青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

池田駅に見る!駅前再開発の失敗!

2024-03-30 | 昭和・懐かしい北摂の風景

僕が普段使う鉄道は、阪急電車・宝塚線と神戸線。京都線は普段は使うことが今はありません。考えてみると、阪急電車の駅は、全ての駅で降りたことがあります。物心ついた時から現在に至るまで、ず~っと阪急に乗っていろんな駅を見て来ましたが、今も昔の雰囲気を少なからず持っている駅もありますが、ほとんどの駅が昔とは様変わりしていて、昔の片りんもありません。

これは昭和47年(1972年)の阪急宝塚線・池田駅のホーム北東側の北改札。線路の向かい側に南改札がありました。2年後の下の写真と比べると、駅名の看板が掛かる建物と、その左側の建物をつなぐ庇(ひさし)がまだありません。

こちらは昭和49年(1974年)の池田駅。左奥に駅舎、右下隅は池田駅前交差点。このロータリーはタクシーや乗用車向けのものでした。右の道路上にはバスのりばと書かれています。懐かしいのは写真中央下部の看板です。

この写真ならお分かりだと思います。阪急池田テニスコート、ゴルフ練習場の看板がハッキリと写っています。駅から歩いて5分ほどの場所に、テニスコートが数面あり、その奥には150ヤードある大きなゴルフ練習場があったのです。学生時代、何度も通いました。現在は大きなマンションになっています。この写真はちなみに昭和54年(1979年)。1枚目と比べても、駅前の国道176号線はかなり綺麗に整備されましたが、駅自体は大きく変わっていません。

この池田駅が、昭和62年(1987年)の駅舎と駅前の再開発によって大きく変わりました。写真は高架化間もない昭和62年の池田駅。撮影角度は違いますが、白黒写真と同じ場所です。ロータリーの向こうにステーションNビルが建っています。広場の時計塔は今もありますが、そこには今と違って赤い電話ボックスが並んでいました。この再開発には確か5年ほどの時間が掛かったと記憶しています。

この当時は繁栄を極めた池田駅。駅ビルにはブランマルシェというショッピング街が出来ましたが、今は半数以上が空き店舗となって閑古鳥が鳴いています。

こちらは現在とほとんど変わらない平成16年(2004年)の池田駅。1970年代から2000年代まで約30年の池田駅の変遷を、写真4枚で簡単にご覧頂きましたが、今の日本の状況が集約されているように思えます。大阪のベッドタウンとして人が増え、不動産が高騰し、駅前が栄えて駅前を再開発する。しかしその後、少子高齢化が進み、駅前産業がガタガタになって空き店舗が増え、商店街はシャッター街化する。人も減り、駅の建物だけが墓標のようにそびえ立つ・・・。

池田、蛍池、豊中、岡町、茨木、高槻・・・大きな駅前再開発をした駅ほど、無残に昔ながらの賑わいが消え去った。逆に、石橋(石橋阪大前)、服部(服部天神)駅、庄内駅、十三駅、淡路駅のように駅前再開発を行わなかった駅ほど、生きながらえているような気がします。開発して成功したのは曽根駅だけ?・・のように個人的には思います。

駅と駅前再開発によって、逆に現在はお店が姿を消し、ちょっとした買い物をするには大阪梅田まで出ないといけない。また出たとしても、なかなか欲しいものを手に取って見ることが難しく、買い物はネットでする・・・楽しい買い物が出来るのは、高級ブランド店だけ?という現在の世の中、僕は好きになれません。商品知識もコミュニケーション力もある店員さんと言葉を交わしながら、手に取って商品を見て、楽しく買い物をする。そんな昭和が無性に懐かしく思います。お金はあっても、買い物にときめく・・そんな機会が激減しました。

 


ステーキの “スエヒロ” はどこに?

2024-03-28 | 昭和・思い出は色褪せない

僕が子供の頃、昭和30年代から40年代にかけて、まだ「ファミリーレストラン」「ファミレス」という言葉も無い頃、「ステーキ」とか「レストラン」という高級感漂う言葉だけはマンガの中で知ったものです。そして、「それはどこなの?」と言えば、大阪は北摂では「スエヒロ」でした。

この小さな資料的価値のある(笑)写真は、1990年に撮影した千里中央の昔の「よみうり文化センター」1階部分にあったスエヒロです。この看板は赤に白字ですが、僕の子供の頃の記憶では黒に黄色文字です。もう30年前の写真になるんですね。

80年代以降は手軽な値段でステーキが食べられるお店で、1990年当時、上の写真の千里中央店ではヒレステーキが2,200円。平日ランチタイムにはステーキランチが1,000円で提供されていました。

ただ、僕の子供時代の記憶では「親に連れて行って」と頼むのもはばかれる高級店で、1度も連れて行ってもらった事はありません。阪急蛍池駅と豊中駅の間の176号線沿い、現在のマクドナルドの辺りや、兵庫県になりますが空港線から園田駅に向かう途中にもありました。看板は黒地に黄色の文字でした。

調べてみると1920年3月10日に大阪・堂島で「ビフテキ専門スエヒロ」は開業。運営会社を「株式会社スエヒロ朝日」とし、以後「スエヒロ」は全国へ広がりました。スエヒロは「ビフテキ専門スエヒロ」から全国へ暖簾分けされ、運営者により店の雰囲気やシステム、価格などは様々ですが、創業者の意思を引継ぎソースなどの伝統を継承している・・と言う事です。それで看板も違うのでしょう。ただ文字の書体は、写真の太い文字と同じだと記憶しています。

こちらは現在も営業している大阪・梅田の「新梅田食堂街」にあるスエヒロです。この写真の右上に小さく写っている看板こそが、僕の子供時代の記憶に残るスエヒロの看板です。黒地に黄色の文字!

この看板を掲げたスエヒロはもう無いのかな?スエヒロも随分あちこちから姿を消しつつあります。料理店には流行やすたれもありますが、長く続くお店であって欲しいと思います。

 


街角の懐かしい “映画の看板”

2024-03-27 | 昭和の映画館

映画館も大型館が全て閉館になり、シネコン全盛時代の今では映画館の風景も、僕が若かった時とは様変わりしました。

映画館だけではなく、映画と言えば「看板」ですが、劇場前の看板も今では「こじんまり」して、その映画館特有の「色」もありません。また、電車の車窓から見える映画の看板も今では皆無です。昔は大阪梅田駅に到着する直前、線路の左右には映画の看板が並んでいました。今ならDDハウスが見えますが、当時は看板の後ろにどんな建物があったかなどは気も付きませんでした。

この写真は、街角の映画看板です。大阪ミナミのスバル座横にあった看板。封切り作品ごとに替わる看板は、キタの「OS劇場」のものでした。巨大スクリーンの「シネラマ」の文字が懐かしい。こういう看板が昔は繁華街を歩くと、すぐに目に留まったものです。今は駅のホームの地元の病院の看板すら消え去ってしまいました。

 


でっちようかん、今期最後の発売です!

2024-03-26 | 日記
毎年11~3月の期間限定で発売している能勢のくれべの「でっちようかん」。いよいよ、阪急電車・池田駅では、明日27日の水曜入荷分をもって今年度の販売終了です。また秋まで食べることが出来ません。
 
 
くれべの丁稚ようかん・・・2019年に後継者がいないが為に廃業となりましたが、その翌年から、くれべのでっちようかんに小豆を卸していた業者さんが、工場の機械諸々を買い取り、製法を教えて貰いながら羊羹を作って販売を開始。そのおかげで現在も僕たちは食べることが出来ます!
 
ただし、能勢・森上で寒天から作るこの「くれべのでっちようかん」は現在販売店を自社では持たず、各地の販売店を通じて販売をしています。
 
 
例えば、ここ池田駅内の「とよのピア」や、道の駅等です。この写真のお店の入り口の大きな丁稚羊かんの「のぼり」は、この本家能勢の「くれべのでっちようかん」ではありませんので、要注意!(笑)ここでは僕が大好きな「くれべのでっちようかん」と、それとは異なる「丁稚羊かん」の2種類が販売されているのです。ちなみに、能勢町のお隣である兵庫県河辺郡・猪名川町の道の駅に行けば、「猪名川町名物でっちようかん」があります。
 
今日僕も、今季最後に買って来ました‼ 
 

能勢の昔ながらの本店(上の写真)は現在閉鎖、普通のお家になっています。写真は2011年のものです。小さなお店でしたが、あちこちからここにお客さんが買いに来ていました。

 


恐るべし!“レゴ” !

2024-03-25 | ぶらり散歩
レゴ・・僕が子供の頃には、こんな素晴らしいブロックがもし発売されていても、値段が高くて買ってもらえなかっただろうな・・・そういう話を友人としていたら、「何言ってるの?子供の頃売っていたよ」と。(笑)そう、プラスチックのレゴは何と1949年から発売していました!そして、今日見られるブロックのデザインができ上がったのが1958年。日本で発売を開始したのが1962年です。
 
まさしく僕が子供の頃にはレゴは売っていました。でも、本当に高価なので買ってもらえなかった!しかし我が家は持ち家で、自家用車、TV、ステレオ、クーラーまでローンとは言え揃えていたのですから、レゴは無くても両親が一生懸命働いてくれたのは明らかです。(ありがとう。)
 
アメリカのNY店に飾っていたデモも凄かったけど、この大阪梅田のお店のデモも凄い。
 
 
レゴで作った阪神競馬場です。
 
 
そしてこちらは、宝塚歌劇大劇場。
 
レゴって本当に凄い。大の大人・・いえ、ジジイでも立ち止まって見てしまいました。