青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

感動の全英オープン ~59歳ワトソン優勝逃す!

2009-07-21 | スポーツの話題

「全英オープン」最終日、トム・ワトソンは59歳での史上最年長メジャー優勝まで、ほんのあと僅かまで迫り、6度目のクラレットジャグに片手を掛けたが、するりとすり抜けた。

ゴルフの全英オープン選手権は19日、英北西部のターンベリー・エイルサコース(7204ヤード、パー70)で最終ラウンドを行い、スチュワート・シンク(米国)が59歳のトム・ワトソン(米国)をプレーオフの末に破り、メジャー初優勝を果たした。優勝賞金は75万ポンド(約1億1500万円)。ワトソンのメジャー史上最年長優勝はなりませんでした。

「Old fogey almost did it.」

“時代遅れがほぼやり遂げた”- ワトソンは、この日の戦いを自らそう形容した。59歳10か月のメジャーを含むツアー史上最年長優勝、そして26年ぶりで最多となる6度目の大会制覇が目の前に見えた。1打リードの単独首位を守って迎えた最終18番ホール。誰もが歴史が変わる瞬間を予感した、この最終18番に落とし穴があった。フェアウエーからの第2打。残り約190ヤード。9アイアンと迷い、8アイアンを握った。ボールはピン筋に飛んだが、グリーン奥にこぼれた。「ショートだけは絶対に避けたかった」というパターでの寄せがオーバー。ウイニングパットとなるこの2メートル半を外し、3組前のシンクにプレーオフを許してしまった。

この8アイアンの選択は痛かった。59歳の脚に、夕闇迫り、気温も下がり始めたリンクスで、ボールにバックスピンをかけるだけの力が残されていなかった。この日は全選手がスコアを落とす消耗戦。ワトソンは最終組だけに、先にプレーする選手がトラブルになるたびに、冷たい風の吹くコース上でプレーを待たされ続けた。張りつめた気持ちが緩み、逆に筋肉は疲れから硬直して行く。これではショットに影響が出ないわけがない。私はワトソンの敗因はそこにあったと見る。結果、プレーオフは6打の大差で完敗。世界中が期待した奇蹟は起こらなかった。

ティーオフから5時間が過ぎたプレーオフの最終18番ホール。「足が働かなくなり」(ワトソン談)、ショットは右へ左へ痛々しいほど乱れた。かつて「栄光への花道」として歩んだ18番のフェアウエーで、ワトソンは何かをじっとこらえるように唇をかみしめていた。敗北が決定的なワトソンが18番グリーンへ戻ってくると、周りをぐるりと取り囲んだギャラリースタンドの人々が総立ちとなり、温かい拍手と歓声で疲れ切った老兵を出迎える。それは、これまでの寒さや疲れも吹き飛ぶような、心温まる瞬間だった。激闘に終止符が打たれると、ターンベリーの風は穏やかになった。ワトソンには勝者より大きな拍手が送られた。

ワトソンがターンベリーで見せてくれたのは、パーを拾うことの大切さ。パーオンしなくても、バンカーやグリーンサイドからアプローチを寄せていく。パーパットを沈めると、スコットランドのギャラリーは大歓声を挙げてワトソンを褒め称えた。1977年のニクラウスとの死闘が「白昼の決闘」なら、2009年は「黄昏の決闘」だった。

実はこの大会前週の日曜日、ワトソンは1977年のターンベリーで「白昼の決闘」と呼ばれる名勝負を演じたジャック・ニクラウス(69)と夕食をともにし、昔話に花を咲かせた。ワインを数本空けた後でもスコットランドの空はまだ明るい。2人で午後11時ごろから近くのコースへ繰り出し、パー3のショートホールで「真夜中の決闘」を楽しんだ。駆けつけた警備員も「ジャックさんじゃないですか!どうぞ続けてください」と驚きを隠せなかった超豪華競演。「勝敗?楽しんだだけだよ」と笑ったが、盟友の存在が支えになった。激闘を見守ったニクラウスは地元紙に「本当に静かに見ていた。みんなと同じようにね・・・。でも涙が出たよ。すばらしいことをやってくれた」とワトソンを讃えた。

優勝したシンクは、「ギャラリーの大半がワトソンの優勝に期待していたことは知っていた。私は観衆が100%味方につくタイプではない。それが私の立場だ。」と語る一方で、「子どもの頃からの憧れの存在と競うなんて超現実的な経験だった。彼は時間を元に戻した。」と、ワトソンに敬意を表することも忘れなかった。「自分を疑ったこともあった。でも、これで乗り越えることができた。これから新しい章が始まる」。“無冠の帝王” スチュワート・シンクが、次の時代のページをめくった。

ほぼ手中にしていた59歳のメジャー最年長優勝を土壇場で逃したトム・ワトソン。試合後は、悔しさをにじませながらも、ウイットに富んだ記者会見を行った。重苦しさに包まれた会見場。記者が会見場にゾロゾロやってくる様子を見て、ワトソンは開口一番「これは葬式じゃないんだよ」と冗談を飛ばし、深いしわが刻まれた顔をほころばせた。

―試合直後のインタビューで『失望している』といっていたが

「すごく失望している。はらわたを切り裂くようにね。受け入れるのは簡単なことではない。涙がこぼれそうなほど、がっかりしている。優勝するつもりだったが、最後のホール(本戦の18番)でそれがかなわなかった。(2打目を)8Iではなく9Iで打てばよかったと思っている。遠くに飛び過ぎた。プレーオフでは悪いショットを繰り返した。」

―シンクについては

「スチュアート(シンク)は勝つために必要なことをやった。プレーオフでは競い合うことができなかった。スチュアートには『おめでとう』といいたい。」

―最後は疲労が敗因か

「そのように見えたかい?そうは感じていなかったが、そうなのかもしれない。プレーオフの17番では足が動かなかったが、そのときのスチュアートはすごくいい状態だった。」

―また勝つチャンスはあるか

「もちろんあるさ。まだ私は戦える、そう信じられた1週間だった。来年のセントアンドリュースでも十分戦えるさ。」

この日、全英オープンの歴史に新たに刻まれた1ページは、皆が語り継ぐにふさわしい珠玉のストーリーだった。


ポール・マッカートニー、シティ・フィールド Live 2009

2009-07-18 | 素晴らしかった興行・イベント

この夏のビッグ・イベントをニューヨークからレポートすることを、誇りに思います!7月17日の金曜日を、僕は忘れません!先週は東京でサイモンとガーファンクルのコンサートを観て、今日はポールのコンサートをニューヨークで観ました。

大リーグ・ニューヨーク・メッツの本拠地だったシェア・スタジアム。昨年取り壊しを迎えた際、その歴史の最後となったのは、ビリー・ジョエルのコンサートだった。そこにこの球場で1965年に史上初の球場コンサートを行ったビートルズの元メンバー、ポール・マッカートニーがゲストで出演し、歴史は幕を閉じた。

そしてこの7月17日の金曜日、米ニューヨークのメッツの新しい本拠地となった野球場、「Citi Field」で、再びポール・マッカートニーがコンサートを行なった。この球場は、昨年までメッツが本拠地にしていたシェア・スタジアムに替わる新球場だ。

2日連続のコンサートのチケットは、やや高額の値段の為か、実は当日も少し残っていた。しかしフタを開けると、超満員の大観衆を集めた!グッズ売り場も大盛況。売り場の雰囲気はどの国も同じ。60代以上のおじいさんも、ポールTシャツを購入してその場で着替えている。(笑)

“Drive My Car”で幕を開けたコンサート。この2日前にエド・サリバン劇場の大ひさしの上でライブを行っていたので、ポールのコンディションの良さは分かっていたが、相変わらず元気一杯のコンサートだった。ジョン・レノンに“Here Today”を、ジョージ・ハリスンには“Something”を捧げる恒例になったセットリストは安心して聴くことが出来る。

ただ、意外な選曲が2曲、この日演奏された。3曲目の“Only Mama Knows”と、“I'm Down”だ。

“I'm Down”は、9・17テロの追悼の際にもポールが披露した曲だが、今回はこの大不況によって演奏したのかも知れない。アメリカとは言え、ポールのコンサートを後何回見ることが出来るかは誰にも分からないとあって、家族連れでコンサートを楽しむ人が多かったような気がする。マイケル・ジャクソンの追悼に、“Say Say Say”を期待するという会話もファンの間から聞こえてきていたが、さすがにそれは無かった。

しかしサプライズはやはりあった!アンコールの“I Saw Her Standing There”に、昨年のシェア・スタジアムでのラスト・コンサートを行なったビリー・ジョエルが今回は逆飛び入りし、ポールと共演したのだ!さすがにこれには、ニューヨークっ子も大喜びだった!こういうコンサートはアメリカならでは。日本とはどうしても会場の熱気が違います。

 

2009. July 17
Citi Field Live / Paul McCartney

Drive My Car
Jet
Only Mama Knows
Flaming Pie
Got To Get You Into My Life
Let Me Roll It ~ Foxy Lady
Highway
All My Loving
The Long And Winding Road
My Love
Blackbird
Here Today
Dance Tonight
Calico Skies
Mrs Vanderbilt
Eleanor Rigby
Sing The Changes
Band On The Run
Back In The U.S.S.R.
I'm Down
Something
I've Got A Feeling
Paperback Writer
A Day In The Life ~ Give Peace A Chance
Let It Be
Live And Let Die
Hey Jude

~Encore 1~
Day Tripper
Lady Madonna
I Saw Her Standing There

~Encore 2~
Yesterday
Helter Skelter
Get Back
Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band (reprise) ~ The End


TVロケ、火事の横でも知らん顔

2009-07-14 | ぶらり散歩

日本橋浜町付近、ある朝の出来事です。ふと見ると日曜の早朝なのに、普段なら誰もいないオフィス・ビルの前に通行人が沢山。おかしなこともあるもんだと思っていると、「はい、すみません、ちょっと通らないで!」と、上から目線の女性が目の前に。何を言ってるんだ、天下の大通りをと思ったら、「撮影しますので通らないで下さい」と、偉っそうに!テレビか映画の撮影でした。その周辺にいた、普段いない筈の人達は、実は通行人のエキストラだったのです。ビルの中には「帝国食品株式会社」と、架空の会社が。

でもね、彼らは道路を使っての撮影許可は取っているかも知れませんが、我々一般人を強制して通行禁止にする権利はないのです。「すみませんが、撮影中なのでご協力下さい」とでも、看板を撮影場所の手前にでも置いておけばいいのに、そんな配慮は無し。いきなり人が出て来て、「通るな!」って、一体何様のつもりだ!これではアダルトビデオのゲリラ撮影と何も変わらない。「アホか!」って。

たまたま携帯電話で話をしながら歩いていたのですが、「撮影禁止です!」って、お前誰に言ってるんだ?の世界です。こっちは電話中なのに!腹が立ったので、このブログ用に撮影してやった。(笑)この撮影現場の人間、無礼過ぎるぞ!写真を観て頂ければお分かりのように、通行人役、まだスタンバイの状態ではありません。だれて来て膝に手を当てている人までいる。このダラダラの状況で通行を止めるのは非常識ですよ。道路は撮影の為にあるのではないのです。撮影許可を特権を得たのと間違っているよ、全く。

不愉快だったので、道路の反対側を歩こうと思ってそちらを見ると!

こっちはパニック映画か何かの撮影か?写真右から救急車2台、パトカー、複数の消防車まで停まっています。実は・・・

この道路からほんの数メートル入ったところで、火事が起こっていたのです!

画面中央に消防隊員の人が、はしごに上って消火活動をしているのが見えると思います。火もほとんど鎮火していて良かったです。

では、もう1度、3枚上の写真を見て下さい。道路の向こうに救急車と消防車。道路の手前(写真左)には違法駐車中の自動車が写っています。そうです。自分たちの撮影現場の目の前30メートル以内の場所で火事が起きているのに、この撮影の連中は、勝手に道路の通行を止めていただけではなく、火事現場の前の道路で車を何台も駐車しているんですよ。当然ながらここは駐車禁止場所ですから、違法駐車です!これ、何のテレビか映画か分かりませんが、手がかりは「帝国食品株式会社」という架空の会社がドラマの中に登場していると言うこと。ここの関係者・・・最低です!

友人によると、どうもTBS系金曜ドラマ枠で放送されていた「スマイル」という番組で、差別や、犯罪加害者家族の偏見、マスメディアの問題点などを描き、2009年5月21日に制定された裁判員制度も取り入れているドラマだったらしい。もし本当なら、ドラマの内容の割には、現場は最低ですね。


サイモンとガーファンクル ~“OLD FRIENDS LIVE” TOKYO DOME 2009

2009-07-13 | 素晴らしかった興行・イベント

日本のドーム公演最高齢記録となる67歳のポール・サイモンとアート・ガーファンクル。2人のハーモニーは色あせてはいなかった。11日土曜日の東京ドーム。「懐かしいな~」と歌を聴いているうちに、自然と中学~高校の頃を思い出してしまい、気が付いたら涙が流れていました。

6月13日からオーストラリア~ニュージーランドを回り、来日したサイモン&ガーファンクル。今回の来日公演は、今年2月13日にニューヨーク・ビーコン劇場で行われたサイモンのステージに、ガーファンクルの飛び入り参加したのがきっかけ。「サウンド・オブ・サイレンス」「ボクサー」などS&G時代の名曲を2人で披露。あまりの反響の高さに再結成を決意し、ワールドツアーが決定した。サイモンは「(全米のみだった)2003年のツアーでは日本や豪州、ニュージーランドに行く約束が果たせなかった。S&G名義の(来日)ツアーはこれが最後になると思う」とコメントを寄せていた。

81年のセントラルパーク・コンサートの時のように、2人は声が出るのだろうか?それが心配だった。でも、例え声が擦れようと、息が続かなくても、最後になるだろうコンサートはどうしても観ておきたかった。しかしそんな心配は全くの危惧に終わった。1960年代の数々の名曲を歌い、往年の美しいハーモニーをドームに響かせたのだ!それどころか、歳を重ねた2人のハーモニーはいぶし銀のような、枯れた味わいまで漂わせていた。僕にとっては、これまでに観た2人の最高のステージだった。

平均年齢が僕より高いであろうファン層で満員になった東京ドーム。開演前はグッズ売り場も満員。この日は土曜日でもあり、17時開演。予定より約15分遅れだった。

ステージ横のスクリーンに、伝説の番組"Song of America"のシーンが映され「アメリカ」のインストゥルメントが流れ、サイモン&ガーファンクルの2人が舞台に登場。ポール・サイモンのギター1本でアルペジオを奏で、「旧友~ブックエンドのテーマ」を静かに歌い始めた。この曲は2人の老人が、流れ去る時代のなかで公園のベンチにじっと座っているという内容で、この中で「70歳になるなんて奇妙なこと。公園のベンチに座っている自分を想像できるかい?」という印象的な歌詞だ。今回の来日が決定した時、僕が1番聴きたかった曲だ。それを2人だけで1本のギターで歌うオープニング。素晴らしい幕開けだった!

そこからは、本当に豪華なバックバンドと共に、名曲のオンパレード。どの曲を聴いても、その曲をよく聴いていた昔のことが思い出されました。でも自分でも気がつかなかったのですが、少しづつ1曲づつ確実に、僕は思いもしなかった空間に誘われて行ったのです。英語で歌う彼らの1曲1曲の意味が、全て日本語で考えることなしに、英語で意味が分かりました。歌詞が心に直接語りかけて来るのが理解出来たのです。こんな経験は初めてでした。

途中アート・ガーファンクルが「あの・・あの・・」と日本語を話し、そこで途切れて笑いを取ったり、「11才でふたりが出会い(日本語で)“ジュウイッサイ!”15才で活動を始めた“ジュウゴサイ!”」とMCを披露すれば、ポール・サイモンは「この曲は2人で演りたかったけど、当時は距離をおいていた。その曲を今夜はふたりで演ります。」といって“スリップ・スライディン・アウェイ”を演奏するなど、2人の歴史を感じるシーンもありました。途中、アート・ガーファンクルがソロで歌いあげた「ブライト・アイズ」は、6月に急逝したマイケル・ジャクソン追悼にと、名古屋ではコメントをしていたと聞きました。

感動の頂点は「明日に架ける橋」。1番をアート、2番をポールがソロで歌い、そして3番を2人で歌う。2人それぞれの素晴らしいソロと、美しいデュエット、そして曲のクライマックスでのガーファンクルの絶唱を聴いていると、感動で不覚にも涙がこぼれて来ました。こんな経験は今までにしたことがありませんでした。歌詞の一言一句が心に伝わって来るのです。エンターティメントというより、アートだったと言いたいコンサートでした。

ちょっと珍しかったのは、曲の途中で席を立つ人達が多かったこと。これはお手洗いでしょう。しかし、17時スタートのコンサートなのに、2度に渡るアンコールを大拍手で迎えようとしている最中に席を立つ人がとても多かったこと。これはもったいないと思いました。

高齢を感じさせない2人が、「サウンド・オブ・サイレンス」「ボクサー」など全25曲を熱唱して、割れんばかりの拍子が鳴り止まなかったステージ。名曲たちは、これからも我々の心に生き続けます。ライブCDやDVDには収録されていない、「コンドルは飛んで行く」も最高でした。

少し残念だったのは、「僕のコダクローム」が演奏されなかったこと。先月6月22日、米写真用品大手イーストマン・コダックは、1935年に世界初の市販カラーフィルムとして発売され、以後世界中で愛用され続けてきた「コダクローム」の製造打ち切りを発表しました。デジタルカメラの普及による決断ですが、ファンからは鮮やかな色彩で数々の印象的な作品を生み出してきた名フィルムの退場を惜しむ声が上がっています。コダクロームは、一般的なネガフィルムとは逆に、現像したフィルムに画像が実物通りに再現される「リバーサルフィルム」で、伸びやかな色彩の再現性には定評があり、プロカメラマンを中心に絶大な支持を誇って来ました。歌手ポール・サイモンの曲(邦題は「僕のコダクローム」)になり、「コダクロームは夏の緑を再現してくれる」と歌われました。

ちなみに日本のドーム公演で史上最年長ライブ記録保持者は、ローリング・ストーンズのドラム、チャーリー・ワッツ(67)。06年3月の東京ドーム公演当時65歳だった。今回の2人はそれを2歳上回る。ちなみに邦楽アーティストでは、昨年11~12月にドームツアーを行った小田和正の61歳。

ドームからの帰り道に笑えたのは、特製メニューでお客さんを呼ぼうとするお店もあれば、「店内では、サイモン&ガーファンクルの曲を流していま~す」というお店もあったこと。クスっと笑えました。

SET LIST July 11, Tokyo Dome

旧友~ブックエンドのテーマ/Old Friends ~ Bookends Theme
冬の散歩道/Hazy Shade of Winter
アイ・アム・ア・ロック/I Am a Rock
アメリカ/America
キャシーの歌/Kathy's Song
ヘイ・スクールガール/Hey Schoolgirl
ビーバッパ・ルーラ/Be Bop A Lula
スカボロー・フェア/Scarborough Fair
早く家へ帰りたい/Homeward Bound
ミセス・ロビンソン/Mrs Robinson (includes Not Fade Away)
スリップ・スライディン・アウェイ/Slip Slidin' Away
コンドルは飛んで行く/El Condor Pasa
- - - Art Garfunkel solo - - -
ブライト・アイズ/Bright Eyes
ハート・イン・ニューヨーク/A Heart in New York
パーフェクト・モーメント~ナウ・アイ・レイ・ミー・ダウン・トゥ・スリープ/Perfect Moment ~ Now I Lay Me Down to Sleep
- - - Paul Simon solo - - -
ボーイ・イン・ザ・バブル/Boy in the Bubble
グレイスランド/Graceland
時の流れに/Still Crazy After All These Years
- - - - - - - - - - - - - - -
ニューヨークの少年/Only Living Boy in New York
マイ・リトル・タウン/My Little Town
明日に架ける橋/Bridge Over Troubled Water
- - - - - encore 1 - - - - -
サウンド・オブ・サイレンス/Sound of Silence
ボクサー/The Boxer
- - - - - encore 2 - - - - -
木の葉は緑/Leaves That Are Green
いとしのセシリア/Cecilia
バンドメンバー紹介~いとしのセシリア/Cecillia

 

渋谷タワレコに、マイケル・ジャクソン!

2009-07-10 | ぶらり散歩

7日、渋谷でちょっとした人を見ることが出来ました。駅を降りると、どうもいつもと様子が違う。ハチ公前が賑やかなのです。何だろうと人ごみをかき分けて行くと・・・ハリウッド・スターがいるではないですか!大阪の街で有名人に会うと言えば、吉本の人間くらいのものですが、さすがに東京ではメジャーな人に本当によく会うことが出来ます。

俳優のリチャード・ギア(59)が、この日、彼の主演映画「HACHI 約束の犬」のPRで来日、JR渋谷駅前で開かれた「ハチ公銅像訪問記念セレモニー」に出席していました。

いつものように、TUTAYAに行くとDVDが3枚で1,000円の特売中。その後HMVからタワーレコードに回ると、またも驚くことが!マイケル・ジャクソンが1996年12月12日に、この店を訪れた際に残した手形の実物を展示していたのです。

当時、現場に立ち会ったタワーレコード広報室室長の谷河立朗さんは「マイケルさんがお見えになった時は、スーパースターのオーラを感じた。イベント終了後、『ちょっとお店を見たい』と予定外の行動で、当時4階で展開していたレーザーディスクの売り場に1時間ほど滞在して買い物を楽しんでいた。途中、マイケルさんに駆け寄った一般の女性客ともハグをかわすなど、やさしくて気さくな人柄を感じた」と振り返ります。

皮肉にも追悼になってしまったけれど、イギリス公演開催を記念する、「オフ・ザ・ウォール」「スリラー」などの紙ジャケット・アルバムがこの日発売になりました。予約だけでほとんどが完売。店頭に並んだ枚数はほんのわずかでした。初回限定販売でしたが、余りに好調な予約の為バックオーダーを掛けていたので、近日中にまだ入荷予定があるそうです。これはHMVも同様です!

ところでマイケル・ジャクソンの追悼式のテレビ中継は、全米での視聴者が3110万人となったことが分かった。ニールセン・メディア ・サーチが8日発表した。7日にロサンゼルスで2時間にわたり行われた追悼式は、地上波やケーブルテレビなど計18局で生放送。この数字には、インターネットで式の様子を見た人は含まれていないが、3780万人が視聴した1月のオバマ米大統領の就任式や、4950万人が視聴した2月の同大統領のホワイトハウスでの初会見と比べると少なかった。

これまで行われた大規模な葬儀の視聴者数としては、マイケルの葬儀は3位にあたる。2004年に3510万人が視聴したレーガン元大統領の葬儀と、1997年に3320万人が視聴したダイアナ元妃の葬儀に次ぐもの。また、2005年に性的虐待容疑をかけられたマイケルが4カ月間の裁判の末に無罪となった時の視聴者数3060万人はわずかに上回っている。