20220908
先週、生まれて初めて柴又の帝釈天へ行った。
最初から柴又へ行こうとしたわけではなかったが、コーヒーの豆を買いに出て、しかしなんとなく東の方角へ新宿、秋葉原、新小岩などを横目にずっと進んでゆくと、とうとうその先はもう千葉県という辺りまで来てしまった。
すると交差点に柴又の文字を見つけ、これはさすがに素通りとはいかず、しかし人混みは嫌だなと参道入口をのぞいたらやけに空いていたから、これならいいぞと初のお参りを果たした次第。
それほど長くはないが、まるで映画のセットのような雰囲気がとても良い参道商店街があり、そして帝釈天は木彫が素晴らしいと初めて知った。もちろん葛飾柴又といえばあの人だろう。
数年前のことだが、ラジオでニュースを聴いていたら、そのうち番組が変わり、俳優の前田吟さん(映画「男はつらいよ、ひろし役)が登場し、映画の裏話などを披露してくれて面白かった。
その話の中で、後藤久美子とジャン・アレジの話があり、1995年くらいの出来事なのか、オフシーズンで暇なジャン・アレジが映画の撮影の度に後藤久美子にくっついてきたという話。
しかし後藤は撮影だからアレジの相手はできず、アレジも独りで柴又界隈をどこに行くわけでもなく、仕方がないからその当時、俳優たちや撮影隊が待機場所として使わせてもらっていた「高木屋」という今でも営業している店の確か二階でアレジは時間をつぶした。
前田吟の話では、その時その部屋には前田とアレジと佐藤蛾次郎さんがいたらしい。当時アレジはもちろんF1パイロット。しかもフェラーリに乗って初優勝をした年ではなかったか。ところがなにしろ言葉がまったく通じない。団子屋の二階の畳の部屋のコタツか何かに三人男が座って、前田としても何かその場をもたせようとしたが、同席モジャモジャ頭の蛾次郎はニコニコしているだけでまったくあてにならず、ずいぶんと気まずい時間を過ごしましたと笑いながら語っていた。前田さんも出番待ちなのに大変なことでした。
その場所が「高木屋」かどうか私はラジオをよく憶えていないが、その高木屋さんに今でもアレジの写真が飾ってあるらしいから、おそらく間違いないだろう。
話が逸れるが、私はF1史上で、運転の上手さだけならアレジがトップ3に入ると常々思っている。ただし上手すぎて、どんな車でもある程度乗りこなしてしまうから逆に車の状態の微妙な差がわからず、つまりセッティングが絞れず、当たれば速いが、外れることも多かった、というドライバーではなかったか。異論は認める。
デビューしたばかりのアレジがティレルに乗ってマクラーレンのセナとトップ争いのサイドバイサイドを演じたアメリカGPをまだよく憶えている。あの頃はF1をよく観た。それから頭角を一気に現わしてきたシューマッハが速すぎて強すぎて私はF1を観なくなったのだろうか。
私は10年ほど前に、映画「男はつらいよ」をコンプリートしようと思い立ち順番に観始めたが、やはりシリーズ後半になると寅さんの顔色や動作が弱々しく見え、それが辛くてたしか40作までは見ていないと思う。
数日前に第一作をあらためて観たが、御前様の娘役、光本幸子がよかった。品と色気のバランスが絶妙で、柴又の参道を着物姿でほろ酔いのまま妙な歌を歌いながら歩く姿はとてもよかった。その後を普段の自分の悪行は棚に上げて「お嬢さん!」などと咎めつつ心配そうにへっぴり腰でくっつき歩く渥美清もまた絶品。
私は短い柴又滞在のあと近くの葛西神社へ寄り、東京都の東の外れまで来たぞとなんとなく満足し、本来の目的のコーヒー豆を買いに道を北西に戻った。ところが途中他に目立つものは何もない殺風景な場所にあまりにレトロな店の暖簾を見つけてしまい、2秒躊躇い、そして私はUターンをしたのでした。
本日も、おつかれさまでした。
E V O L U C I O