つづき。
ここ最近、サッカーを観ていたら生活のリズムが崩れて、
このブログを更新するタイミングを失っていた。
何のつづきかというと、
カート・コバーンとミック・ジャガーの二人を対比させていた。
カート・コバーンという破滅型のアーティスト。
ミック・ジャガーというバランス型のアーティスト兼、Rストーンズの社長。
まあ社長かどうかは知らないが、リーダー的存在であることは間違いないだろう。
しかしRストーンズの創成期、最初のリーダーはブライアン・ジョーンズであった。
ミック・ジャガーとキース・リチャーズが当時まだ初心な青年であったのに較べて、
ブライアン・ジョーンズはすでに3人の子持ちで、いわばよく擦れていて、
言動、出で立ちはとくにエッジが効き、その後のRストーンズのイメージは、
このブライアン・ジョーンズによって決定されたといっても過言ではない。
というのが定説である。
ブライアン・ジョーンズは楽器の天才でマルチプレーヤーであったが、
しかし気分屋で、自分の都合でステージに穴を開けたりすることが度々あり、
そのうち力をつけてきたミック・ジャガーとキース・リチャーズたちが
作曲の才能も持っていたため、リーダーシップは彼らに移行されることになった。
キース・リチャーズのギターが上達したことも、
ブライアン・ジョーンズの存在を薄くさせることの原因になっただろう。
性格はかなり無責任。作曲は出来ない。信用も出来ない。そしてダミ声。
そんなブライアン・ジョーンズは存在感を取り戻そうと
民俗楽器をバンドに取り入れることを提案し、実際に演奏もした。
Rストーンズに新たな要素を注入することに成功はしたが、
本人はすでに薬漬けの毎日で、やがて自滅してしまう。
バンドの創設者の死の直前にミック・ジャガーとキース・リチャーズは
ブライアン・ジョーンズにバンドからの脱退を迫り、
すでに正気を失いかけていた彼を説得し同意を得て、記者会見も行っていた。
ブライアン・ジョーンズの脱退とその直後の死によるバンドのイメージの失墜という
バンドの歴史上最大の困難をミック・ジャガーは持ち前の経営感覚でうまく乗り切った。
ここでわかることは、ミック・ジャガーはあまり悩まない性格なのではないか、ということである。
バンドの存続がミック・ジャガーだけの力ではないことはもちろんなのだが、
それにしても、自分でクビにしたバンドの創設者の死をプールの底に見て、
少し弱い神経の人であれば解散に至ってしまったりするのだが、彼はそうはしなかった。
つづく。
ここ最近、サッカーを観ていたら生活のリズムが崩れて、
このブログを更新するタイミングを失っていた。
何のつづきかというと、
カート・コバーンとミック・ジャガーの二人を対比させていた。
カート・コバーンという破滅型のアーティスト。
ミック・ジャガーというバランス型のアーティスト兼、Rストーンズの社長。
まあ社長かどうかは知らないが、リーダー的存在であることは間違いないだろう。
しかしRストーンズの創成期、最初のリーダーはブライアン・ジョーンズであった。
ミック・ジャガーとキース・リチャーズが当時まだ初心な青年であったのに較べて、
ブライアン・ジョーンズはすでに3人の子持ちで、いわばよく擦れていて、
言動、出で立ちはとくにエッジが効き、その後のRストーンズのイメージは、
このブライアン・ジョーンズによって決定されたといっても過言ではない。
というのが定説である。
ブライアン・ジョーンズは楽器の天才でマルチプレーヤーであったが、
しかし気分屋で、自分の都合でステージに穴を開けたりすることが度々あり、
そのうち力をつけてきたミック・ジャガーとキース・リチャーズたちが
作曲の才能も持っていたため、リーダーシップは彼らに移行されることになった。
キース・リチャーズのギターが上達したことも、
ブライアン・ジョーンズの存在を薄くさせることの原因になっただろう。
性格はかなり無責任。作曲は出来ない。信用も出来ない。そしてダミ声。
そんなブライアン・ジョーンズは存在感を取り戻そうと
民俗楽器をバンドに取り入れることを提案し、実際に演奏もした。
Rストーンズに新たな要素を注入することに成功はしたが、
本人はすでに薬漬けの毎日で、やがて自滅してしまう。
バンドの創設者の死の直前にミック・ジャガーとキース・リチャーズは
ブライアン・ジョーンズにバンドからの脱退を迫り、
すでに正気を失いかけていた彼を説得し同意を得て、記者会見も行っていた。
ブライアン・ジョーンズの脱退とその直後の死によるバンドのイメージの失墜という
バンドの歴史上最大の困難をミック・ジャガーは持ち前の経営感覚でうまく乗り切った。
ここでわかることは、ミック・ジャガーはあまり悩まない性格なのではないか、ということである。
バンドの存続がミック・ジャガーだけの力ではないことはもちろんなのだが、
それにしても、自分でクビにしたバンドの創設者の死をプールの底に見て、
少し弱い神経の人であれば解散に至ってしまったりするのだが、彼はそうはしなかった。
つづく。