青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

関西初開催! “燃える闘魂・アントニオ猪木展” に急げ!

2023-11-25 | 素晴らしかった興行・イベント

関西初開催となるアントニオ猪木80th Anniversary「燃える闘魂・アントニオ猪木展」も、明日26日の日曜日午後5時までとなりました。場所は阪神百貨店1Fサウスエリです。入場料無料にしては見応えのある「猪木展」。マニアほどに楽しめるものが並んでいます。

猪木が使った「闘魂棒」は手に取ることが出来ますし、場内撮影も自由なのが嬉しいですね。

こんな変わったものもありました。

参議院議員当選証書。平成元年、猪木さんの選挙戦の応援をしていた頃のことを思い出しました。

こちらは力道山と猪木さんの書いた「闘魂」。並べて見るのは、さすがに初めて。

猪木さんが使っていた練習着も懐かしいですが、背後の東スポ撮影の写真がまた、気が利いていました。大阪での猪木の試合が数多くセレクトされていました。ゴッチ、パターソン、シン、アンドレ、バックランド、ハンセン・・全て今は無き「大阪府立体育会館」での試合のもの。僕は全試合会場で観戦していました。

1番見たかったのはこれ。モハメッド・アリ直筆の猪木さんへの手紙。この手紙の中でアリは、「私の人生でいろんな相手と戦ってきたが、あれだけ肉体的にも精神的にも強かったのは君だけだった」と猪木さんを称えています。

そして、何よりも興味深かったのは、追伸として書かれた部分です。

After this pleasant occasions we shall fight in your beautiful country after the 1st of the year.

「この素晴らしい式(アリの結婚式)が終わった後、私たちは、美しいあなたの国で闘おう」。

当時はいろいろと騒がれ、後に猪木ーアリの再戦は異種格闘技戦の為のアドバルーン等と揶揄されもしましたが、本人たちは少なくとも再戦を視野に入れていたことが分かります。手紙は猪木さん自身が木製の額に入れたままの状態で展示されています。これまで表舞台に出ることが無かった、世紀の一戦が真剣勝負であったことを明かすこの手紙こそ、猪木展のメインでした。


大阪・御堂筋の“百尺制限”

2023-11-23 | 昭和・懐かしい大阪の風景

銀杏並木が美しい、大阪の御堂筋。

御堂筋が出来た時は、「どうしてこんなに広い道路が必要なのか?」という声が溢れましたが、今ではその時の判断が正しかったと証明されています。また、御堂筋は写真のように双方向の通行でした。現在のように南向き一方通行ではなかったのです。昭和45年(1970年)から、現在のように南向き一方通行になりました。

写真は昭和36年のもので、淀屋橋付近から南を臨んだものです。高度成長期にあった昭和30年代には、御堂筋沿道でビル建設ラッシュとなりましたが、ご存知のように御堂筋の淀屋橋-本町間(1.1キロ)が美しい景観を今日も保っているのは、沿道のビルの高さを31メートルまでに制限した「百尺制限」が守られたからです。大阪市の100年先を見据えた明確な都市イメージを基に、景観に配慮するこの制限によって、美しいオフィス街を形成することが出来ました。

平成7年(1995年)には、原則50メートルに緩和。現在は再緩和によって50メートルを超える上層部は歩道からの後退幅に応じて高くできるようになり、100メートル超のビル建設も可能になっています。大阪の御堂筋は秋から年末にかけて、本当に美しくなります。少し寒くはなりますが、これからの季節の散歩に如何ですか?


梅田新歩道橋 ~大阪・梅田の中心!

2023-11-21 | 昭和・懐かしい大阪の風景

現在梅田は「阪神百貨店」にて「アントニオ猪木展」が開催されていますが、残り1週間の開催となりました。僕は初日の15日に行くつもりが歩けなくなって、最終日までに行くことが出来るのか心配になって来ました。また、歩くどころか腰も悪いので座るのがつらく、ブログ更新もなかなか思うように行きません。ブログ・ネタは幾らでもあるのに・・・。気温の変化も激しいので、皆さんも健康にはくれぐれも気を付けながら、適度な運動を心がけて下さい。

今日から1等前後賞あわせて10億円の「年末ジャンボ」が発売開始。有馬記念の投票も始まっていますので、いよいよ年末のムードが僕的には高まって来ました。梅田でクリスマス・プレゼントを探したり、本屋さんを歩いて新刊を眺めたりというのも、適当な運動になります。1度買い物に出掛けると15,000歩は超えますから。

大阪・梅田のど真ん中と言えば、この阪急~阪神百貨店前の「梅田新歩道橋」でした。学生時代にここに足を向けると、必ずと言っていいほどTV局の街頭インタビューや、TV番組の撮影に出くわしたものです。

梅田新歩道橋は、交通量が急増する大阪駅前で事故が増加していたのを受け、松下幸之助氏の意向により寄贈されたものです。パナソニックというより、「ナショナル」という名前が僕には馴染深い。写真は昭和39年10月、完成した歩道橋を大阪市立曽根崎小学校の児童が渡り始めをしているところです。

橋には「寄贈 昭和39年10月 松下電器産業株式會社」のプレートがあるのを、僕は昭和40年代に確認しましたが、歩道橋が現在のように新しいものに変わった今、そのプレートはどうなったのでしょうか?

変わり行くのは「街の景色」だけではなく、世の中、人の心も変わって行きます。今日も「生活保護費を1日1000円ずつ手渡しし、全額支給していなかった」ことが報道されましたが、ヤフーコメントを見ると、パチンコや遊興費に受給者が使うことが多いので・・ということを理由に「私は職員の考えに近い」と、違法な分割払いや金額の減額を許容している意見が多いことに驚きました。

他人に対して思いやりの無い人=自分自身が幸せではない人が増え、常識がいよいよ崩壊して来たと感じます。


映画“ラストショー”の風景 ~蛍池

2023-11-19 | 昭和・懐かしい北摂の風景

映画「ラスト・ショー」をご存知の方いらっしゃいますか?「ラスト・ショーThe Last Picture Show)は1971年のアメリカ映画で、テキサスの小さな町アナリーンの若者を描いた青春映画です。若者が小さな町から都会へ出て行くのは、「アメリカン・グラフィティ」でもお馴染みのパターンですが、「ラスト・ショー」はもっと小さな田舎町が舞台で、その町に唯一ある社交場・映画館が、ジョン・ウェインの「赤い河」の上映を最後に閉館する。その映画館の寂しい風景を思い出すような1枚の写真がこれです。

映画館ではなくパチンコ屋なのですが(笑)

昭和40年頃の阪急電車・宝塚線・蛍池駅前から、国道176号を挟んで「空港センター」を見たものです。1階がパチンコ屋、2階が雀荘。こんな小さな駅にでも、当時はこんな大きなパチンコ屋さんが3軒もありました。ここは蛍池東町ですが、中町、北町にもパチンコ屋はありました。

この空港センターも、隣接する電気屋さんも生命保険営業所も、現在は消え去っています。現在の風景はこちら。

そしてこちらは、昭和56年(1981年)の蛍池駅ホームです。

3100系6連の雲雀丘花屋敷行きの普通列車が蛍池駅に入線している所です。ここは1997年(平成9年)にモノレールが大阪国際空港まで路線を伸ばすまで、空港の最寄り駅でした。ホームは終日賑わいを見せ、駅前からは空港への阪急バスが、引っ切り無しに発着していました。

左背後に写るホテルも、空港へのお客を見込んで建てられたホテルの1つですが、1994年の関西国際空港開港によって、海外路線も発着していた名実共に「国際」であった大阪国際空港から国際線が消え、国内線専用の拠点空港になった為、駅も町も寂れてしまいました。また、謎のS字カーブを持つモノレールを引き入れ、蛍池駅西側を大きく立ち退きさせた無理な駅前再開発も裏目に出ました。

この駅を持つ町を衰退させた原因は、明らかに既得権者や営利団体による人災でした。


甦ったビートルズ・サウンド!赤盤・青盤

2023-11-10 | 青春の音盤
本日11月10日、世界同時発売のビートルズ「赤盤」「青盤」。ニュースでもご存知でしょう、ビートルズ最後の新曲「ナウ・アンド・ゼン」は青盤の最後に収録されています。
 
 
しかしスゴイ‼ 全曲リミックスされて、「ラブ・ミー・ドゥ」「プリーズ・プリーズ・ミー」が見事なステレオサウンドで甦っています。これほどまでとは・・・

曲を聴いていると、青春時代の記憶が脳裏に浮かんでは消えて行く・・・
 
これまでは右側のスピーカーから演奏、左側スピーカーからはヴォーカルが聞えるというような懐かしいと言うか、古いサウンドだったものが、普通にステレオサウンドになっていて、楽曲に重厚感が。いや、論より証拠。とにかく楽しめます。
 
これまではビートルズのアルバムを個別に買っていたら、赤・青は要りませんでしたが、昔からのファンにこそ必須のアイテムになりました‼ 朝からビートルズを楽しめて幸せです。