青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

「奇跡の人」を知っていますか?

2016-08-31 | 青春・名画劇場

夏と言えば恐怖映画。そして子供向き映画。映画館だけではなくテレビの洋画劇場でも、僕が学生の頃までは、夜更かしの出来るこの季節、「ドラキュラ」や「半魚人」、「地球最後の日」などが頻繁に放送されていました。最近はスタジオジプリの作品が持てはやされているようです。そこで思い出したのが、映画「奇跡の人」、原題“The Miracle Worker”です。皆さんはご存知ですか?

子供の時この映画のチラシを初めて見た時は、僕は「恐怖映画」だと勘違いをしました。題名の「奇跡の人」や、オスカー像よりも、この上半分の白黒写真のインパクトが大き過ぎたからです。監督のアーサー・ペンは、「逃亡地帯」「俺たちに明日はない」「左ききの拳銃」の名監督。熱病により、目も見えず、耳も聞こえず、言葉も話せなくなった三重苦の少女ヘレン。そこへ、自身も盲目を克服したという女教師アニー・サリバンが現れ、光を失った彼女に「言葉」という光を与えるべく努力を重ねていく名作で、アカデミー賞主演女優賞アン・バンクロフトと助演女優賞パティ・デュークをダブル受賞しています。この作品を僕は夏休みに観ました。

ちなみに、この「奇跡の人」“The Miracle Worker”は、誰のことか分かりますか?ヘレン・ケラーのことだと思っていませんか?これはヘレンの先生であるアニー・サリバンを指しています。“The Miracle Worker”は、何かに対して働きかけて奇跡を起こす人のことです。マサチューセッツ州のフィーディングヒルズには、彼女の記念碑がありました。ここは、アニー・サリバンの生地です。

僕が子供だった頃に比べて今では、ヘレン・ケラーやアニー・サリバンについて知らない人が多いことに驚きます。我々は一体何をどれだけ知っていて、何について議論しているのだろうかと、考えさせられることが最近多くなりました。

さて、ヘレン・ケラーは3度来日しているのですが、そのことを知っている方はいますか?彼女が秋田犬を飼っていたことも知っていますか?

1937年にヘレン・ケラーは日本の各地を講演で回っています。その際に、昭和天皇に拝謁もしています。日本で「忠犬ハチ公」のことを知ったヘレンが、秋田犬が欲しいと言ったことから、秋田署の巡査・小笠原一郎氏が飼っていた秋田犬を彼女にプレゼントしました。この犬の名前が何と「神風」です。しかし、神風はアメリカについてすぐに死んでしまったので、小笠原氏は「神風」の兄「剣山」を彼女に再度プレゼントしています。

“If ever there was an angel in fur, it was Kamikaze. I know I shall never feel quite the same tenderness for any other pet. The Akita dog has all the qualities that appeal to me… he is gentle, companionable and trusty.”

ヘレンが神風について語った言葉です。“毛皮にくるまった天使がいるならば、それは神風。同じ優しさを他のペットに感じることは絶対にありません。あの秋田犬は私の心に訴えかける資質を全て持っています。神風は優しく、気持ちが通じるし、信頼できるの。”


トゥーツ・シールマンス を聴いて欲しい!

2016-08-25 | 青春の音盤

仕事に明け暮れていると、どうしてもニュースに疎くなってしまいます。そんな時にこそ、友人はありがたいと思います。昨日トゥーツ・シールマンスが22日に亡くなったというニュースを教えてくれました。伝説のジャズ・ハーモニカ奏者で、94歳でした。

僕はそれほどシールマンスについて詳しいわけではありませんが、1曲だけ、凄く好きな彼が演奏している曲があります。クインシー・ジョーンズのアルバム「愛のコリーダ」のB面、CDなら8曲目に収録されている「ヴェラス」という曲です。阿川泰子が歌うバージョンが、80年代にコピーの三田工業のCMで使われていたのをご存知の方も、いらっしゃると思います。

 

 

僕が受験勉強をしていた大昔、月曜から金曜までの深夜3時から3時45分まで、FM大阪で「FMステーション~マイ・サウンド・グラフィティ」という番組がオンエアされていました。ウイリアム・ジャクソンという名のアメリカンDJが、英語で紹介しながら、新譜アルバムをほぼ1枚流してくれていましたが、その番組のエンディング曲がこれです。この曲が流れると、もう朝の4時。FM放送も、長い1日を終える時間になります。

僕はそこで眠る日もありましたが、その後もしばらく受験勉強をしていたものです。今でもこのトゥーツ・シールマンスのハーモニカを聴くと、冬の深夜から早朝にかけての硬い空気、蛍光灯の蒼さと夜明けの白みかけた窓が、脳裏に鮮やかに甦ります。苦しくも良き時代でした。月並みですが、明けない夜はないと、新たに迎える1日を信じて疑わなかった自分を思い出します。

友人は、シールマンスを懐かしんで、高校生の時に見に行ったライブのDVDを見なおしたそうです。高校時代にシールマンスを観に行くだけあって、彼は音楽に詳しく、学生時代からヤマハのイベント関連でアルバイトをしながら大学へ進み、音楽会社の社長も務めました。その彼曰く、その懐かしいライブの当時でも既に、シールマンスはおじいちゃんだったと。(笑)

彼の弁を借りると、「セサミストリートのエンディングのインストテーマ曲が有名ですね。ベニーグッドマンの時代から、この人1人でジャズハーモニカのスタイルを確立してしまった偉人。ジョンレノンが“Love Me Do”でハーモニカ吹いていたのも、この人の影響だからね」。彼がこれを聴いてみてと推薦してくれたのがこれ。

 

 

「爺さんになっても、こんな風に音楽を楽しめたら良いなと憧れます。この曲は本人の作曲で、楽屋で口笛を吹いているのを聴いたステファン・グラッペリが良い曲だから発表するべきと勧めたらしい。ステファン・グラッペリも大好きな爺さんバイオリニストです。」との推薦でした。

音楽は1人で聴くものではなく、僕は友人たちと聴くものでした。レンタルもネットも情報もなかった時代、レコードを聴くには自分だけの経済力では足りませんでしたから。(笑)いろいろなことが便利になったからこそ、より多くの人と繋がることができ、そのためにも英語が出来ればネットワークが広がる!今の若者は、その逆を行っているような気がします・・・。