青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

ソレンスタム現役最後は予選落ち

2008-11-24 | スポーツの話題

The door is not closed, and that's why I didn't use the “r” word.

(ドアは閉ざされてはいない。だから私は“r”という言葉を口にしなかったのよ)

* 「rという言葉」とは、言うまでもなくRetirement(引退)です。

今年5月13日に、女子プロゴルファーのスウェーデンのアニカ・ソレンスタム(38)が、今シーズン限りでの引退を表明していたが、米女子ゴルフツアー今季最終戦「ADT選手権」(フロリダ州トランプ・インターナショナルゴルフクラブ/6,523ヤード・パー72)を終え、ツアーに別れを告げた。今大会が米国ツアーの引退試合となるアニカ・ソレンスタム(スウェーデン)は、トータル5オーバー(74-75)で、カットラインに2打及ばず予選を通過することは出来なかった。

「まだあと2試合(シンガポールとドバイ)あるので、明日からもツアープロとしての生活に変わりありません。でもこれで緊張感溢れる競技の場に立てなくなると思うと、とても寂しいです」。元女王は涙をこらえ、笑顔で観客に手を振った。

これまで多くの勝利を重ね、また記録と記憶の両方を残し、多くの選手が憧れを抱く偉大なプレーヤー、アニカ・ソレンスタム。有終の美を飾れなかったのは残念だったが、すがすがしい笑顔でギャラリーの声援に応え、いつまでもやまない拍手を背に会場を去っていった。



<試合後の最後のインタビュー>

―303試合目、お疲れさまでした。72勝を挙げ207試合でトップ10入りを果たし、素晴らしいキャリアをまっとうされました。今の率直な気持ちを語って頂けますか?

アニカ・ソレンスタム(以下A・S):そうですね。おっしゃる通り素晴らしいキャリアをまっとう出来たと思います。心から楽しませてもらいました。短い時間がこれまで私が経験してこと、成し遂げたこと、そして今どんな心境なのかを語るのは難しいです。でもここに居る皆さんは何度もお会いしている方々ですから、余計な説明は省略してもいいですよね。

でも今週は色々な感情がこみ上げて来てしまいました。火曜日にここに到着したとき、さまざまな感情がないまぜになって、複雑な心境でした。もう、こういう舞台に立つことはないんだろうな、と思うと、今までの楽しかったことが走馬灯のように脳裏を駆け巡ってしまって。でもこういうキャリアを送れたことを誇りに思うし、とてもラッキーだったという思いが強いです。もう少ししたら薬物検査に行かなければならないので、どうぞ質問して下さい。

―えっ、薬物検査ですか?

A・S:そうです。2週間前にテストしたんですが、どうしたまたしなければいけないかはわかりません。

―引退するのに?

A・S:全くわかりません。引退させたくないのかしら(笑)。

―最終ホールに上がって来るときの心境を聞かせて下さい。

A・S:さっきも言いましたが、今週は始まる前から楽しい気持ちと寂しい気持ちが交互に押し寄せてきて、最終ホールでも同じ思いでした。私の決断は間違っていなかったのかしら? と自問自答する瞬間もありました。もちろん正しいとわかっているのだけれど、何度も自分に問いかけてしまう。

今シーズンが終わったら、今週が終わったら、あと何カ月かで、という言葉を使ってきたけれど、あっという間に(LPGAツアー)最後の試合が来て、実際18番のフェアウェイに立つ自分が居て、これがLPGAツアー最後のアプローチショットという瞬間が来て、本当に沢山の思い出が頭を過りました。

素晴らしかったのはファンの方々の反応です。応援して下さるファンの方々の顔を実際に見ることが出来て、家族が居て、友達が居て、私が放つすべてのショットを見守ってくれた。本当に特別なことだと思います。

―涙は?

A・S:この一週間、ずっと泣きそうでしたよ。涙は見せませんでしたけど、涙腺は常に刺激されていました。それはうれし涙でもあるんです。達成感を感じていたから、涙が溢れそうになったのだと思います。

―予選通過を諦めたのは?

A・S:今日はパーあるいはそれより良いスコアで回りたいと思っていました。前半のハーフを終えて、5オーバーだったので、バック9では3~4アンダーは出さなければいけない状況だと思っていました。10番は良かったのですが、14番のチャンスを外して15番はどうしても獲らなければならなかった。そのときはもうバーディしか狙っていませんでした。でもチャンスにパットを決めることが出来なかった。こうなると状況は難しくなります。

出来れば決めてスコアを伸ばしたかったのに残念です。本当はあと2ラウンド、プレイしたかったです。こういう形で終わりたくなかった。

―明日の朝目覚めたとき、人生はどう変わっているんでしょう?

A・S:日曜日の夜にシンガポールに飛ばなければならないんです。あと残り2試合ありますから。なので今のところ人生が大きく変わることはないでしょう。12月の15日にドバイから帰国して2日間プロアマに出て、12月20日にアリゾナ大学で講演したら、それで今年のスケジュールはほぼ終わり。

でも皮肉ですよね。講演するなんて、プロになった頃はスピーチが一番の苦手だったのに。それがツアープロとして最後の仕事になるんですから。でも私自身変わっていますから。ゴルフによって私は変わったんです。いい方に。それはうれしいことですね。


ツアー通算72勝、内メジャー10勝、ベストスコア59、身長168センチ


最終戦直前の記者会見の中では、アニカは“引退”という言葉を極力避け、“ツアーを離れる”という表現を多く使用し、“引退”ではなく、数年後またゴルフへのモチベーションが戻ればツアーへの復帰の可能性もあることを示唆した。

【アニカ・ソレンスタム最終戦直前記者会見内容】

「複雑な心境です。最終戦を迎えたと思うと寂しいですが、私は自分で決めたことに最後まで徹するタイプです。自分の未来にも大きな期待を抱いているので、いろいろな思いがありますが今週は楽しみながら良いプレーをしたいと思っています。先週の好調さ(2位タイ)を保って日曜日に大きな優勝賞金を獲得したいです。

“引退”という言葉を避けた理由はひとつじゃありません。ご存知のように私はいろいろなビジネスを手がけており今後数年間はかなり忙しくなることが予想されます。しかし、それも待ちきれません。私の人生における新たな1ページ、そして挑戦ですからね。

もしもまた練習したい、もう1度競技のゴルフをしたいと思うようになったら、戻ってくるかもしれません。それが2年後なのか、5年後なのか、あるいは全くないのか、今の私にはわかりません。今後の予定といえば2009年に結婚すること、そしてビジネスに専念すること、まずはそこからですね。

大切なのは、今の自分に満足しているということ。自分のやりたいことをやってきたその事実は今後変わることはありません。もう1勝する、あるいはあと3年プレーしたとしても、私のキャリアが変わることはないと思っています。そう思ったとき、そろそろ潮時じゃないかと思ったんです。

今年はコースにいてもローラーコースターに乗っているような感じでした。私はコースではゴルフに徹する冷たいスウェーデン人ですが、今年は違いました。でも、それも楽しみましたし、いろいろな意味で素晴らしい1年でした。たくさんのファン、あるいはメディアの皆さん、そして家族と一緒に自分のキャリアを振り返るいい機会だったと思います。そんな2008年は私の人生において最も充実した年のひとつでした。プレーの内容じゃなくて、思い出に残ったという意味でです」。


ジャクソン・ブラウン ~2008年・来日コンサート

2008-11-22 | 素晴らしかった興行・イベント

ジャクソン・ブラウンは、2009年春まで続くワールド・ツアーを、初日の9月15日ワシントンDC・ワーナー・シアター公演を皮切りにスタート。彼にとっては6年振りとなるスタジオ・アルバム『Time The Conqueror/時の征者』をひっさげてのツアー。ワールド・ツアーの序盤となる全米ツアーを、この11月上旬に終えて、遂に日本に上陸しました。この後はオーストラリア・ヨーロッパツアーが続く。

ツアーに同行するのは、15年来のバンド・メンバー達。ケヴィン・マコーミック(ベース)、マーク・ゴールデンバーグ(ギター)、モーリシオ・ルワック(ドラムス)、ジェフ・ヤング(キーボード、バック・ヴォーカル)。彼らは1993年の「アイム・アライヴ」以来ブラウンと活動を共にしており、「ルッキング・イースト」('96年)と「ザ・ネイキッド・ライド・ホーム」('02年)にも参加している。『Time The Conqueror/時の征者』から新たに加わったヴォーカリストのシャヴォンヌ・モリスとアリシア・ミルズがブラウンに出会ったのは2001年。サウス・ロサンゼルスのワシントン・プレパラトリー高校の学生時代、フレッド・マーティン&ザ・レヴァイト・キャンプと歌っていた頃でした。彼女たちはブラウンが共同プロデュースを手がけた演奏にも参加し、6曲を提供したザ・レヴァイト・キャンプの2006年のデビュー作『サム・ブリッジズ』に大々的にフィーチャーされています。

ジャクソンは近年、アメリカ・イギリス・オーストラリアで行われたソロ・アコースティック・ツアーで録音された2枚のライヴ・アルバムをリリースしています。グラミー賞ノミネート作「ジャクソン・ブラウン—ソロ・アコースティック第一集」('05年)と「第二集」('08年)です。ブラウンがピアノとギターを交互に演奏し、キャリア全体を網羅する曲目を演奏する姿がフィーチャーされている。今年発売された「第二集」に関しては、アンソニー・デュカキスがローリング・ストーン誌で4つ星の評価を付け、「ブラウンの最高の状態。オーディエンス、個人的な経験、彼を取り巻く世界の全てが曲に織り込まれている。その曲の響きは、簡単に失われることがないだろう」と記しました。

今回のワールド・ツアーの全米日程では、限定数のプレミアム・チケットが発売され、収益金がブラウンが長年行って来た平和、社会正義、環境、未来における非核のための活動の精神に則り、グアカモレ基金に寄付され、公共の利益のために活動する非営利団体のサポートに充てられる。

1972年に発売され高い評価を受けた、セルフ・タイトルのデビュー・アルバム以来、ジャクソン・ブラウンは誠実さ、感情、パーソナルな政治に満ちた、ソングライティングとパフォーマンスの一ジャンルを定義づけて来ました。彼はロックンロールの殿堂入り(2004年)やソングライターの殿堂入り(2007年)を果たしたアーティストとして知られており、最近ではジョン・スタインベック賞やチャピン・ワールド・ハンガー・イヤーのハリー・チャピンヒューマニタリアン賞などの人道主義関連の栄誉も受賞しています。

彼の顔は・・・やはりヒゲ面だった!(笑)アメリカツアー前半はヒゲを剃っていましたが、後半は伸ばしていましたので、どちらかな?と思っていました。サングラスをかけて、「擬似」アルバム・ジャケットの顔で(笑)約束の時間に現れてくれた。まずは1980年のツアーの貴重な音源を、メールでの約束を果たして日本まで持参してくれました。彼の誠実な人柄の変化の無さには素直に頭が下がりました。ずっと青年のイメージだったジャクソン・ブラウンも何と今では60歳だ。たくわえたヒゲが真っ白なのも納得出来る。しかし、リハーサル時の歌声、全く変わらぬ往年の歌声の健在振りには、正直驚いた。

「今回のライヴはアメリカと同様、休憩をはさんでの2部構成になるんだ。ただ、アメリカでは大統領選が演奏曲にも影響していたんだけど、選挙も終わったし、日本のファンは投票には関係ないからね。」と話してくれた。

さて会場はHOLD OUTならぬ「SOLD OUT」状態。その昔は女性ファンが多く、黄色い声援が飛び交っていた彼のコンサートも、今回はアラウンド50(笑)のファンがほとんど。まるで太田裕美コンサートのような温かい雰囲気。会場がかつてのような大ホールでないことも、彼を身近に感じることが出来るのかも知れません。最近になく、観客の平均年齢が高いコンサート・・・しかしノリのいい、コンサートの楽しみ方を心得ている年代であるとも言えると思います。正直みんな、ニューアルバムからの曲より、昔の曲を期待しているような気がしました。

定刻を少し過ぎ、遂にジャクソンの久々のコンサートが開幕しました。結果だけ言えば、前半はアメリカでのセットリストと同じ曲の演奏。ただし、合計曲数は日本の方が多いというものでした。声も良く、ついこの前の「ザ・フー」のコンサートとは比較にならないライヴです!ただ、やはりニューアルバムをあまり聴きこんでいない、いや、買っていないかも知れないファンが多かったと思います。

「OSAKAに戻ってきたよ!」と言いながらのオープニングは、アルバム「Hold Out」からの「Boulevard」。そして「Looking East」と「I’m Alive」の収録曲を経て、「次はとても古い曲です」と紹介してピアノに座り、「Fountain Of Sorrow」。シャヴォンヌ・モリスとアリシア・ミルズの2人のコーラスがとても良い響きです。メンバー紹介をして、ニューアルバムから3曲。「Off Of Wonderland」の歌詞に出てくる「ジョン」は、ジョン・レノンのことです。さすがにニューアルバムの曲は、レコーディング・メンバーで演奏しているだけあって安心して聴く事が出来ます。というか、他の曲と一味違いました。そして「Looking East」収録の「Culver Moon」。前回よりもパワーアップした出来には驚きました。前半のハイライトと言ったら言い過ぎかも知れませんが、ここは聴き所です。そして新曲を1曲挟んで、流れて来たお馴染みのピアノのイントロ。ここで会場も盛り上がります。「Doctor My Eyes」。メドレーで、「About My Imagination」へと続き、10分ほどの休憩に入りました。前半の感想。やはり昔の曲がいい。僕は素直にそう思います。青春時代の思い出がつまっているからかも知れませんが、やはりメロディも美しいものが多かったと思うのは僕だけではないハズです。

さて、第二部。アコースティクギターを抱えたジャクソン・ブラウンが登場。ファーストアルバムから「Something Fine」。何度も聴いた曲ですが、途中からシャヴォンヌ・モリスとアリシア・ミルズのコーラスが加わり、特に彼女らがスポットライトを浴びて歌うシーンは素晴らしい場面でした。次の曲の前に大きい声で、「Take It Easy」のリクエストがされ、ジャクソンは「Take It Easy」と笑いながら返答。演奏は「These Days」。(笑)アルバム「For Everyman」からの曲です。次は「Lives In The Balance」というアメリカ公演の流れでしたが、ジャクソンがドラムのモリーシオに相談して、「For Taking The Trouble」の演奏に。その後「Lives In The Balance」のアコースティック・バージョン。曲の途中からモリスとミルズがリード・ボーカルを取り、マーク・ゴーデンバーグの演奏が冴え、魅力がパワーアップしました。今回のライヴの中でも見所の1つでした!ここでニューアルバムからまたしても2曲。別にニューアルバムを嫌っている訳ではありません。

そして時々リクエストの声が上がっていた、アメリカ公演では演奏されなかった「Late for the Sky」。ソロで始まり徐々にバンドが加わるとお馴染みのアレンジですが、やはりいい曲はいい。「Far From The Arms Of Hunger」はニューアルバムの最後のメッセージソング。この演奏を最後に、ここからはお約束の曲が会場を盛り上げて行きます。

「The Pretender」のイントロが流れてくると、もうすぐ終わりだよと言う彼の言葉が聞こえて来るようですが、ジャクソンはいつものギターではなくピアノを演奏。「Running On Empty」で観衆は総立ちになり、これ以降はもう座っている場合じゃない。ここで終わられては困るとアンコール!アメリカでは「I Am A Patriot」でしたが、ここは「The Load-out〜Stay」。ファンも平均年齢が高い常連さんが多かった為か、「Tonight the people were so fine」の歌詞のところで、しっかり拍手と歓声が湧き起こります。「Stay」に移行してからは、ジャクソンが観客にコーラスを促し大合唱。曲が終わった後も拍手が止みませんでした。ここで終了という雰囲気もあったのですが、ジャクソン自らがドラムのモリーシオにもう1曲演奏しようとリクエスト。ローディがギターを持って来ましたが、そのギターをチェンジさせます。「??」ここでオバマ氏が新しい大統領になったことを喜ぶコメントを語ったので、なるほどと思ったら案の定「I Am A Patriot」。アルバム「World Motion」収録曲ですが、この曲が非常に盛り上がりました。ファンはこれでコンサートは終了と思ったでしょうし、ジャクソンもそうしようとしていました。

が!ここで・・・スタッフがアコースティック・ギターを持って来て、ジャクソンに「Take It Easy」をやるようにと手渡したのです。ジャクソンは驚いた表情を見せましたが、「Take It Easy」を何とイーグルス・バージョンで演奏してくれました。会場は大喜び拍手喝采でした。

全てが終わったのが10時前。これまで見てきた彼のライヴでは、2003年5月4日の中野サンプラザの3時間半という最高のライヴがありましたが、今回のライヴもそれに負けず劣らずの内容あるコンサートでした。ただ彼のファンは大人が多いので、新曲について学習不足?その為新曲は盛り上がらず、昔の曲が盛り上がるのはいつもの光景。毎回、かなりのリクエストの声が彼のコンサートで飛び交います。特に大阪ではその傾向が顕著です。しかし今回はそれもやや控え目でした。ジャクソンがリクエストの声にパッと応えて演奏するという、いつもの光景もこの日は見ることがありませんでした。しかし素晴らしいコンサートでした。

来年はディヴィッド・リンドレーとアコースティックライブのために来日コンサートという噂が早くも流れていますので、実現を期待しましょう!

SET LIST

Boulevard
The Barricades Of Heaven
Everywhere I Go
Fountain Of Sorrow
Time The Conqueror
Off Of Wonderland
Live Nude Cabaret
Culver Moon
Giving That Heaven Away

Doctor My Eyes ~ About My Imagination

(intermission)

Something Fine
These Days
For Taking The Troubles
Lives In The Balance
Going Down To Cuba
Just Say Yeah
Late For The Sky
Far From The Arms Of Hunger
The Pretender
Running On Empty

(encore)

The Load-out〜Stay
I Am A Patriot
Take It Easy


なごや嬢

2008-11-14 | ぶらり散歩

出張でここに行って来ました。久し振り。篠原涼子がお出迎えしてくれました。(笑)

もう少し西に行けば、数年ぶりにホームタウンに帰ることが出来るのに・・・故郷とは近くて遠いもの・・・。

え?どこかって?これがお土産に推薦の所です。

ハイ、正解は名古屋です。

JR名古屋の駅前、すごく綺麗なイルミネーションでした。ブログ用に写真を撮りに行って思ったこと・・・この場所って・・

待ち合わせをしている恋人や友達

写真を撮るだけの人

2つにハッキリ別れていて、後者の私は寂しい思いをして帰って来ました。(笑)

まだ11月なのに、世間は12月?これが「アッ!」という間に年末には門松なんかが出て来て、純和風の街になるのが不思議です。


みちのく1人旅

2008-11-01 | ぶらり散歩

今日の話は僕の出張レポートです。青森・新潟を馬鹿にした記事ではありませんが、不快感を持たれた方がいらっしゃいましたらご容赦下さいますよう、お願い申し上げます。

久々に出張となると、いろいろなことが経験出来ます。今週は青森~新潟と回って来ました。僕は青函連絡船が廃止されて後、この地方に行くのは初めてで、皆さんが笑うくらい1つ1つが驚きの連続となった今回の旅でした。

まず当日にならないと出発が確定しなかったことがあり、新幹線の切符の手配に困りました。そこでネットから新幹線の切符を手配して駅で受け取るという「えきねっと」に申し込みをしました。これは便利ですね。インターネット環境から1発で切符を手配出来る。今まで新幹線を利用するごとに、切符の購入に並んでいたのは一体何だったのか?(笑)今回の出張が無ければこのシステムを使うのはもっと後になっていたでしょう。

さて東京に到着、切符を発券し、改札をくぐる時でした。

やってしまいましたよ!

いつものようにSuicaをかざしてしまった!駅員さんに言って取り消してもらいました。いつもの癖って怖いですね。で、もう1度切符で改札を通過。使い慣れた東海道新幹線ではなく、東北新幹線です。乗るのは「はやて」。格好いい新幹線じゃないですか!初めて見たボディカラーもなかなか。で、ホームの掲示を見ると・・・ん??


「はやて・こまち」??

表示が「はやて・こまち」なんです!


僕が乗るのは「はやて」。「こまち」は秋田に行く新幹線のハズ。ところが同じ時刻に同じホームから2本の新幹線が出発するハズがない!一体どういうことだと駅員さんに訊くと、


「このホームでいいです。」
「いや、こまちには乗らない」
「はやてに乗るんでしょ?」
「だからどうして2台の表示なの?」


見かねた売店のおばちゃんが「はやてとこまちは、連結していて、途中で2つに分かれるの。はやてならもっと前の方に行かないと。ここじゃダメ。駅員さん、きちんと説明してあげなさいよ!」と言ってくれました。おばちゃんありがとう!いや、そんなことになっているとは夢にも思いませんでした。まるでどこかのローカル線みたいで。

で、わくわくとして「はやて」に乗り込みましたが、何せ4時間の旅。腰が痛くなるかな?と思いながら、まず食事をすることに。しかし車内は満員。しかもおっさんばっかり。なんかむさ苦しい雰囲気。ほんの数人だけ女性の会社員とおぼしき人が車内にいるのですが、左右をおっさんに囲まれ、嫌そうな顔。いくら指定席でも男二人の真ん中に座らせず、窓際か通路側に代わってやればいいのに・・・両サイドの男は「当たり!」みたいな顔をしてニコニコ顔。マジで気持ち悪いおっさん達です。

まあ、他人のことに口を出すのも・・・と、食事にかかろうとすると・・・臭い!

周囲のおっさんども、みんな靴を脱ぎ始めたのです。しかも靴下までずらしたりして。

「いい加減にしろ!臭い!」と怒鳴りたいのをこらえていると、今度は缶ビールを飲み始め、おつまみまで食べだす。アルコールと足の臭いがブレンドしてたまらない!あのなあ、ビジネスマンなら公衆の場所でそんなことするなよ!ここはまだプライベート空間じゃないやろ!これでは食事をする気にもなれないので、横の二人に、


「臭いので靴を履いてもらえますか」とお願い。

「ええ?」と聞き返すので、

「あなたの足が非常に臭い!息も出来ないので靴を履いて欲しいとお願いしているのです。」と睨みつけると、二人でこそこそ会話をしてから靴を履いてくれた。

やはり話し合いはしてみるものです。しかし途中で

「足も疲れるし、みんな靴を脱いでいるので・・」と言って来たので、

「靴下を履き替えてくれるなら、どうぞ。禁煙車を選んでるのにタバコより性質が悪い!」とピシャリ!

盛岡で下車するまで彼らは静かにしてくれていました。盛岡を過ぎたら車内はガラガラ。意外と青森まで行く人は少なかったですね。

八戸に到着すると、僕の乗る青森行のホームの掲示板は電車の掲示板が出ているも、他のホームは全部次が最終となっており、おまけに人もホームにいない・・・何か田舎を感じました。でも僕が大阪に住んでいた時、家と市内では気温差5度。(笑)だから青森と東京の気温差5度が非常に懐かしく、スーツを着ていても汗をかかないのは快適です。青森に到着と同時に雨。ここはタクシーでホテルへ。晴れ男の僕は傘を使うことなくこの日を終えました。

さて問題が起きたのはホテルについてから。カードキーで部屋に入り、そのキーを壁に差し込めば電気もつくという標準装備ながら、ドアが開かない。押す引くを間違っているのでもなく、キーも正しく差し込んでいるのに開かない。「いい加減にせいよ」と心の中で思ったら開きました。

部屋に入るとカビ臭いとはいいませんが、およそこの立派なホテルに似つかわしくない雰囲気。どうも人の気配がする。手洗いに入ると、水回りも完全に乾燥している。嫌な予感を抑えながら、狭い部屋に似つかわしくない壁の絵を裏返すも何もない。ベットを持ち上げ調べると・・・やはりありました。


お札。 


「おさつ」ではありませんよ。「おふだ」です。おそらくこの部屋で何らかの形で亡くなられた方がいたのでしょう。フロントに電話しようと受話器を取ると、そこに埃。やはり普段は使われていない部屋だった。部屋のチェンジをお願いするも満室。「申し訳ございません」を繰り返すだけ。

夜中に4度ほど女性の「寂しい」という声に起こされましたが、「行くべきところに行きなさい。もう死んでるんだから。」と一言だけ言って寝ましたが、無事に朝を迎えることが出来ました。

朝、カーテンを開けると、「ご覧あれが竜飛岬・・」と思わず石川さゆりの「津軽海峡冬景色」が頭の中に。遥か向こうに見えるのは竜飛岬でした。

アポの時間までチェックアウトから時間があるので、歩いて50分ほど掛けて訪問先へ。途中さすが・・と思ったのは「縦の信号機」と「階段の上に乗った電話BOX」でした。どちらも積雪対策なのですね。思わず写真撮影!

上は青森らしいお店。下はもし記憶違いでなければ、今から30年ほど前に青森に来た時もあったラーメン屋だと思います。懐かしい!まあ、こんなそんなで仕事は首尾よく終わり、今度は新潟へ。これは大宮経由になるので、一旦埼玉まで戻るルートに。

しかし、その疲れを吹き飛ばしてくれたのが、上越新幹線のMAXスーパーエクスプレス。スーパー・スープレックスと聞こえたのが疲れを表していましたが(笑)この新幹線は何と2階建て。正直言います。2階建ての新幹線があることを知りませんでした。しかしこの横からの眺めはやぼったい。バスの横っ腹のようで冷蔵庫のようでもある。

行きは1階席。帰りは2階席でしたが、これがまた凄い!皆さん気を付けてほしいのですが、この新幹線の近くを女性はスカートで歩いてはいけません。目線がホームの高さになるので、スカートの中が容易に見えます。くれぐれも車両から離れて歩きましょう。車内も狭く感じます。天井が低いのでしょう。

新潟でまず笑ったのが、新潟駅から在来線に乗り換えるのに20分もある。ホームに行くと電車が来ているのにドアは閉まったまま。他に誰もいないホーム。東京駅の東海道線のように掃除中は閉まっているのだろうと思って10分も待ったろうか。後から来た人が、ドアを自分で開けて車内に消えたのです。そしてまたドアは閉じられた。よく見ると・・


セルフサービスです!

 

降りる時も驚きました。車内にボタンがあって、降りる人が自分でドアを開けて降りるのです。駅に到着した時、ボ~っと立ってドアが開くのを待っていると、後ろの人が迷惑そうに、ボタンを押してドアを開けて降りました。驚きましたよ!無人駅には驚きませんでしたが・・・。

無事目的地に着いたものの商談先が田舎で、食事を食べる場所がない!相手の場所を確認出来てから食事をするのが私の習慣ですが、食事場所を探して歩く歩く。やっと見つけたのが・・・・

何で新潟まで来て、自分が住んでいる「横浜」のラーメンを食べる羽目になるの!と怒りながらも雨が降って来たので選択の余地なくここで食事。

全てを終えて東京へ戻る新幹線は今度は2階席!思わず上から目線ですが、1階席より天井が低く狭いですね。上越新幹線を利用する時は1階席がお薦めです。とにかく疲れた2日間でした。