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良い子はみんなご褒美がもらえる

2019-04-26 10:46:15 | 演劇
4月24日(水)の昼に赤坂ACTシアターで、トム・ストッパードの「良い子はみんなご褒美がもらえる」を観る。トム・ストッパードが書いた一幕物の芝居で、アンドレ・プレヴィンが音楽を書いているうえに、生のオーケストラが演奏をするというので、なかなか見る機会が少ないと思い観にいった。15時開演で、休憩なしの1幕で終演は16時20分頃。主演は堤真一とABC-Zの橋本良亮。そのためか、満席で中年のご婦人が多かった。

チラシの宣伝文句では、「想像する自由、信じる自由。それぞれの自由のために・・・」というような感じなので、政治的なメッセージを強く打ち出した作品かと思ったら、やはりストッパードらしく、皮肉に満ちた視線で権威を笑い飛ばすような描き方で、まるで落語みたいな喜劇だと感じた。もっと喜劇だということを強調した方が、観客にも内容が伝わると思う。

話の内容は、旧ソ連で反体制の政治犯が、監獄ではなく精神病院の病棟に入れられる。本人は抗議の意味でハンストを行うが、政治犯として有名なので、死んでしまうと西側諸国に非難されるため、何とか精神病の治療を受けて正常な精神になったと本人に言わせて、それを口実に釈放しようと秘密警察は考える。一方、その政治犯は同性同名の男と同じ病室に入れられて、その相手の男は自分がオーケストラを率いており、病院の中でもオーケストラが存在していると思い込んでいる精神病の男だ。その男から政治犯の男は音楽の話をさんざんされるのでうんざりしている。

こういう背景なので、生のオーケストラが舞台後方に乗っていて、男の幻想に合わせて演奏をする形だ。ちゃんとした演奏ができるメンバーが集められていて、アンドレ・プレヴィンの音楽なので、現代音楽的な部分から、映画音楽的な部分までいろいろと演奏する。男の幻想で曲を演奏するだけではなく、劇の進行に合わせて、映画音楽的に背景音楽を演奏する部分もある。劇の背景でオーケストラ演奏して舞台を盛り上げるというのは、19世紀中頃まで英国で流行っていた「メロドラマ」(現在のメロドラマとは意味が違う)という形式で、原題の芝居でこうした形式で上演するのは凄く珍しいなと思った。

芝居では、7人のダンサーが兵士役で出てきて踊ったりもするが、その服装が文化大革命当時の中国の人民服みたいだったので、一体どこの国を念頭に置いたのだろうと思っていたら、途中で明確にソ連だということがわかる台詞が出てきた。調べてみたら1977年の作品なので、ソ連崩壊前に書かれている。音楽と組み合わせるというのはトム・ストッパードの案というよりも、アンドレ・プレヴィンが望んだらしい。プレヴィンがちょうど女優のミア・ファーローと結婚していた時期なので、一番脂がのっていて、なかなか素敵な曲を書いている。

芝居は、政治犯に対して秘密警察が「良い子になればご褒美(釈放)がもらえる」と持ち掛けるが、政治犯はそれを拒否。困った秘密警察は、同姓同名の二人をわざと間違えて取り調べを行い、釈放してしまう。そこに、国家の偽善性を鋭く描いた印象だ。なんとなく、このオチを見て、寺山修司の「奴婢訓」を思い出した。医者が、政治犯に対して、ここは収容所(監獄)ではなく、精神を治療する病院だと強調しながら、途中で自分でも間違えてしまうあたりの喜劇性は、スタンリー・キューブリックの映画「博士の異常な愛情」で、ドイツ人科学者が元のナチス時代の敬礼を思わずやってしまうのと同じだ。

「良い子はみんなご褒美がもらえる」地いう題名は英語では、Every Good Boy Deserves Favourとなる、頭文字をとると「E G B D F」だ。これを音名として読むと「ミ、ソ、シ、レ、ファ」となる。これは五線譜の各線の音名をしたから並べたものと同じだ。子供が五線譜を習う時に学ぶ覚え方らしい。こういう遊びを盛り込んだ劇だったが、観客の反応は調低調で、パラパラと気のない拍手があっただけで、観客は戸惑ったように感じた。もう少しどんな芝居なのかわかりやすくした方が良い。

終了後は有楽町に出て、イタリア料理店で飲み会。サラダ、チーズの盛り合わせ、タリアータ、ボンゴレのパスタなどを食べながら、スプマンテ、白、赤のワインを飲んだ。

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