今夜は我が家の相棒の話
ジョン・レノンが大好きな私は、彼が生後50日あまりで我が家にやってきた時に、迷わずレノンと名付けた。
しかし、どうも呼ぶ度に歯切れが悪いので、しばらくして、市役所の戸籍係に届けてなかったことをよしとして、改名を施したんである。
それが今の尾形レオン君なんである。
彼は平成14年7月14日の生まれ、レッキとした血統書付きの純粋なミニチュア・ダックスフンド。
雑種の私なんぞより、よっぽど毛並みがいいんである。
今年で11歳になるから、犬年齢でいうと55歳から60歳くらいなんだろうか・・・・。
傲慢で我儘な偏屈男の私を主人と定め
ひたすら太陽のような無償の愛を注いでくれるんである。
若いころのレオンは悪戯の天才で、私をさんざん悩ませたものだ。
新築したばかりの家は彼の悪戯で傾きかけたほどなんである。
「このバカ犬、こんなところにオシッコしたらダメていうたろうが・・・。」
何度怒ったことか・・・・しかし犬に怒っても却って逆効果だと判ったのは、随分と共同生活が経ってからのことであった。
そんな天性の悪戯っ児の彼も、いつの間にか年老いた。
ひと頃、心臓弁膜症で血液が逆流したり、その血液が肺に溜まり呼吸困難に陥ったりと、絶命の危機に瀕したのであるが、
グータラな主人を残してこのまま死ねるものかと、死の渕から甦ってきた。
毎日投薬治療は続けているものの、やはりそこは老犬の哀しさ
若い時のようにはいかんのである。
その証拠には、だいたい一日ゴロゴロしていることが多い。
それでも私が帰ってきた時など、クルリクルリと私の回りにまとわりつき・・・・、
ヘルニアの持病もどこ吹く風と、無謀ともいえるジャンプを繰り返すんである。
嬉しくて仕方がないという、この素振りに私もまた嬉しくなるのだ。
しかも、このレオンから教えられたことは数多い。
弁膜症による呼吸困難をやっと脱したと胸を撫で下ろしていたある日、今度はヘルニアから来る左足の麻痺が彼を襲う。
その所為でまったく歩けなくなってしまったのだった。
トイレに行くにも、庭まで抱きかかえてやらねばならぬほどの重症だった。
動けぬ自分を哀しむがごとく、「クーン、クーン・・・」と哀しそうに泣く。
すると私の心も段々と落ち込んでいくのだ。
左足にちょっと触れただけで、ビクッと縮こまっていたのだから、相当の痛みもあったのだろうと思う。
いつもリビングにいる彼も、私が入浴する時には必ず風呂場のドアの前で私を待っていたのだが、
まさに、動けぬ時に風呂場まで這った状態で来ていた時には、心底参った。
裸のまま、彼を頬ずりして抱き上げたのであった。
「犬畜生」という言葉があるが、決してそんな失礼な言葉を浴びせてはならない。
かくして、我が家では、以降「生類憐みの令」が発動中なんである。
ジョン・レノンは自作の「Woman」という曲の冒頭
For the other half of sky・・・・と囁く
まさにその心境にさせる我が家のBetter Halfなんである。
彼は私を必要としているが、その彼のおかげで私は癒されているという、いい間柄なのだ。
今夜は件のWomanを聴きながら眠るとするか・・・・。