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なぜかシャンソンを語る 8 美輪明宏

2015-08-08 21:06:53 | なぜかシャンソン
7のつづき。

リサイタル後半はシャンソンを美輪は歌った。

焼け野原に落ちる夕日のような色の舞台で、
シャンソンの歌詞に込められた物語を美輪は、
主人公が瞬時に乗り移ったかのように、
一曲数分間の世界を構築し、
我々にその夢を垣間見せ、
愛、あるいは狂気の余韻を闇に残して
幕間にその都度消えた。

一曲ごとの演劇を私たちは息をすることも忘れたように魅入り、
美輪が袖に消えると一斉に「ふーっ」と長い溜息をつくのだった。

そしてまた美輪さんは何事もなかったように舞台に現れて、
いろいろな話をし、
それが次の曲の前振りだったか
脈絡がなかったかはもう憶えていないが、
次の前奏が始まるとまた途端に瞬間的に
会場は新たな物語に包まれるのだった。

それを私は見ながら、
ああ、この人は如来か菩薩かインドの神様なのかもしれない、と思った。
まあ如来も菩薩も本来インドの神様なのだけれど、
少なくとも一神教の系統ではないなと感じた。

観ているうちに黄色い頭の美輪さんが浮遊して、雲に乗って、
飛んでいってしまうのでは、という感覚に満たされ始めた。
もし本当に飛んでいっても不思議ではないという気持ちだった。

そしてもうひとつ、
「ああ、この人は強いな」だった。

善悪を問わず飲み込んで溶かしてしまう超越性を感じた。

美輪さんについてはっきりと書いてしまえば、
私としては気に入らないところもあった。
具体的には、スピリチュアルだのオーラだの、
○○になれるアプリだの、である。

私はその日、そこの部分を見極めに行ったのだった。
「本物か偽物か」をである。

その日から後、長い時間を美輪明宏について考えたが、
結論から言うと、
私の小さな尺度では計りきれないのだった。

混沌としているからこその完成形という存在を理解するには、
私にはまだ早かった、ということか。しかし、

「本物か偽物か」
これを美輪明宏に問う時、私が判断の基準にするのは結局、
言葉ではなく、姿かたちではなく、行動である。

つづく。
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