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20231203 映画「PLAN 75」感想など

2023-12-03 16:23:00 | 映画
以下の文章は20231017に書きました。

……私もうっかりしていたら、
古希70歳を射程に捉える齢になり、
世間でいうところの終活のことは考え始めている。

あれを捨てて、これを捨てて、それも捨てて、と、
捨てるものばかりである。
出来るなら部屋をからっぽにしてから死にたい。
しかし人に見られたくない物があるからではない。
そういうものは持たない主義なので、
ビデオ、DVD、そんなものはまったくない。
PC内にも変なファイルは一切ない。
以前に書いていた日記も捨てた。
……それは今になって少し後悔しているが。

物を捨てるのは簡単で、
分別して、それぞれ対応する日に出せばいいのだ。
全部を迷わず捨てるなら、これはすごく簡単。

一番大変なのは、捨てる物と残す物の分別である。
これを判断することが大変で時間がかかる。

しかし日記を捨てると、
他の大概の物も捨てられる気分になる。
踏ん切りがつくというか。
なにしろ、からっぽにしてから死にたいのだ。

安楽死。

現在の日本国内では違法である。
私の知る限りでは、
スイス、ベルギー、オランダなどにおいて可能らしい。
しかし我が国でも超高齢化がもっと進めば、
法整備がなされ、やがて安楽死も合法になるかもしれない。
それを民間ではなく、国が大規模に行ったら、どうなるか?
という仮想を基に作られた映画が「PLAN 75」である。
Amazonで観たので、感想などを少し。

───ほんの数年先ほどの未来の話。
超高齢化が進み、
それを支える世代が少子化により圧倒的に足りず、
政府は国民が75歳になった時、
生活が成り立たない人には安楽死を選ぶ選択肢を与えた。
それを望むと10万円が貰え、自由に使える。
その日まで毎日15分だったか、
センターから話相手になってくれる電話がかかり、会話ができる。
そしてあらかじめ決めたその日にセンターへ行けば、
ベッドに寝かされ、ガスを吸わされ、苦しまずに死ねるというのだ。

主役を演じるのは倍賞千恵子。
寅さんの妹さくらだった人だが、
とうとう安楽死を演じる齢になってしまっていた。
しかしさすがに老いに戸惑い、
世間の無常に心で泣き、
命の選択に迷う演技は一級品である。

この映画に対する私の感想は、
「合同安楽死」を国が執り行うという設定はよかったが、
リアリティに欠けるところが多々あり、
あまり本気にはなれなかった。

例を挙げると、
センターに集まった年寄りが次々に、
ガスにより苦しまずベッドの上で死んでいくわけだが、
葬式も墓も合同である。(予算別コースによる)

するとその死んだ人たちの所持品が残る。
それをたった二人の係員、
といっても年寄りの男と外国人のパートのような若い女が
コンビで片づけるのだが、それがあまりに杜撰なのだ。

遺品仕分け室には二人以外にはいないから、
金目の物が出てくればポケットに入れてしまうのだ。
国が運営する人の死を扱う施設で
そんな杜撰なことってあるだろうか?
誰が考えても、そこは厳重であるべき箇所だろう。

もう一つ。
センター側の職員に若い男がいて、
彼は安楽死の契約業務を行っている。

相談会という名の「死の営業」中に、彼の叔父がやってきた。
長年会っていなかった叔父はPLAN 75を契約したいというのだ。
詳しく尋ねると、一人暮らしで先行きに不安しかないと言う。
叔父は契約を完了した。

さて決行の日に男は躊躇いながらも叔父をセンターへ車で送る。
静かな悲壮感が車内の二人を無口にする。
車から降りた叔父はとぼとぼとセンターへ入ってゆく。
その後ろ姿を見送り、男は独りで運転し、来た道を戻る。
しかしその途中、悩み始める。
「これでいいのか」と。
悩んだ挙句にその死を止めようとセンターへ戻り建物に駆け込む。
しかし叔父はすでにベッドでこと切れていた。

男はせめて葬式を合同ではなく自分で出してやろうと、
なんと遺体を盗み出してしまう。
それをあの遺品管理室の外国人女パートがなぜか手伝うのだ。

それぞれの気持ちはわかる。
しかし国が運営する人の死を扱う施設で
そんなことってあり得るだろうか?
他のスタッフや警備員の姿がまったく見えないのだ。
そういったリアリティの乏しさにより私は本気になれなかった。

死んだ叔父のとなりのベッドでは
奇しくも倍賞千恵子が死に臨んでいたわけだが、
その命の行方は実際に観ていただきたい。
そこがこの映画の一番深いところになるのだろう。

映画の中で、
少子高齢化の解決策として国による「合同安楽死」を実施するわけだが、
しかしそれは個人それぞれの人間性を考慮しない切り捨てであり、
例えば企業の人員整理と同じで、
国や企業を残すために不要な部分は切り捨てて調整するのだ。

それとは逆の方法で、
もしも法律で「共同介護法」などが成立したら、どう思うか。
例えば近所数軒を一つのグループにして、
動ける人は動けない人を、
それがまったく知らない人であっても。
介護しなければならなくなったら。

その時が来たら私たちは、
共同介護とPLAN 75のどちらを支持するのだろうか。

しかしどちらも実現はしないだろう。
なぜなら、
そこに利権がなければ議員が立法しないからだ。
このどちらにしても利権が発生するというより、
現在の利権状況を壊しかねないから、
実現はしないだろうと思う。

このPLAN 75を観て思ったことは、
私個人的には「これは案外悪くないな」ということである。
いずれ私も必ず後期高齢者になるわけだが、
その時に金に困らずとも、身体的に困る可能性は否定できない。
すると介助や介護をされる側になるわけだが、
怪我や病気で入院し、
回復のための看護を受けることは別として、
もうそこから枯れて朽ち果てていくだけの自分を、
若い人たちの時間と労力を使い、
そこに年間数百万円の税金を投入し、
介護されるようなことは絶対に拒否したい。
拒否の意思があるうちに拒否しておきたい。
もちろん私の個人的な気持ちであるから、
違う意見を否定するつもりはまったくない。

私自身は、
歩けなくなったら終わり。
口から食べられなくなったら終わり。
そう考えているので、
PLAN 75、悪くないじゃないか。
貰える10万円はちょっと少ないと思ったが。

少子高齢化の問題は、
人権やら人間性やら、そして経済やら利権やらが複雑に絡み合い、
すべてをここに書くことは無理で省略した文章になってしまったが、
どこかで目を瞑って「えいっ」と断ち切ってしまうことも
解決につながるのかもしれないと少し思っている。
判断をAIにでも任せて、優先事項を「国の未来」とでも設定すれば、
もしかすると「えいっ」とまず私からやられてしまうかもしれない。

しかし高齢者たちが善意で
「いいよ、国のため、子供のためならその選択でもいいよ」
と承諾したとしても、
結局そこに何らか利権構造を作られ、
せっかくの善意が国の未来のためでなく、
利権屋たちの懐のためにしかならないことは予想できる。

映画に戻ると、
倍賞千恵子や叔父さんが死ぬにはまだ早いのではないか。
まだ身体が動くのだから、十分に働けるだろう。
75歳以上だと職がない、というような設定になっていたが、
それこそ知恵を絞って考えるべき問題だろう。

以上、上にダラダラと書いたが、
しかし私も本当の高齢になればあっさりと変節し、
上に書いた気持ちと真逆のことを言う可能性もある。
ボケて施設に入れられ、卑猥な言葉を絶叫し
全裸でウンコをぼとぼと落としながら徘徊する未来だって、
絶対に来ないとも限らないのだ。


文とは関係ないが、
今日はこれから温泉に行ってきます。
20231203

E V O L U C I O



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