」というもの

金融機関という組織はすぐに人材を呑み込んで、右習いのパッケージ型に育てようとオペレーションしたがるのですが、

我が国独自の金融文化といえる信用金庫にあっては、この素晴らしい金融制度を語り継いでいかねばならない。

信用金庫とは何か、信用金庫人とはどういう人なのか

これがしっかりと見えておかねば、語り継ぐものがない。

戦略・戦術というからにはターゲットたる敵が見えて無くてはならない。

では敵は、一体だれなのか・・・・・。

ここが見えてないと戦略はあいまいになってしまう。

間違っても同業者ではありませぬ。

などから始まって・・・・・

部下の人材育成が管理者の一番大切な仕事であること

そのためには、教え込もうとする前に、深く考えさせること

思考プロセスの方法を教えてあげること・・・・・

自分のセルフモチベーションを刺激することが目を覚まさせる最大の技法であることの体験談を話して・・・・

以下うちの信用金庫のオリジナルである、

戦略方程式の話

ランチェスター情報戦略の話

一物二価戦略の話

掛け算型組織の話

クレドカードの魔法の話

深く穴を掘ろうという話

「考えさせる」をベースにした独自の研修プログラムの話

ノウハウよりもノウフウという話

一生涯取引担当者の話

長期戦略商品としての位置づけの話

など、通り一遍の持論を展開してまいりましたが・・・・

その反応は・・・・・、実は田舎講師としては気になるところ

   

さて、その結果は・・・・懇親会が開催されて、たくさんの聴講された信金マンが私に握手を求めていらっしゃいました。

名刺も山のように交換させていただき、帰ってからさっそく業務推進に使わせて貰います。有難い話でした・・・・。

目からウロコでした。いい活きた話でした。

視察に来たい・・・・・などなど。

いやはや来られても困るんであります。

挨拶の時の握手・・・・これが一番嬉しかったですね。

信金マンは熱い・・・・・。

そして実は講演した本人こそが一番勉強になっていたのでした。

             

懇親会の二次会は、かって佐賀に勤務していた竹馬の友Aと、まさかの名古屋の地で再会・・・・。

会った瞬間にお互い目頭が熱くなってしまったほどの感動的な再会でありました。

彼が佐賀支社時代の出来事をとても詳しく、正確に覚えているのには多少驚かされました。

それくらい佐賀の三年間は楽しかったんだと・・・・。

そういえばよく遊び、よく仕事もしましたよね。

その後、彼もいろいろと苦労していたのは聞いていました。そしてとても心配していた私だったのでした。

実は、彼の佐賀時代の努力と、今は大阪にいる「いだっち」のご縁で、私は名古屋の講演の舞台に立っていたのであります。

同じく名古屋に栄転した「てらっち」と「いだっち」「あおっち」この三人とは、一生涯、死ぬまで付き合おうと決めた仲間、東京には「むらっち」もいますが・・・・、

そして勿論それは、「健やかなる時も、病める時も」なんであります。

久しぶりのAとの再会は、とても贅沢で、豊潤で、濃い、至福の素晴らしい時間でありました。

本当は朝まで一緒に語り明かしたいくらいの気持ちなのでしたが、またの再会を固い握手に込めて別れました。

「またね、!」と云ってからも、四回ぐらい振り返りつつ、手を振りました。

恋人にすら、こんなことはしたことがないというのに・・・・・。

 

 

 

 


リッキー廣田とザ・ミッシェル武雄に降臨す

2013年02月06日 23時59分59秒 | 風竿日記

2月6日はセミナー講師の役割を終えて、名古屋から夕方に帰郷、なんと新幹線と特急で名古屋から4時間半で武雄に着いた。

昔は汽車に乗って博多まで4時間かかっていたものだったが・・・・。

隔世の感ありとしみじみ思う。

 

さて、夕闇迫りくる駅に降り立つと、同時に温泉deビートルズ音楽祭2013の第一回目となるイベント・・・・「リッキー&ザ・ミッシェル」のコンサートの準備とお手伝い

心配していたお客様の入りもまずまずで一安心

ライブは本当に素晴らしい内容でした。

取り急ぎYoutubeでご確認ください。


リッキー廣田さんは、この2月3日で満62歳、今年でプロデビュー40周年という猛者 

ビートルズのコピーという勿れ、歌心が染み入るんである。

日本のジョン・レノンといわれるだけに、ちょっと甘酸っぱい声は、絶品なんである。

10月の「温泉deビートルズ音楽祭」にもまた来て貰う事に・・・・。

実行委員長も参加しての打ち上げで、しっかりとコミュニケーションできて、

バンドの皆さんとも打ち解けあった。

リッキーさんは勿論、ベースの藤田さんは佐世保市の出身、ドラムの竹さんも、キーボードのツッチーも・・・・

皆いい人たちばかりで、とても充実の夜でありました。

リッキーさん、ありがとう

 

 


ビートルズというDNA

2013年02月04日 13時20分37秒 | 風竿日記

今年の温泉deビートルズ音楽祭にはあのTULIPの財津和夫さんと出演交渉をしています。

なぜ財津さんなのかといえば、彼もまたビートルズの申し子のようなお方だからです。

TULIPはコンサートで必ずビートルズの曲を2,3曲やっていましたし、ソロ活動での財津さんも必ずビートルズの曲をやっています。

そんな珍しい様子がYoutubeにありました。

ビートルズの植えた種子が日本でもこうしてちゃんと育っていました。

 

画像は悪いけれど、あの北村尚志くんがよくやるこの曲も・・・・・

彼もタネが植えられていたのでしょうね。


そして、かのTULIPは、ついには"ALL BECAUSE OF YOU GUYS"という、ビートルズの楽曲だけのアルバムまで出してしまったのです。

きっと彼らもビートルズになりたかったのでしょう。

 そしてこの曲もあの、北村尚志センセイがよくライブで演奏されるのですが、彼はTULIPから二次感染してのビートルズフリークなんでしょうか・・・・。

それにしては、ビートルズのエキスを随分と吸収してくれているようで・・・・

  

有名どころでは、あの大御所、吉田拓郎もビートルズ大ファン、タネが植わっている。

今度2月6日に武雄でライブをやるリッキー廣田さんが出演しているビートルズ専門のライブ店に、いつも来ていたとか・・・・・。

      

そのリッキーさんと彼のバンドのライブなのですが、やっぱり田舎の町ではチケット販売に大苦戦

3000円もするとやぁ・・・・高さ・・・・。

東京から来てもらって4人食べさせて、泊まらせて・・・・なんですよ・・・・。

それでも哀しさをこらえて、今日も異業種交流会の仲間に頼み込みました。

9枚売れたぁ・・・・・・。嬉しかったぁ・・・・・。

有難かった。涙が出ました。

まだ人情はこの街に残っていたんであります。

ビートルズの種子と一緒に・・・・

 

さて、明日は東海地区の信用金庫さんの集まりに講演にでかけてきます。

ちょっと吹いてくるかもです。

 

 


聴いてみたいバンド、聴かせたいバンド

2013年02月03日 14時51分23秒 | 風竿の音楽夜話

2月6日水曜日午後20時から武雄市のスタジオINPUTで、あの日本で最高峰のビートルズバンドがライブをやります。

日本のジョンレノンといわれるリッキーさんから、直接のオファーがあって・・・・のイベント。

 

「Ricky廣田&The Michelle」が九州ツアーで武雄にやってきます。

温泉deビートルズ音楽祭2013のオープニングイベントとして開催することになりました。

というのも、リッキーさんはこのイベントのことを全国各地で宣伝してくれているのです。

そのお陰で昨年は、広島のファブリックさんも40名のバスツアーで参加頂きました。

 


 

   

プロだから上手いのは当たり前なのですが、ぜひぜひ、ビートルズの音楽ファンの皆様に一度聴いていただきたいバンドです。

それは、このバンドがとてもハートフルで、リッキーさんの人柄もあいまって、とてもいいライブを演じてくれるからです。

 

オープニングアクトでは地元に初デビューの温泉deビートルズ音楽祭ホストバンドである「The Apple Beats」も出演します。

 


とは申しましても、地方のライブには観客動員が頭の痛いところであります。

どうか皆さん温泉deビートルズ音楽祭を盛り上げる意味からも、このイベントにご協力をお願い申し上げます。

実行委員の皆様も是非お手伝いをよろしくお願いしますね。