青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

池上本門寺の仁王像 ~モデルはアントニオ猪木

2014-12-13 | ぶらり散歩

東京に来たら、1度は行きたいと思っていた場所がありました。池上本門寺です。あまり皆さんご興味がないと思いますが、結構有名人が眠っているお寺です。加藤清正や紀州徳川家、幸田露伴もここに眠っています。東京都大田区。都営浅草線「西馬込駅」を下車して歩くこと10分弱。やっと来ることが出来ました。

ここには重要文化財も多く、五重塔は空襲による焼失をまぬがれた貴重な古建築物であると言います。

しかし僕が見たかったのは、本殿正面を入ると左右に祀られている。彫刻家の圓鍔勝三のよる仁王像。なぜならこの仁王像は、アントニオ猪木がモデルなのです!圓鍔勝三は文化功労者であり、文化勲章受章をしている大物。若い人は知らないだろうが、昔の昭和40年代の全盛期の猪木と言えば、筋肉ではち切れんばかりの鍛えぬいた身体をしていた。その猪木の筋肉の動きをモデルに作られた仁王像なのです。アゴが大きな仁王ではありません。(笑)

さて眺めてみると、迫力もあるが(実物をぜひご覧下さい)、何となく猪木に見えてくるから不思議だ。(笑)僕だけかも知れませんが・・・。

この仁王像・アントニオ猪木の師匠と言えば、今は亡き力道山です。1963年12月8日午後10時30分に、遊興中の赤坂のキャバレー「ニューラテンクォーター」で、暴力団住吉一家系大日本興業構成員と足を踏んだ、踏まないで口論になり、馬乗りで殴打した所、下から登山ナイフで腹部を刺されました。このキャバレー、ご存知でしょうか?あの大火災という人災で大勢の命を奪った「ホテル・ニュージャパン」にあったのですよ。本当に忌まわしい場所です。

しかし力道山は刺された傷が元で亡くなったのではなく、再手術の際に麻酔を担当した外科医が筋弛緩剤注射した後に、気管内チューブの気管挿管を失敗したことによる窒息。医療事故による死であったというのが真相のようだ。(担当医が亡くなる直前に著書で告白したことから発覚した。)

その力道山のお墓があるのが、実はこの池上本門寺なのです。

師の墓を弟子が守る。偶然にしても因縁と言うよりありません。世界王者だった故ルー・テーズは、来日の度に力道山の墓参りを欠かしませんでした。力道山を刺した加害者は、力道山の死を病院で聞いたといいます。彼は、犯行の当日の後、力道山とつながりが深く、大日本興業とは対立関係にあった東声会に報復され重傷を負い入院していたのです。彼は毎年、命日の翌日の力道山の墓参りを欠かしたことはないといいます。