青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

80年代・昭和の “ 心斎橋 ”

2020-01-31 | 昭和・懐かしい大阪の風景

日常の光景が、ある日気が付くと二度と見ることが出来なくなっている。暫く行かない間に、街の景色はどんどん変わって行くものです。今は誰もが携帯電話を持っていて、いつでもどこでも写真撮影が出来ます。僕たちが若い時は、そういうものがなかった。だから僕の世代には、昔懐かしい景色を見付けることは、ネットを探しても無理です。

1980年代のミナミ。と、言っても僕が行くのは道頓堀川・ひっかけ橋の北側まででしたが。いずれも心斎橋筋の景色です。最初は「パルコ」。

80年代終わりに、ダイハツがパルコと提携して、「ミラ・パルコ」という限定車を発売しました。僕、当時「パルコ」を知らなくて、どうして女の子にその車が売れるのかがナゾでした。製造元のダイハツ工業・商品企画部に電話を入れて教えてもらい、心斎橋までパルコを見に行きました。(笑)

ここは「ヤマハ」。1階は広いレコード・CD売り場。楽器も置いていたし、音楽教室も開催されていました。今でもあるのかな?

宇治園の「おかめちゃん」も心斎橋筋の人気者でした。この隣近所のパチンコ屋の前には、熊の剥製があり、「ウイリー(極真空手)が戦ったのはこれくらいの大きさの熊かな?」と、蹴りを入れたものでしたが、その熊の写真はネットを調べても見つかりません。

最後はひっかけ橋から北側を向いて撮影したものです。ちょうどこの「マルショウ」と書いてあるビルの前辺りから北へ10mくらいの範囲を、ケレンという汚れを剥がす道具を使って、地面にこびりついているガム等の汚れを、全て剥がす作業をアルバイトでしました。大勢の人々がショッピングで歩く中、地面にしゃがんでの作業が、なぜか恥ずかしかったことを覚えています。


“赤城山埋蔵金発掘プロジェクト” をご存知ですか?

2020-01-24 | 本は友達・読書も大切です!

もう何十年も昔になる1990年代、赤城山・山中を数台のパワーシャベルで掘り返す集団がいました。糸井重里氏をリーダーとした赤城山埋蔵金発掘プロジェクトチームです。

TVで徳川埋蔵金発掘の大掛かりな番組が、シリーズで放送されていたのを見たことがある人は、大勢いると思います。小栗忠順などの歴史上の人物を知るのには良い番組でしたが、結論から言えば地中・深さ60メートルまで重機を使って掘り下げるという、世界唯一の「土木作業中継番組」でした。それが本当にドキドキワクワクする素晴らしい番組でした。芸人やタレントがアホみたいなお喋りを繰り返す番組ばかりが、テレビを占拠する以前の最後の時代でした。

最初は大橋巨泉さんの番組「ギミア・ぶれいく」の中の、1つの企画としてスタート。「超能力者による埋蔵金探し」が、1990年6月に初めて放送されました。そこからいつしか超能力者が外れ、「徳川埋蔵金の発掘プロジェクト」として、番組内で定期的に進捗状況を不定期にレポートするようになりました。糸井重里氏だけではなく、石坂浩二氏までもが真剣に取り組むだけあって、途中からは「何も出ないなら、なぜこんな穴がこんな場所に掘られているのか?」という気持ちになり、行方を見守ったものです。

その後、1992年9月「ギミア・ぶれいく」は番組が終了となりましたが、視聴率が良かったのでしょう、「赤城山埋蔵金発掘プロジェクト」として、「特番2時間スペシャル」という位置付けで発掘作業&放送が続けられました。

日本では埋蔵金と言うと、怪しげな「どうせ存在しないもの」というイメージを持つ人もいるでしょうが、僕はそうは思わない。「花咲かじいさん」の話からして、大判小判がザクザクという話だし、歌まであるのです。大昔から治安が良かった日本では、戸締りに鍵という習慣があまりありませんでした。だから本当に大事な宝は、地中に埋蔵するという人が事実多かったのです。重税を逃れるために、この方法で財産を隠匿した人も多かったハズなのです。そして埋めた人が急逝したり、子供に教えた口伝が、埋蔵金伝説になっても仕方がありません。

僕の両親の出身の四国のある町では、未だに同級生が埋蔵金発掘を夢見て作業をしていると言います。僕自身、兵庫県の多田銀山に眠ると言われる4億5千万両の、太閤秀吉の黄金が見つからないかな~と、学生時代に探検に行ったことがありますし、茨木市の山中の隠れキリシタンの遺跡の付近に、失われたアークが眠っていないかと見に行ったことがあります。僕は歴史好きなので、こういう話は楽しい。お宝は発見できませんでしたが、化石や矢じりは発見したことがあり、相当に嬉しかった!(笑)

今でも海外でトレジャーハンターたちが、莫大な埋蔵金を見つけたりするニュースを聞くと、ついつい詳細を見たくて仕方がなくなります。世界のあちこちで、お宝が見つかり、一躍お金持ちになる人がいれば、その発見が歴史を変える。これほど楽しい話はありません。シュリーマンの発掘の話など、まるでインディ・ジョーンズの話そのものです。しかし、こと日本になると、そういう大きな話は出てこない。中国で「曹操」の墓が見つかっても、日本では「卑弥呼」の墓は特定されていない。でも、日本でも伝説とは関係のない埋蔵金なら、結構発見されています。

報道された中で最も高額なのは、昭和38年に東京都中央区新川の工事現場から出た、天保小判1900枚と、天保二朱金78000枚。当時の時価で6000万円、現在の価値なら6億円の埋蔵金発見でした。他にも東京・銀座の小松ストア改築現場から200枚以上の小判が出ています。ただ、こういう発見は、何らかの情報を基に探した結果ではなく、工事の過程で偶然見つかったものばかりということが残念なのです。

その理由は、我が国の法律にあると僕は思います。法律では埋蔵金の扱いは、拾得物を規定したものしかありません。従ってどんなに苦労して金銀財宝を発見したところで、発見者には2割の報労金しか申告されないのです。これでは馬鹿馬鹿しくなるのも仕方がない。(笑)事実先の新川の例でも、埋蔵した商人の子孫に財宝は返還されています。発見されても、土地の所有者のものになるか、うやむやになるのが落ち。埋蔵金は発見者の利益が法律で保証されていないので、伝説を調査して発見するような人は、本当に見つけても公表しないのです。それが、伝説ばかりで本当は無いと決めつけられる理由だと、僕は思っています。

海外では沈没船からの財宝発見のニュースは、よく聞かれます。日本でも、壇ノ浦に沈んだ草薙ぎの剣など、多くの財宝が瀬戸内海に眠っていると言われます。海外のトレジャーハンターが食指を伸ばす前に、誰かが発見してくれないかな~と期待しています。

尚、国会などで使われる埋蔵金という単語は、夢のある黄金伝説の埋蔵金のことではなく、「霞が関埋蔵金」のことを指します。これは、日本政府における特別会計の剰余金や積立金の俗称のことで、国立大学法人にもそういう類のお金があります。しかし、これらのお金に埋蔵金という言葉を使うこと自体、僕は政治家やマスコミが、国民に政治を分からなくさせたり誤解を生む可能性があることを考えない、ナンセンスで無知なネーミングだと思います。


新型コロナウイルスに警戒しよう!

2020-01-24 | 青春・名画劇場

のべ30億人が移動し、70万人の中国人が来日する、春節が今日からスタート。既に新型コロナウイルスの感染者が東京でも2人確認されています。

京都・ミナミと中国人が大量に流れ込んでくるので、僕も不安を覚えます。これだけ世界が1つになると、感染を食い止めるのも現実的ではありませんが、怖いのは中国の動き。春節前の武漢閉鎖は評価出来ますが、ネットから新型ウイルスについての記述を国が削除した国です。発表されている病人の数の桁数が、そもそも違うような気もします。またSARSやMERSというように、中国発での問題が多過ぎる。

目先のインバウンド収益よりも、北朝鮮同様、赤い国との付き合いはもっと考えるべきだと個人的には思います。街中での中国人のツバ吐きや、汚いトイレの汚し方といった行動をいつも目にするだけに、いかにもウイルスをばら撒きそうで怖い。

突然の街の閉鎖、外国人も武漢を脱出することが出来ない。スティーブン・キングの作品や、映画「カサンドラクロス」を思い出してしまいました。自然に出たウイルスなのか細菌兵器の漏れなのか、本当に不気味さを感じます。もう若者じゃないので、免疫力を高める運動や食事を考えないと行けませんね。

キーワードは「健康」。健康の大切さをひしひし感じます。

しかし、このウイルス。数か月後には世界中を席捲し、全世界的なパニックを引き起こしているような気がします。ウイルス感染の恐ろしさを知らない方は、映画「コンテイジョン」も今から観ておくべきです。マスクや消毒液、うがい薬が街から消えるのは、たった1日です。今から備蓄しておくべきです。僕は30~50枚が400円ほどで販売している使い捨てマスクを、6袋ほど買い置きしています。

 
 

宝くじ ~年に2日の素敵な日

2020-01-23 | ぶらり散歩

昨日、宝くじを購入しました。なぜ?当たるからです。(笑)

まあ、そこのあなた。勉強になるから聞いてって!(笑)そんな呆れた顔しないで。

今日は、最高に運が良い「天赦日」(てんしゃにち)だったのです。天が全ての罪を赦す最上の吉日で。よろず良しと言われています。

かつ!・・・一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)だったのです。これは、一粒の「もみ」が、稲穂のように万倍にも増えると言われる日で、何事を始めるにも、お金を出すのにも良い日なのです。ただし、借金や物を借りると「苦労の種が万倍になる」日でもあるので、御注意!

今年はあと1日しか、こういう日はありません。それは6月20日の土曜日です。今すぐ手帳に印を付けておきましょう。


阪神淡路大震災から26年

2020-01-17 | 昭和・懐かしい京阪神の風景

写真は震災前の神戸三宮駅です。独特のアーチ型の建物が有名でしたが、覚えている人いますか?只今、この姿に戻そうと改修工事が続いています。

阪神淡路大震災から今日で25年。あの恐怖は、東日本大震災には負けるけど、怖かった・・。僕は阪神淡路も、東日本も、北大阪も、3度の地震を経験して来ました。地震の揺れは思い出すのも嫌なくらいです。

北摂に家を買うやいなや、新聞にもニュースにもろくに取り上げてもらえなかったけれど、「能勢群発地震」と言われたように、毎晩のように山鳴りがして、震度2~3程度の地震が数か月続きました。一体どうなるのと思っていたら、あの日です。倒れて来る本棚を押し返し、強烈な揺れと家が軋む音の中、まだ小さかった子供の眠る部屋に行くや、子供を身体の下に守り、長い揺れのおさまるのを待った。家は間違いなく倒れると思った。「あ~やっぱりこうなった」と思いながら。

停電だからすぐに車に行き、ラジオを点け、「震源地は淡路~神戸」というのを聴き、「良かった。ここだけじゃなかったんだ!」というのが最初の感想。まさかあんなことが神戸に起きているなんて夢にも思わなかったから。

その後、事態が分かって来ると、豊中の実家が半壊。神戸の親類死亡、恩人の家半壊・・慌てて自転車で、持っている携帯コンロ・ガスボンベ・水・ラーメン等の物資を神戸に届ける毎日になった。会社に行っても、仕事が出来るような事態ではありませんでした。

神戸は見事に再建しましたが、僕が青春時代を過ごした港町神戸とは微妙に違ってしまいました。現在は神戸ハーバーランドが人気ですが、震災前はポートアイランドが神戸の顔でした。そこには、関西初のドライブイン・シアター があり、ポートピアランドがありました。エキゾチックタウンやバンドールも。

復興した神戸も素敵ですが、それ以前の神戸は素晴らしかった!