青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

この大阪駅前の風景~分かる人はいますか?

2023-03-31 | 昭和・懐かしい大阪の風景

この1枚の写真・・・この場所が分かる人はいらっしゃいますか?

勿論この景色を懐かしく思う人は大勢いるでしょうが、今ネットでここを見れる、しかもこんなちっぽけなサイトを偶然見ることが出来た・・・そんな年配の方はそれほど多くないと思います。

これは昭和38年4月の国鉄大阪駅前の景色です。大阪駅の西側、大阪中央郵便局前(写真の右側の手前にありました。ここには惜しくも写っていません。)に完成した歩道橋を写した1枚です。

写真左側の歩道橋を降りた辺りが、昭和において東京~大阪を結んだ長距離夜行バス「ドリーム号」の乗り場でした。

左側上部の映画看板の左には、旭屋書店の看板が見えます。曽根崎警察の横に移転する前の「旭屋書店」本店です。ここから曽根崎に移転し、今はもうありません。

写真上部の建物の密集地こそが、今日の大阪の発展の源だった「闇市」が並んだ場所で、その後「梅田繊維街」となった場所です。

今では見られないものが写っているし、今はそこにあるものが写っていません。大阪駅前第1~第4ビルも丸ビルも、まだ建設される遥か以前の大阪駅前です。でも、人々が経済発展を願い、遮二無二働いた時代を切り取った写真です。

 


川西能勢口駅前商店街の今昔!

2023-03-30 | 昭和・懐かしい京阪神の風景

再開発は駅前だけじゃない!大阪駅前の僕が生まれる前から現在も、未来永劫に続く(笑)再開発が凄いけれど、もっと身近な駅前の再開発も凄い。

特に阪急電車と能勢電鉄が交わる「川西能勢口」駅前は、本当に変わりました。僕が子供の頃は、大阪梅田駅から池田駅までは親近感を持てたのですが、川西能勢口より先は「田舎」というか、風景がかなり違うと感じたものです。それが今では阪急百貨店が出来ている。

これは昭和32年(1957年)頃の、能勢口駅東側の駅前商店街の様子です。駅前の再開発や大型店(スーパーマーケット)の進出で、駅周辺の商業環境が大きく変化し、数多くあった商店も、民家へと変貌を遂げ、現在では当時の面影はほとんど残っていません。

これが同じ場所の現在です。本当に同じ場所だとは思えないし、昔を知っている人も、現在では少なくなっています。

 


宝塚・駅前商店街から“花のみち”へ

2023-03-29 | 昭和・懐かしい京阪神の風景

宝塚・宝塚歌劇大劇場へと続く「花のみち」の桜が、現在満開でとても綺麗です。阪急・宝塚駅を下車し、花のみちへ向かう途中にある「商店街」の昭和40年(1965年)の写真を先週アップしましたが、今日はその商店街の、別の場所の懐かしい写真を現在と比較してみましょう。

こちらも昭和40年(1965年)の写真です。土産物屋が建ち並ぶ宝塚駅前の商店街。花の道からこの道が、宝塚駅前に続いていました。

写真に写っている「道楽のやき餅」の看板のお店は、宝塚名物の河本本舗さんで、創業が昭和9年という老舗ですが、今も宝塚駅前の再開発ビルに入り、営業を続けています。

平成20年(2008年)の同じ場所がここです!現在もこの光景です。随分景色が変わりましたが、宝塚歌劇へ花のみちを通って足を運ぶファンは、今も絶えません。

名所で観る桜は綺麗ですが、僕は毎年近くの学校の桜を眺めに行きます。

学校のさくらは、本当に心に残っていますし、子供たちや学生に似合います。若者に将来に栄えあれ!


神崎川ゴルフコースは不滅です!

2023-03-28 | 昭和・懐かしい京阪神の風景

学生時代にゴルフ場に行くのは、本当にお金が必要で凄く高かった。アルバイトに精を出し、近所の河川敷で練習し、コースに年に3回くらい。打ちっ放し(打球場・練習場)に行くお金はないので、ティーショットが1番下手で、アプローチとパットだけでスコアを作っていました。それでも100を叩いたことは1度もありません。

今はゴルフ人口が減り、練習場も減り、コースも減り、残ったコースは格式の高かったコースでも誰でも行くことが出来るようになり、値段も激下がりして、ゴルフをするには最高の環境になりました。50年前より現在の方が格安の費用で楽しめます。テニスも同じようなものかも知れません。

高価なコースに行くことが出来ない時代、楽しませてもらったのがショートコースです。読売・さくらコース、柴島の淀川ゴルフ場、佃のゴルフ場、そしてこの神崎川ゴルフコースは僕の「4天王」でした。

神崎川ゴルフコースは、つるやゴルフセンター神崎川に併設されたショートコースとして現在も残っています。昔とはコースも随分変わりましたし、経営も変わりました。電車に乗って阪急・神戸線・神崎川駅で下車し、バッグを担いで橋を渡りました。自動車の免許を取ってからは車で行きました。

この神崎川ゴルフ練習場は昭和6年に出来た、当時としては珍しい施設でした。阪急電車は現在の大島町3丁目の神崎川河川敷を買収してゴルフ練習業を開設したのです。昭和9年には6ホールを設置。戦時中は一時農場に転用もされましたが、戦後スポーツ復興の気運に乗って再開。コースは9ホールが完成、アプローチショット、パッティンググリーン練習場がありました。ちょっとした歴史のあるゴルフ場だったのです。

現在は「つるや」の経営ですが、この昭和58年(1983年)のスコアカードを見ても、阪急電鉄の直営だったことが分かります。スコアも18ホールで3オーバー、難しいホールでのバーディが光っています。

現在に比べると当時は綺麗とは言えないコースに、小さなグリーンなのに砲台グリーンばかりで、スコアメイクには苦戦し、「こんなコースには二度と来ない」と悪態をつく中級ゴルファーが多かった。こういう場所で腕を磨いてこそ、本コースに行った時に簡単に感じたものでした。ただ、周囲に工場も多かったせいか、1年のいつ行っても、ここでプレーすると数ホールで鼻水が止まらなくて困ったものでした。原因不明ですが、僕を含め花粉症など患ったこともないのに、仲間数人も同じ症状に行く度に悩みました。

それが現在はこんな綺麗なコースになっています。本コースに比べて、こういう場所の料金は昔より現在の方が割高感がありますが。

 


大阪の看板!「かに」

2023-03-27 | 昭和・懐かしい大阪の風景

大阪・ミナミの道頓堀の大きな「かに」の看板。僕が小さな頃からミナミの看板でもあり、今では大阪府下のいろいろな場所のみならず、東京でもこの看板を見ることが出来ます

この写真は昭和55年(1980年)の道頓堀です。

昔も今も変わらぬ大阪の売りは、「吉本の大阪弁」と「道頓堀のくいだおれ」だと言われます。中でも、「かに道楽」は、大阪人のみならず、今では全国に知られるブランドになりました。

昭和39年の開店ですので、僕より若い。(笑)動くかには横幅7m、上下幅3m、重さ100kgで、人気も集客力も抜群です。