青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

阪急宝塚線・岡町商店街 & 桜塚商店街

2020-02-28 | 昭和・懐かしい北摂の風景

阪急宝塚線・岡町駅、昔は物凄く栄えた商店街でした。岡町商店街が出来た頃の写真が左の白黒写真。右のカラー写真が現在です。人の数が全く違います。

岡町が栄えたのは、能勢街道と伊丹街道が交差するこの地点には、吹田から尼崎までの72村の総氏神であった原田神社があり、その門前町としてここが成立したからです。1910年(明治43年)に、阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道が宝塚線(現在の阪急宝塚線)を開通し、同神社の境内に岡町駅を設置しました。これは同じ阪急宝塚線の服部天神駅が、服部天神の境内に設置されたのと全く同じ。(御神木が何とホームにそのままある!)

ついでに言えば、蛍池駅と豊中駅間には、当時の蛍狩りの名所「蛍池」があり、しかも池の真ん中には仁徳天皇陵のように「御神山古墳」があったのですが、阪急電車はこの池の真ん中に線路を通し、古墳を破壊して池を二分したのです。現在は線路東側が今も蛍池、西側が南門前駅と呼ばれています。

阪急電鉄・宝塚歌劇団・阪急百貨店・東宝をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者・小林一三、神をも恐れぬまさにやりたい放題?

話を元に戻し、阪急宝塚線と国道176号線の間に東西にあるのが、岡町商店街。実は西側から見ると「岡町商店街」なのですが、東側から見ると「桜塚商店街」なのです。実は商店街の中を通る、「能勢街道」を境に名前が変わります。

岡町商店街の表玄関の看板に注目して下さい。お気づきでしょうか? 時代によって「豊中信用金庫」→「摂津水都信用金庫」→「北おおさか信用金庫」と、名前が変わりました。


ネットで意見を述べることの怖さ

2020-02-26 | 今を考える

2020年2月16日、この投稿を旧ブログで書いたために、僕のブログは大炎上し、閉鎖することになりました。今読み返しても、何が悪いのかと思います。「武漢ウイルス」なんて呼ぶ人間は世界にいない!とか、いろんな抗議を何千というコメントで送りつけられ驚くと共に恐怖すら感じました。ネットでは誰もが発言の自由を持っていますが、1部の狂信的な人々の書き込みが、人の命を奪うこともある。だから僕はコメント欄で多くの人との会話を楽しみたいのですが、それ以来コメントを受け付けないことにしました。

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武漢コロナウィルス、とても不安で出歩く気分になれない。その原因は・・。



習近平氏が来日することを見込んで、日本がまともな報道をしているとは思えないからです。現在のマスコミを動かしているのは、広告主である会社も含め、最後の団塊の世代。何だかんだと左思想者が多い。だから報道はいつも中韓寄り。日本の国益よりも中韓のご機嫌取りをするマスコミは多い。朝日新聞がその代表格で、僕が学生時代の時は、学校の教師(日教組)が朝日新聞の「天声人語」を読めと、事あるごとに勧めていたほどです。

今回のウィルスについての各国の対応を比較してみると、訪中を早々に禁じたアメリカ等の欧米諸国と、中国の顔色を伺うアジア諸国の動きに雲泥の差がある。

英語で書かれた米マスコミ報道を読むと・・・

①アメリカではこのウィルスをWuhan coronavirusと呼んでいる。忖度なしの「武漢コロナウィルス」です。WHOの付けた名前など誰も使いません。
②武漢にはウイルス研究所がある。
③武漢ウイルス研究所が、ウイルスの発生源として疑われている。
④SARS とエボラ出血熱のエキスパートである、生物化学兵器部門の最高責任者が武漢に送り込まれた。
⑤武漢ウイルス研究所の研究員は昨年、「コウモリからコロナウイルスを抽出し新種のコロナウイルスを研究する」という講演会を行った。

・・・というようなことが、日本のマスコミ報道と違って数日前からアメリカではアナウンスされている。僕は以前からSARSも今度のウィルスも「生物兵器」が漏れたのだろうと言って、馬鹿扱いされて来ましたが、それが真実に近いと思う。少なくともアメリカは、それを単なる疑惑と考えていないので、

①1月31日、自国民の中国への渡航を禁止。
②アメリカ入国前14日以内に中国に滞在歴のある人間の入国を禁止。
③米・大手航空会社は、中国便の運行を全面停止。

こういう動きを、日本とは違って速やかに実施しました。

武漢ウイルスの感染力は、とにかく強い。未発症者からも感染するのです!こんなものが自然界の中国の市場から、この21世紀に突然出て来るか?生物兵器以外の何物でもないと考える方が自然だと思う。

みんな、夢物語だとは思わない方がいい。僕は人混みには暫く近づかないし、病院も行かず、トレーニングジムにも行っていません。インフル予防注射は毎年受けています。やれることはやって、注意はする。今の世の中、後になれば映画や小説より怖いことが沢山起きています。オウム真理教、誰もあんな組織だと思っていなかったでしょう?僕は当時、かなり早い段階から、あの教団の仕業ではないか?と言って笑われていました。

今後は日本人が海外に渡航出来なくなったり、五輪中止だってあり得る話です。少なくとも日本のマスコミ報道はアメリカの報道と、今日に至るまで大きく異なっています。日本と海外の報道が同じレベルになるまでは、テレビで放送されていることに耳を貸す気持ちにはなれません。


大阪タワー と ホテルプラザ、そして ウルトラマン

2020-02-21 | 昭和・懐かしい大阪の風景

大阪タワーをご存知ですか?大阪タワーなんて言われると、大阪人でも「え?」と思うかも知れません。

かつて大阪市北区大淀南にあった、朝日放送の電波塔で、地上102メートルのところに展望台がありました。80年代の朝のテレビ番組「おはよう朝日です」は、ここから毎朝生中継をしていました。

写真のタワー右は、朝日放送の旧本社で、僕はここにはよく足を運んだものです。「新婚さんいらっしゃい!」「探偵!ナイトスクープ」「アタック25」「プロポーズ大作戦」の公開録画を、何度か観に行きました。また、映画の試写会も70年代後半から80年代前半まで、ここで頻繁に開催されていて、それにもよく行きました。最寄りの駅は阪急・中津かJR福島になります。あ、そうそう、プロレス人気が最悪だった頃、ここのABCホールで新日本プロレスが興行をしたこともあります。

僕の親父が大阪に出て来て、僕が小学校3~4年生の頃まで、ここから2~3分のところにあった運送会社に勤めていたこともあって、僕にはお馴染みです。小学校に行く前は、親父が会社から僕を家までトラックで迎えに来る。ダイハツ工業や空港に荷物を運び、その後会社に戻り、一緒に帰宅する。親父が会社で帰宅前に事務処理をしている間、僕はこの大阪タワーで時間つぶしをしていたのです。

この大阪タワーの1番の思い出は、「ウルトラマン」のロケを見に行ったこと!古代怪獣ゴモラの前後編は、大阪が舞台。うろ覚えですが、どこかの島で発見されたゴモラは、生け捕りにされて、何と「万博」へ展示するために、科学特捜隊のビートル3機で空輸されます。ところが途中麻酔が切れて暴れだし、六甲山に落ち、そこから地下へ逃亡します。その後、大阪市内、大阪城前でウルトラマンと戦うのです。この2回の放送の中で、この大阪タワー内に、科学特捜隊の司令部が設置されたのです。

ハヤタ隊員やムラマツ・キャップ、アラシ、イデ、アキコ隊員も見ることが出来ましたが、何度も同じセリフを喋っているのには退屈し、しかも1番見たいウルトラマンは来ない!(笑)でも、化学特捜隊の流星マークのバッジをもらい、翌日友達に自慢出来ました。

上の写真左手前は今はもうありませんが、「ザ・プラザ」こと「ホテル・プラザ」です。大学時代に、ここで結婚式やディナーショーの配膳のアルバイトをして、あの当時で時給1,200円(当時、喫茶店ウエイターのバイト代が時給500円)を貰いました。

高倉健、松平健、クロード・チアリと言った面々のテーブル担当をした時は、めちゃくちゃ緊張しました。勿論サインなどを貰うのは厳禁でした。松平健に「ごめんね。僕エビ嫌いなんだ。下げてくれない?」と言われた時、ついつい「将軍様はエビが御嫌いですか?」と返してしまい、周囲が大爆笑!宴会マネージャーに怒られました。(笑)

そんな大阪タワーも、ホテル・プラザも、今はもうありません。昭和の大阪を代表した場所が、余りにも無くなり過ぎだと思うのは僕だけでしょうか?

怪獣ゴモラが登場するのは、第26話「怪獣殿下(前篇)」、第27話「怪獣殿下(後篇)」で、DVDは第七巻に収録されています。

 

東洋一の警察署 ~どこか分かりますか?

2020-02-14 | 昭和・懐かしい大阪の風景
終活みたいなので、やって欲しくないけれど、昔の写真の整理をしている両親から、いろいろな昔話を聞かせてもらっています。戦後、大阪に出て来た頃に大都会をカメラに収め、田舎の人たちに写真を送っていたそうです。
 
 
この写真は昭和43年頃(1968年)の梅田のど真ん中、阪急百貨店前です。市電が廃止された後の景色で、自動車がどんどん増えている時だったそうです。左は富国生命ビル。右は曽根崎警察署。もう少し右に行けば、僕らが学生の頃馴染み深かった旭屋書店。
 
僕が初めて知って驚いたことは・・・
 
「東洋一の警察署」と、曽根崎警察署が呼ばれていたことです ❗️
 
東京の警視庁を差し置いて、そんな凄い呼ばれ方をしていたことに驚きました。今まで聞いたことがありませんでした。😱 
 
その理由は、鉄筋コンクリート5階建ての「スクラッチクリンカータイル張り」。斬新な外観と構造が、当時としては珍しかったので「東洋一の警察署」と言われ、見物人が後を絶たなかったそうです。しかし、地盤地下で庁舎が傾き、現在に至るまでに何度か建て替えられています。
 
親父がこの写真を見ると、思い出すのはこの先の「天六」で起きた、「天六ガス爆発」だそうです。辺り一帯が吹き飛んで、それは凄かったそうです。事件後暫くして、まだアスファルトの地面がめくれている時にそこを車で通り、焼け焦げた建物や工事中の道路を見たことを、僕も覚えています。

からふね屋珈琲・箕面店

2020-02-07 | 昭和の喫茶店
国道171号線を、石橋から茨木へ。その途中、「箕面自由学園前」交差点の次の信号の、道路沿い左にあるのが、「からふね屋珈琲・箕面店」です。
 
 
昭和というより平成に入ってから、友人とは特に年末年始。仕事の先輩とは平日の夜中に仕事の話を。いろいろな時に、ここを使いました。なぜなら、24時間営業だから!
 
 
水出し珈琲や、スィーツの種類が豊富で、出来た当初は高級感があったお店だったのですが、2000年代に入った頃から、店内にスポーツ新聞や漫画の本を大量に置き、その為に客層が変わってしまいました。オタクというか、ニートっぽいの、ヤンキー達が増えました。
 
 
今も24時間で営業していますが、珈琲を含め全ての味が落ちてしまい、店内も古くなって汚らしくなったので、足が遠のきました。
 
店内写真は漫画も置かれましたが、まだ行く気になった最後の頃。2000年頃撮影したものです。店の外は、最近の写真です。車を所持する若者が減り、大学生たちで賑わったこの店も、昨年も(コロナに関係なく)夜中はガラガラでした。