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4/4 Diary 1973

2020-04-04 10:17:00 | Diary

4/4

1973年前後、フォークトリオ「かぐや姫」の歌が流行り、
同じ頃、森田童子がこの世に知られるようになり、そしてまた同じ頃、ドリフターズという元はカントリーウエスタンミュージックバンドであったコミックグループがテレビで喝采を浴びていた。

私はその頃まだ子供の範疇であったが、それまでドリフターズを面白く観た記憶のほとんどは加藤茶であったと思う。志村けんはまだいなかった。

志村けんが荒井注の代わりに加入を放送内で告知された時の記憶が今でも薄らとあるから、おそらくリアルタイムで見ていたのだと思うが、グループからの離脱や新人加入といった動きに、大人の世界はいろいろあるなぁ、と子供心に思ったものだった。

先ほど、ドリフターズのWikipediaをざっと読んでみたが、長くて読み切れなかった。
しかし、書いた人が誰だかわからないが、その時代をよく知った人が熱を込めて書いたに違いないしっかりした考証と抑制の効いた筆致で好感が持てた。

それによると、ドリフターズ(少し名前は違っても)は、いかりやが加入する以前の1950年代から存在し、メンバーの激しい入れ替わりを経てリーダーいかりやと他4人が固定し、いかりや主導による演奏間のコミックショーが徐々に演奏よりメインになってゆき、やがてそれが注目され、テレビ出演につながったということらしい。

1974年に、付き人だった志村けんが正式メンバーとなり、私はそれをなんとなく憶えているが、そこから先、私は大人への階段を昇り始め、そして「お笑い」というエンターテイメントにそれほど興味も持てず、ひげダンスや東村山音頭の記憶はもちろんあるが、面白さ半分そして覚めた気分半分で観ていたような気がする。

ドリフターズのWikipediaの長い文章をざっと読むと、日本の歌謡史の一端を垣間見るようでとても面白く、驚くことに、ドリフターズの初期には坂本九も在籍していたとのことで、やっぱり大人の世界はいろいろあるなぁ、と今になっても思う。

今回、世界の歴史にも残るであろうウイルス禍によって志村けんという希代の芸人が亡くなったわけだが、現代の日本国内においては70歳での死去はさすがに早いわけで、私も少なからず衝撃を受け、その致死への速度に不安を感じた。

とはいっても、私は自己免疫にだけは自信があり、あまり自分を心配はしていない。しかし、なにはともあれ今は自分が罹患すれば医療従事者の負担が私の分だけ増すわけで、また無症状であっても感染拡大に加担するということも避けなければならない。現在の状況では、それがほんの軽く済んだとしても店舗や会社は休業を余儀なくされるわけで、ゆえに人に伝染すことはなるべく避けたい。

最後に、志村けんという人が亡くなって少なからず考えたことは、この人はきっと今まで私が遠望し、認識、理解をしていたよりずっと大きな存在だったのだろうということでしかない。この下の動画にもやさしく微笑む姿を見ることができるが、その表情に感じるのは包容力であり、私はこの人が死んでから初めてこの人の人間性に興味を持った。冥福を祈る。

evolucio



それにしても可愛かずみ、相変わらずいい声である。キレイに素直によく響いて、伸びがあり、艶があり、切なさもあり、練習してこれを持てるものではないことがこの人の価値を今さらながら高めている。ピッチは少し甘いが、こんな場ではご愛嬌である。この人も惜しいことをした。

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