青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

大阪・アメリカ村

2021-01-30 | 昭和・懐かしい大阪の風景

昨年からのコロナ感染拡大で、大阪では夜の街、特にミナミが危ないと言われて来ました。ニュース等で見る限り、ミナミから人の姿が激減しているようです。

僕はミナミには縁が余りありませんでした。道頓堀より北。つまり心斎橋までがテリトリーで、それより南に行くのは大阪府立体育会館もしくは、南街劇場に行くくらい。大学時代以降になって、やっと日本橋の電器街に繰り出すようになりましたが、それも車で直接買い物に行っていたので、飲食やファッションのお店には無縁でした。

道頓堀より北に位置するのですが、ミナミのシンボルの1つで僕が嫌いだったのが「アメリカ村」です。中古レコード「キングコング」や、タワーレコード(キタには無かった)を訪ねて行きはしましたが、雰囲気が馴染めない。

若者の新しい文化の発信基地と呼ばれましたが、ゴミが溢れる公園を中心に、いかがわしい露店にヤンキーの兄ちゃん等、1つ間違えると喧嘩になる種火が落ちている街という印象でした。そんなアメリカ村も、実は昭和45年(1970年)頃から若者を集め出したという、今では老舗の街です。

写真は昭和54年(1979年)のアメリカ村です。


アメリカ映画大百科

2021-01-29 | 本は友達・読書も大切です!

家の中の大掃除を、外出自粛中の時期に行ったのは僕だけではないはず。(笑)いろいろな書籍を僕は処分しました。

この本は、高校生の時に「通販」で買いました。映画雑誌ロードショーやスクリーンに綴込みハガキが付いていて、それで申込むと振込用紙と共に送って来る。分割払いを前提にしていた本です。一括払いで22,000円。

執筆陣が素晴らしく、写真も豊富。内容が実に映画マニア向けという本でした。この手の本は結構騙されてしまった物もありますが、これは素晴らしい本でした。今読むと内容に物足りなさが多少ありますが、インターネットも映画解説本も少なかった当時、この本の持つ膨大なデータは本当に勉強になりました。
 
時々古本屋でも映画関係のものを扱っている所では、全巻セットで発見出来ますが、中割れしてしまっています。製本上糊が古くなり、仕方がないことですが・・・。
 
これが雑誌内の広告ですが、この広告を見て、読みたくて読みたくて胸を躍らせたものです。
 
 
こういう広告に胸躍らせ、バイトで稼いで買う。更に、大阪府立体育会館で開催される新日本プロレスの興行、洋楽のコンサート、映画鑑賞、試写会、レコード、カセットテープ代や定期購読している本代も捻出しないといけませんので、親からの小遣い毎月3,000円では全く足りず、アルバイトに精を出していました。
 
でも、投資しただけの知識や楽しみを満喫できたのが70年代。今考えても、ネットで得る知識よりも遥かに深みのある知識を本からは得ることが出来たと思います。映画についてなら、書籍での映画評論家と言われる人たちの書いた記事は、映画への愛情・リスペクト溢れる内容でした。また、その映画の時代背景や文化等の周辺知識にも言及しており、勉強になったものです。
 
今はネットで大勢の感想を読むことは出来ますが、どんな教養をお持ちの、何歳位の人が書いたかも分からず、また映画への愛情よりもご自身の費用対効果を考えて書かれたものが多く、僕には全く参考になりません。きちんとした業界の良識評論家とでも言うべき人が、今は少なくなりました。
 
映画や音楽を通して、海外に行きたいという夢溢れた時代が、僕の青春時代だったことについて、とてもラッキーだったと僕は感じています。

ホラー映画ブームの終焉!

2021-01-28 | 青春・名画劇場

80年代の映画の宣伝の上手さを物語る1つの材料として、「ゴースト血のシャワー」という映画がありました。見所はただ1つ。女性が船内のシャワーを浴びるシーンで、水が血に変わり悲鳴をあげるというシーンのみ。原題は「デス・シップ」。アメリカのチラシと日本のチラシを比較すれば、どれだけ面白くない映画を面白く化粧を施すかという作業に、日本の配給会社が長けていた事がご理解頂けると思います。

しかし中には、スタンリー・キューブリックが監督した「シャイニング」のように、独特の恐怖と映像美を追求したホラーもあり、またナスターシャ・キンスキーの「キャット・ピープル」のような有名女優を使ったリメイクもまだまだ残っていました。

そして根強いゾンビ人気に支えられ、「サンゲリア」「ゾンゲリア」など、ゾンビものでも題名で区別がつかなくなるような作品が多く公開されました。とにかく美女がキャーキャーと悲鳴を上げて逃げる!突然の殺人鬼の登場で、館内の女性が驚けば良かったのです。お化け屋敷ですから。(笑)ブギーマンというキャラクターで「ハロウィン」シリーズもありました。

さて、このようにこれまでの大作は、やはり神と悪魔の対決。根底にキリスト教が流れる映画が作られていましたが、やや流れが変わってきました。ホラー映画と言いながらも、霊魂や悪魔とは一線を引く人間、つまり犯罪者の実話に基づく映画が多く作られるようになりました。呼び物は特撮による残酷描写と、血しぶき・・・その総称も新たに「スプラッター・ムービー」と呼ばれるようになりました。

そのパイオニアとなり、大ヒットしたのが「死霊のはらわた」でした。1983年の作品。新人のサム・ライミ監督の作品。月並みなプロットをカメラワークに凝りまくることで斬新な作品に仕立て上げました。この作品はホラーとスプラッターの境界を初めて意図的に取り外した作品としても、エポック・メイキングな作品でした。

これ以降の多くのホラーは、劇場ではなくビデオでリリースされるものが多くなりました。残酷描写にウエイトが置かれるようになり、女性客が、このお化け屋敷を良しとせず、劇場から遠ざかって行ったのです。「恐い」映画から「気持ち悪い猟奇的殺人」映画へと移行してしまった為に、劇場がもはやお化け屋敷ではなくなってしまったのです。当然カップルが足を運ばなくなり、ホラーオタクのお兄ちゃんが1人で来るようになっては、観客動員も見込めません。こうしてホラーは確実に劇場から衰退し始めました。

「地獄の門」「ビヨンド」「死霊のしたたり」「ミミズバーガー」「スクワーム」「悪魔の沼」「血のバレンタイン」「面会時間」・・・・こういう流れは僕は嫌いでした。嫌悪すら覚えたものです。お化け屋敷は大勢で、カップルで楽しく肝試しとして楽しむイベントです。それが自室で1人で楽しむものになった先には、変質的にこういう映画に興味を抱くものが現れると言う恐れを抱きました。案の定、この後「宮崎事件」「酒鬼薔薇聖斗事件」というような事件が世の中に起きて行くのでした。

ここに紹介したような映画を鑑賞しようと思えば、マニア向けの少し高額のDVDを購入するか、品揃えの豊富なレンタル店を回るか、深夜のローカル局をチェックすることになると思います。真夜中にこの手の映画を観るのは気持ちが悪いかも知れませんが、ご夫婦で懐かしく見ることがあるかも知れませんね。

その時はご安心下さい。テレビにはコマーシャルが入りますので、恐怖心も半減します。特に大阪のサンテレビなどでは、下のような関西ローカルのCMが流れますから。(笑)(この項終わり)


80年代キャラクター・ホラー ~ジェイソン&フレディ

2021-01-27 | 青春・名画劇場

さて70年代までのホラーの歴史について書いて来ましたが、この大人の「お化け屋敷」とも言えるホラー映画が80年代に入り、どう変わって行ったかを今日は書いてみましょう。

80年代に入り、一時鳴りを潜めていたホラー映画が復活して、再度ブームを呼ぼうというムードが高まって来ました。トビー・フーパー監督作品や、スティーブン・キング原作の作品が封切られるようになったからです。

そして80年の夏、ホラー映画ブームに火をつけたのが、ご存知「13日の金曜日」でした!サマーキャンプ場に集まった男女が次々と殺されていく・・・。この頃から血まみれ映画への方向性が模索されながらも、ジェイソンというキャラクターを造り上げ、古き時代のホラー要素も融合させようとしているようでした。しつこいとは言え、このシリーズは11作もの続編が作られています。そして「エルム街の悪夢」ではフレディというキャラクターを確立し、8作品も作られている。昔のドラキュラのようにキャラクターも重要視されて来たのです。

ともあれ、次々と大量殺人を犯す殺人鬼が主役になるというホラーは、館内を悲鳴で埋めるには十分で、「バーニング」などもヒット!「地獄のモーテル」のように、面白くもないホラーを、宣伝により面白く見せてヒットさせる手法も、配給会社は手馴れたものとしてこなして行きました。実際「予告編」の素晴らしい出来を見て、映画館に足を運び、何度騙されたことか・・・・・

ちなみに僕がこの「地獄のモーテル」を見たのは、梅田の阪急ファイブ横にあったニューOS劇場でした。80年の秋の公開初日で、ナビオ阪急オープンの日でもありました。上映が開始されても館内の照明が落ちないというハプニングもあり、全く悲鳴の1つも上がらない映画でした。

そういう映画が今では逆に、テレビ放送も無くロングランもしなかったため、逆にカルト作品化してDVD化されては人気を博するようです。(続く)

 

品切れ・入荷未定 ~いつまで続く?

2021-01-26 | 昭和・思い出は色褪せない

コロナウィルスの感染拡大には怒りを覚えますし、危機感を覚えざるを得ません。身近な所(知人の友人や職場)にも、感染者や亡くなった方がいるということを以前よりも耳にすることが増えました。マスク着用の徹底・手洗い・うがいをしつつ、栄養のあるものを食べ、ゆっくり身体を休める。そして、用もないのに人混みに揉まれないようにしましょう。

「病は気から」です。気持ちが高揚していれば、免疫力も上がります!

さて、コロナ感染から1年が経ちました。最初はどこに行っても「マスク」が売り切れ状態。トイレットペーパーの売り切れ、体温計の売り切れ、イソジンの売り切れ・・・いろんな物が入手困難になり、今は「パルスオキシメーター」が手に入りません。通販サイトを見ても、そもそもの適正価格が全く分からず、日本製の製品は売っていません。あるのは中国から発送の「日本製」、使われている部品が日本製?のような製品ばかりです。ネットを見るたびに、ネットの情報の中身の薄さに辟易するばかりです。

お店では、~次回入荷は未定です~ という貼り紙をこの1年よく見かけました。その光景、僕はこれまでに人生で何度も見ました。最初はオイルショックの時のトイレットペーパー。でも、親と一緒に買いに行き、買うことが出来ました。「仮面ライダー・スナック」の時も?と思いましたが、あの時は品薄ではありませんでした。ウォークマンもなかなか買えなかった記憶があります。

でも、おそらく僕の鮮明な品薄体験で、印象深いのはこの時です。

80年のルービックキューブ・・・初めて見たのは友人の家でした。それは何かと尋ねると、6面をそれぞれの色に揃えるゲームだと。教えてもらいながら1面は出来たのですが、その時はそこまで。友人はその時、目の前であれよあれよと4面を完成させるも、6面は揃わなかった・・と記憶しています。

ところが・・・後日、僕が妹の買ったルービックキューブで2~3面揃えたことを友人に自慢気に話すと、「今はみんなが何秒で6面揃えるかを競っているから。3面とか言うと笑われるぞ」と、笑われたのを覚えています。

悔しいけれど、僕は6面完成させた経験はありません。でも、そもそもルービックキューブを、自分で買っていないので良しとしています。(笑)