LGBTの家族と友人をつなぐ会ブログ

レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの家族や友人による会のブログです。

河南高校「RENT」のご報告

2008年11月09日 | Weblog
またまた感動的なご報告がありました。8月にご紹介した大阪の「河南高校」のお話、覚えていらっしゃるでしょうか? BASE KOBEの繁内さんの講義(大阪府立大学)を聞いたある高校生が社会にエイズやセクシャリティの問題があることを知り、文化祭で劇をしたいと先生にお願いして、再び学校に繁内さんを呼び特別授業を受け、そして自分たちで「RENT」という劇を作り上げたのです。その文化祭のご報告を繁内さんからいただきました。

劇を見て、自分が高校生だったころをなつかしく思い出しました。純粋な子どもたちの姿に、時代は変わったように見えても、人間の心が成長していくことにはなんの変わりもないのだと実感させられます。スガさんの書かれた文章の「その後」に繁内さんの日記と担任の安田先生からのお手紙がありました。ほんとうに感動します。「教育とは共育」と言われますが、まさに子どもたちの成長と共に、先生もそこに関わった方々も多くのことを学ばれたのだと思いました。知識を伝えることに汲々としている教育に血は通いません。繁内さんのお話は単なる知識ではなく、自分のカミングアウトと生身の体験、そして感染者の方々の生身の体験が脈打っているのでしょうね。それが子どもたちの心を動かし、自ら劇を作り演じるという行動を起こすほどの高まりへと導いていった。その経緯に大人は驚き、感動し、いつの間にか見えなくなっていた人間の可能性を、将来の希望を見出す・・・
やっぱり子どもは社会の宝ですね。子どもを大切に育てなければならないと思います。

下記のアドレスから劇を見ることができますし、経緯を書いてくださっているスガさんのページにもつながっています。ほんとうに感動的です。是非是非お読みください。

http://www.basekobe.net/



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ラブれたーずfrom中野』④

2008年11月09日 | Weblog
☆「ラブれたーずfrom中野」第4弾です。次々と展開される桑島さんの青春ライフヒストリーはなんともおもしろいです。人の実体験をおもしろいというのはとても失礼なこと・・と思いつつ、でも絵のようにその情景が頭に浮かんでついつい笑ってしまいます。今回も男子校の様子がなんともおもしろくて・・「鼻血事件」には大笑いしてしまいました。
一般世間では未だに可視化されず、教育関係者ですら「0,3%?」「0,1%?」人によっては「0,01%くらい?」と思われているLGBTの存在。私も3年前まではテレビの中の話としか思っていなかったのですが、桑島さんは20年も前から身近にゲイの友人を持ち、その存在をごく自然なものとして理解し、いまでは「セクマイ応援団長」として名乗りを上げ・・・そう考えると身近な存在こそが人の意識を変えるということ、思い知ります。ゲイ友のK君に心から「ありがとう!!」と言いたいです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



『再び疑惑の男と呼ばれて』


虹色の皆さん、実は僕がセクシャルマイノリティのサポーターを宣言した途端に「クワケンは実は…」とのゲイ疑惑が友人や同僚の間で持ち上がりました。口に出しては言わない人も目!が「この人はゲイだったんだ…」と何とも居心地が悪そうだったことを記憶しています。特に武蔵高校以来の友人たちからは「疑惑の男アゲイン」でした。
80年代前半の僕の男子校時代のお話をしましょう。
武蔵高校ではあちらこちらでカップルが出来ていました。先輩と後輩もいたと思いますが、大抵は同級生同士でした。
武蔵高校は進学校です。授業は面白いものも多かったのですが、受験勉強ともなるとやはり無味乾燥な毎日です。と言っても女子はいないので心ときめく恋愛は「御法度」でした。男子校でのカップルは今から思えば一種の疑似恋愛だったのかもしれません。「友人以上恋人未満」あるいは「友情と恋愛の間の友愛」だったのしょうか?
Kがゲイだとカミングアウトした時に僕がそんなに驚かなかった理由はKのカップルを思い出したからです。Kは大柄の筋肉質の同級生とカップルを組んでいてなんと言うか僕など他のカップルよりも関係が濃密でした。いわゆるプラトニック(精神的)をやや逸脱した関係だったのです。まぁ「同じ紙コップから二本のストローでジュースを飲む」ぐらいで今から思えば可愛いいものでしたが。
武蔵高校は自由な校風です。私服でOK持ち物検査もありませんでした。まぁ携帯もゲームボーイもまだ無い時代でしたが、漫画は持って来て教室で読んでいました。一部授業中に回し読みです(泣)。
手塚治虫『火の鳥』白戸三平『カムイ伝』水島新司『ドカベン』と言った冒険と友情の少年漫画と同じ様に魔夜峰央『パタリロ』萩尾望都『ポーの一族』木原敏江『真利と信吾』の少女漫画の美少年と同性愛の世界も受け入れていました。特に禁断でもなく罪悪感もありませんでした。
さてKには仲の良い友人がいました。「玉三郎」君と呼んでおきます。今なら早乙女太一君の様な美少年がいたのです。「玉三郎」君は人気者でした。彼は文化祭の出しもので女装して優勝したのですが、「ウソッー!きゃっー(泣)」と遊びに来ていた女子校生から歓声と嬌声が上がったことを今も思い出します。「玉三郎」君は容姿も美しかったのですが、仕草や雰囲気も「ますらお」では無く「たおやめ」だったのです。
ある日事件が起きました。僕と「玉三郎君」がトイレで一緒になったのです。いわゆるツレションです。知り合いの男同士がツレションするとたいてい「米国の大統領はオバマになったね!」「オバマってそう言えば奥田瑛二に似てない?」なんて会話をして先に済んだ方が「お先に~」と出ていくものです。ところが「玉三郎君」の隣になった僕は異様な緊張状態に置かれて何も話せませんでした。「玉三郎君」も無言でした。手洗い場まで来たら「玉三郎君」も来て二人無言で並びました。「玉三郎君」の何とも言えない色気と妖気(泣)に包みこまれて?僕は気を失いかけました。その時鼻をツーッと鼻水?が流れました。ちょうど手を拭こうと思って出したハンカチを鼻に当てると赤くなりました。血でした。僕は鼻血を出したのです!
この話は「クワケン鼻血事件」として校内をかけめぐりました。流したのは僕自身でしたが。それ以来僕は「ゲイ疑惑の男」となって驚愕と畏敬?の念で見られる様になったのです。僕自身は当時も現在もこの出来事を恥ずかしいとか悪いとか思ったことはありません。自然なことだと感じましたが、一方でシャレだとも思って「笑い話」として受け入れました。ただそんなに深刻ではありませんが、僕は僕自身がゲイなのか?とQだったこともあったのです。
この事件を知る元武蔵高校の友人たちは僕が「セクマイ応援団長」を宣言した時に僕が遠回しにカミングアウトをしたと思い込んだのです。いきなりメールで「どうして自分の事を言う気になったの?」とある友人に聞かれたり、僕のいない場所で集まって「今までずっと秘密にしていてクワケンも辛かったんだね。」と心配してくれたそうです(泣)。
ゲイ/ホモに対する「フォビア」は「嫌悪」とか「恐怖」と訳されますが、僕は僕自身の体験と知見から「コンプレックス」の方が適していると思っています。つまり自分がゲイではないのでゲイ「フォビア」なのでは無く、自分の内にも「ゲイがいる?」という疑惑からゲイに「コンプレックス」を抱くのです。「コンプレックス」は「優越感&劣等感の複合感情」と訳されますが、僕は「こだわり」「気にさわり」の方がふさわしいと思います。
全ての「男性」は程度の差こそあれゲイに対して「コンプレックス」いや「アンビバランツ」つまり「愛情と憎悪の両方の感情」を持っていると言うのが僕の仮説です。なぜか?それは男性の女性に知られたくない「秘密」があるのです。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする