毎月恒例の会議の休憩時間に、所定のベランダで、
同僚と煙草を吸いながら、いい風に吹かれていた。
「いい季節になりましたねぇ。」
「日本酒が旨くなってきましたね。」
「秋刀魚もいいですねぇ・・・・。」
などと他愛も無い話で秋の訪れを喜んでいた。
ふと何気なく空を見上げると、たしかに空が澄んでいて
その分高くなったように感じた。
かってビートルズのジョン・レノンは・・・・Becauseという曲で
♪ 空が蒼く、高いので心が哀しくなる ♪
と唄った。
欧米人にもこんな感性があるのだと驚いたものだが、
彼は妻のオノヨーコさんの影響で、俳句に親しんでいたそうだから、
それもむべなるかな、なんである。
侘び寂びの世界は、人の世の哀しみ、もののあはれ、それをおかしみとして深く味あうのである。
暑かった日照りの夏が去り、やっと涼しげな風が吹き始め
空は透明度を増し高くなる。
その空の青さが、高さが哀しいというニュアンスは
まあ、一流の風流人たる証ではなかろうかと思うのである。
「天高く馬肥ゆる秋」として食欲の増す私なんぞは、その足元にも及ばないのだが、
秋はどこかもの哀しいのは理解できる。
<!-- The Beatles- Because . -->
そう云えば・・・・、
幼い頃継母の気を引こうと、弟を連れてよく家出をしたものだった。
秋の夕暮れ時、近所の夕餉の温もりが羨ましかったものだ。
刈り取りの済んだ藁こづみの中に隠れて、そのまま眠ったものだった。
ひょっとすると、だから秋の空は哀しいのかも知れない。