青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

梅雨の “向日葵”

2024-06-28 | 日記
梅雨と言えば「紫陽花」や「でんでん虫」のイメージ。昔は「子供の傘と長靴」という光景も、日常のものでした。しかしそういうイメージはどんどん薄れています。
 
梅雨のシトシト長雨ではなく、まとまった雨の日と夏日が交互に来るのが現在の梅雨です。
 
だから今年、僕の家の庭には既に・・向日葵が‼
 
 
綺麗に咲いています。これ、今年の数日前に撮った写真です。
 
最近日常の事を忘れがちな母親も、「庭の向日葵が綺麗だね」という僕に、「ソフィア・ローレンを思い出すね」と応えてくれたのが嬉しい。ソフィア・ローレンの映画「ひまわり」を観てストーリーまでも知っている人、このブログを読んでくれている皆様の中でも、何人が知っているでしょう。
 

大阪万博を“大成功”させる決定打!

2024-06-24 | 今を考える

大阪万博がいろんな問題を抱えた上に、超・不人気です。

吉村知事が、大阪府内の小・中・高校およそ1900校、102万人の生徒を無料招待すると言っても反応は冷ややかで、実際にどの程度の数の学校および生徒が参加するのか分からない。府の教育庁が各学校にアンケートを行うも、アンケートの回答は『参加を希望』か『参加は未定・検討中』の二択で、『参加を希望しない』が無かったことも批判の的に。だから回答しなかった学校も多かった。

それでは次はと吉村知事、府内に住む4歳または5歳の幼児(約13万人)を無料で招待する計画をぶち上げるも、《まるで地雷原に子供を招待すようなものだな》《売れない万博チケットを税金でさばく吉村洋文》と批判的な意見が噴出。

しかも、一部のパビリオン建設が間に合わないとは以前から言われていますが、追い打ちをかけるように、新たな万博から撤退する国々も出ています。

開催期間が真夏でもあり、熱中症で倒れる人が大勢出るのではないかと心配にもなりますし、会場をニュースで見ても、1970年の大阪万博とは全く違い、何だかパビリオンは広い敷地にポツポツ状態。周囲を含めた景観を見ても、何だか本当に殺風景で「夢の島」(ゴミ捨て場)のよう。

1970年の大阪万博の時は、大きなイベントに対する珍しさという「好材料」「追い風」があったことは事実ですが、それよりも何よりも、子供だけではなく人々が観に行きたい!という目玉商品が万博にあり、それが多くの人々を惹きつけたのです。それは「月の石」

この威力は凄かった。アメリカ館は連日長蛇の列で、夏休みには待ち時間5時間の行列が出来、当時でも日射病でバタバタ人が倒れました。パビリオンのデザインも斬新だし、モノレール、電気自動車、テレビ電話に携帯電話、缶コーヒーが話題に。全部今では当たり前のモノばかりですが(笑)

そういうものが今回は無い!だからそもそも不人気なのです。目玉の無い興行が当たる訳が無い!

大阪万博を成功に導くには、今からでも遅くはありません。アメリカに全面協力を掛け合って、「エリア51」から墜落したUFOと宇宙人を貸してもらうのです!

こんな風にアメリカ館に宇宙人を展示すれば、来年の大阪万博は70年万博を凌駕するでしょう!大成功は間違いありません。

 


渋谷フィルムコレクション ~レンタルVHS

2024-06-22 | こんな「モノ」ありました!

昭和の時代、観たい映画があってもなかなか観ることが叶わず、年末年始のTVの深夜放送枠に気を配り、他府県に住む友人から、地元ローカル局の映画放送予定を教えてもらって録画をお願いしたり、2番館、3番館まで足を運んだりしました。

それがレンタルビデオ店の出現で、かなりの数の名作映画を自宅で観ることが可能となり、観たいものが多過ぎてお金が足りないのでレンタルビデオ店でバイトを始め、最後は学生の身でありながら数店舗の店長まで任されていました。「レンタルビデオ店物語」は3部作として、このブログでも特集しましたので今回は省きますが、その後のレンタルDVD店に以降しての繁栄から今や、配信時代になってレンタルの時代が終焉を迎えています。

レンタルレコード、レンタルCD反対云々の騒ぎも、今やどこに行ってしまったのでしょう。TVから歌謡番組も姿を消してしまいました。TVドラマも最近は辻褄のいい加減なもの、考証がなっていないもの、そもそも設定に問題や無理があるものが多過ぎると思ったら、漫画が原作!漫画が悪いのではなく、現実離れした設定に納得が行かないどころか、その為に観る気がしない作品が多いという現実があります。

ちょっと社会に歪みすら覚えてしまいます。

昔は良かった・・とボヤくと共に思い出したのが、この東京・渋谷のかつてのTSUTAYA。リニューアル前の渋谷TSUTAYAの館内には、豊富なレンタルCD・DVDがぎっしりと詰まっていましたが、中でも、VHSコーナーは特筆ものでした。他店では手に入らないマニアックなタイトル、DVD化されていない映画作品を豊富に揃えていて、多くの映画ファンに愛されている場所でもありました。

今の若者からは古いと思われる、でも僕にはまだまだ新しいと思われる80年代~90年代の多くの映画作品が、DVD化されずに世の中から消えて行こうとしています。そういう作品を観ることが出来たお店がこの渋谷店だったのですが、このビデオレンタルサービスも終わったそうです。

企業にも人間と同じように、ある程度「寿命」があると僕は考えます。レンタルビデオやレンタルレコード店は終わりました。LDからDVDへとメディアを変化させながら生き延びて来ましたが、ダウンロードも終わり、配信~サブスクと業務形態が変わり、かつてのレンタル店は終焉を迎えました。

パッケージソフトの販売は、これからも僕が生きている間は続くと思うのですがどうなることでしょう。音楽ではSDCDという素晴らしいものが発売されましたが、高額さゆえというか、素晴らしさを実感するためのハード、高級オーディオというかステレオのシステムが売れていないので、ソフトも普及していません。

世の中は進化か退化なのかは分かりませんが変わり続けて行きます。

 


日本は共産主義国家の完成形になる!?

2024-06-19 | 今を考える

マイナンバーカードの政府の推進方法には、もう呆れてモノが言えません。でも、僕のように先が短い人間はともなく、若い人は呆れている場合ではなく、自分の国を守らないといけません。イギリス領だった香港、今はどうなっていますか?あそこで安心して暮らすことが出来ますか?日本があんな国になるのは、もうすぐです。

マイナカード・・・任意のものが無ければ日々の生活が立ち行かなくなる日は、もう目の前です。任意のものが生活出需品、いや不可欠なものになるって、一体どういうことでしょう。

健康保険代を納めているのに、健康保険で治療を受けることが出来ない。

お金も免許証やパスポートの身分証明書を持っているのに、携帯電話を契約出来ない。

こんなことがまかり通る社会が、自由主義国家とは誰が考えますか?これは完全な「独裁国家」です。社会の大部分の人々が「反対」を唱えていることが、大手を振ってまかり通る。皆さん怖くはないですか?

国民の声を聴かない、しかも優れた賢者でもないこの総理が、「どうです?上手く日本の舵を取ったでしょう?僕を褒めてくれますか?」と赤い国とガッチリ握手。本当にそういう写真に見えてくるから不思議なものです。

犯罪が多いから携帯電話の契約にマイナカード?マイナカードが普及すれば犯罪が減るという理論が、そもそも成り立たない。

更には河野デジタル相がマッチングアプリ事業者に対し、マイナカードによる本人確認の導入を呼びかけました。マッチングアプリ等からの交際でトラブルを起こす人が、独身ではない人ばかりなら良いのですが、独身だと証明出来てもそれが何になるのでしょう。犯罪を減らす?結婚するカップルを増やす?結婚して子供を持つ若者を増やすための施策は、マイナカードじゃない。ここに書いた全て、マイナカードを導入させるための言い訳ばかり。政府の失敗の尻ぬぐいを、なぜ国民に求めるのか?

岸田・河野のKKコンビ、本当にロクでもない。かつての民主党政権時、菅直人の内閣にどれだけ腹を立て、どれだけ政権を手放して欲しいと国民が懇願したか!今の自由民主党には往時の民主党と、同等の傍若無人ぶりを見てとれます。今の内閣に日本を任せることは無理です。

何を言おうが何を始めようが大人しい日本人、随分舐められたものです。政府と言うか、中国辺りの傀儡と化した政治家が日本を「共産国家」にしようとしている。何をしても文句は言っても結局言いなりになる日本人。自分の考えを自分の足で歩いて実行しない日本人。諸外国が日本人をそう評価しているから、政府も安心してそう思っているのでしょう。

LGBTとか、僕の世代に言わせれば、今の若い日本人は昔と違って訳が分からない。そういう現代の若者たちが年寄りが考えるように、果たして動くものでしょうか?正直、日本の将来は野党に任せたら終わりです。でも、自由民主党に任せても同じ。1番良いのは自由民主党内のまだ腐ってはいない、志を失っていない議員が政権を担うしか、日本の明るい将来は無い。

そのためには一旦、自由民主党に対して国民が「NO」を突き付けるしかありません。そのターニングポイントが次の選挙。そこで国民が動かなければ、日本は理想的な共産主義の完成形国家に成り下がるでしょう。

下のような本を、1人でも多くの日本人に今こそ読んでもらいたい。

 


“阪神軽食堂” を知っていますか?

2024-06-15 | 昭和・懐かしい大阪の風景

僕が学生時代に柔道部の先輩に連れていかれた、忘れられない場所がありました。今では知らない人も多いかと思います。それは阪神電車・本線「梅田」駅改札横に位置し、通勤前後や周辺のビジネスマン、買い物客の中高年女性、甲子園球場の観戦客らが多く訪れていた「阪神軽食堂」です。

そこは狭い通路の狭い敷地内に、いろんな飲食店がひしめいた場所でした。「先輩から何でもいくらでも食え!」と言われたのが納得の安さ!かなりお酒の入ったお客も多く、阪急沿線住まいの僕には、当時はあまり馴染のない客層の食堂街に驚きました。

この阪神百貨店横の階段を降りれば正面は改札口がありホームですが、その左に1958年(昭和33年)9月、地下2階に「阪神軽食堂」としてオープンした同フロアがありました。

写真は昭和40年(1965年)頃のもの。まだ出来た所で綺麗な場所でしたが、それが徐々に変化して行き、いつの間にやら本当に雑多な雰囲気の場所に。時間を取らずに軽く食事を取る人々と、安い値段で酔っぱらうお客が混在していました。昭和50年(1975年)頃から僕はここを知っていますが、綺麗な場所とは思えなかったし、いわゆる普通のカップルがデートで行くのには相応しい場所ではなかった。僕は甲子園球場に阪神ー巨人戦を観戦に行く前の腹ごしらえに、ここを使ったものです。

そして社会人になり気が付いたらこの場所は、阪神梅田本店地下2階「フードテリア」と名前を変え、綺麗に改装されたスペースに様変わりしていました。

長い営業に幕を下ろす営業終了は、平成26年(2014年)3月31日。その頃はお店も昔とは違い、「アサヒビアダイニング スーパードライ阪神」「らーめん 麺匠 梅田一番」、カフェ・サンドイッチ「ヘンゼル」、パスタ&ピザ「プリモ ピアット」、飲茶「蓬莱飲茶551」、「カレーショップ ベンガル」、お好み焼き・焼きそば「銀杏家」、すし「兵太郎」、「ごはん屋 旬」「天ぷら 森」「うどん・そば 讃州一番」の11店舗でした。

ここで食事をせずとも立ち寄った方もいるだろうと思われるのが、「ミックスジュース」のお店です。阪神百貨店の名物ミックスジュースは、店内には勿論お店がありましたが、ここにも出店していました。

現在でもこのお店だけは、姿を留めています。

梅田がどんどん変わり続け、マルビルも解体が進んでいますし、昭和の香りを留める場所が今では本当に少なくなりました。