青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

自転車が駅前を埋め尽くす!~庄内

2024-07-28 | 昭和・懐かしい北摂の風景

ここは大阪府豊中市・庄内ですが、この時代、全国の人手で賑わう駅前の光景は、どこも同じでした。

自転車の駐輪所なんて無い時代でしたから、駅前と言わず、歩道であろうと店の前であろうと、自転車の違法駐輪が溢れかえっていました。盗難自転車も多かったし、自転車の鍵なんてあって無かったも同じようなものでした。盗ろうと思えば、すぐに鍵なんて壊せたし、鎖でも素手で引きちぎることが出来ました。

昭和60年(1985年)もうすぐ平成になろうかという時の、阪急電車宝塚線・庄内駅東口の賑わいです。別に特別な日でもなく、普段からこういう景色でした。庄内駅から国道176号線にかけての(庄内東町1丁目)眺めです。人通りもさることながら、商店や市場前に置かれた自転車の数が、当時の賑わいを物語っています。

現在の同じ場所がこれです。正面にあった豊中信用金庫も今はもうありません。合併を繰り返して水都信用金庫となり、摂津水都信用金庫となり、現在は北おおさか信用金庫となりました。金融機関がこんなに変わって行くなんて、昭和の時代には想像も付かず、「いいところに就職できたね。固いところに行けて良かったね」なんて言われていました。

駐輪禁止の標識もあり、今では自転車が1台も路上にありません。関西人が想像以上に、やれば出来るお行儀の良い人々だったのか、単に取り締まりの強化の結果なのか、人口減少の結果なのか。町が寂れていることだけは間違いなく、寂しい光景です。


学生時代のアルバイト ~お金儲けはつらいよ

2024-07-27 | 昭和・懐かしい北摂の風景

前回は昭和45年(1970年)のアサヒビール吹田工場の姿を掲載しましたが、今日はそれから少し時代が流れた昭和53年(1978年)、現在の吹田駅ビル南西側の風景です。少しと書きましたが、子供時代から学生時代の1年はとても長い。中年以降の1年とは長さが全く違いました。

アサヒビールの看板の線路向かいに、まだ「Pachinko」の看板が見えています。この頃、国鉄吹田駅南側の再開発工事が始まり、昭和20年6月26日の空襲の1トン爆弾の不発弾が発見もされました。僕が学生の頃には、まだまだあちこちで不発弾が見つかることが多く、電車や交通を止めての撤去作業が行われていました。最近はほとんどそういう話を聞かくなくなり、戦後も遠くなったと実感します。

このアサヒビール工場が思い出深いのは、この工場でアルバイトをしたことがあるからです。まだビールが注入される前の空き缶をアルコールで拭くだけの仕事です。これをひたすらロボットのように何時間もする。時給は500円でした。

当時はアルバイトと言えば、デビューは高校生で郵便局の年賀状配達というパターンが多かったと思います。その後こういう単純作業のバイトに行く者、喫茶店や店員などのアルバイトに行く者に多くは別れました。夏は涼しく冬は暖かい、そして異性との出会いがあるようなバイトが人気だったことは言うまでもありません。時給は夜の水商売以外はほぼ500円。

僕は自分の時間を1時間500円で売るのが嫌になり、1日働いても4,000円程度のアルバイトを卒業、当時1日1万円を現金でくれる現場仕事のアルバイトに精を出しました。身体も鍛えられるし、時間の経つのも早い。色気は全くありませんが、お金を稼ぐには最適のアルバイトでした。

それと同時に、週2回で1か月5万円もらえる大学受験の高校生の家庭教師も。これは合格請負という責任を感じましたが、夕食まで出して頂ける本当に好条件のバイトでした。これを2件で10万円です。

夏休みなどには毎日昼は現場に行き、夜は家庭教師。20代の会社員の給料を遥かに凌駕していました。だから、アルバイトでの1番辛かった思い出は、就職して会社員になってもらった朝から晩まで働いた給料が、アルバイトで稼いでいた金額を遥かに下回ったことでした。会社員になった以上は、俗に言う出世をして高給取りになるしかありません・・と、この時は考えましたが、その後は高給取りになるのに、出世は必ずしも必要ないことも徐々に学びました(笑)いろいろな会社、いろいろな仕事が世の中にはあるものです。

でも、僕の学生時代には、「お酒の出る場所でのバイトには女子は行かせない」・・これはほとんどの親が守っていた不文律でした。今は男女機会均等とか綺麗ごとを言う影で、社会が乱れ切っていると考えます。

 


“風の大地” 勝者は永遠に風の中に・・・

2024-07-26 | 本は友達・読書も大切です!
プロゴルファーと言うより、漫画「風の大地」の原作者である坂田信弘氏が、22日死去されました。76歳。ご冥福をお祈り申し上げます。
 
1990年から連載開始となった作品「風の大地」。
 
作画のかざま鋭二氏が2022年10月2日に亡くなられ、全英オープン最終日残り数ホールでの未完のままの連載終了。最終84巻なんて、こんな主人公のセリフでどれだけヤキモキさせられたか!ここに至るまでに、如何にも主人公が近いうちに亡くなることを、何度も示唆して来たからです。
 
 
作画者が亡くなっても原作者は元気なのだから、せめて小説版等の形であっても、最後はどうなるのか教えて欲しいと、長年の愛読者としては文句を言い続けて来ました。単行本84冊も買って、30年以上も物語をリアルタイムで追いかけたのに・・。
 
 
しかし、今回原作者がお亡くなりになったことで、もはや物語の行方は永遠に知ることが叶わなくなりました。残念としか言いようがありません。
 
「名探偵コナン」も連載が同じ小学館なので、金儲けよりもファンを大切にして、まずは一旦物語を終わらせてから、いくらでもスピンオフあるいは後日譚として、伏線回収をして欲しいと願っています。コナンが小学館のドル箱なのは分かりますが、大人の事情で多くの不安を失望させることだけは止めて欲しい。「ゴルゴ13」だって、さいとうたかを氏亡き後も続いていますが、ちょっと違う気がします。こちらも小学館。
 

煉瓦建築の見えるアサヒビール吹田工場

2024-07-25 | 昭和・懐かしい北摂の風景

その町のシンボルと言える建物が、昔はあちこちにありました。でも、最近は町を代表する建築物が再開発によって、徐々に姿を消しています。どの町の風景も似たような駅前になりつつあるのです。人の行き交う音、人々の声は、余りの暑さだけではなく人口減少によってなりを潜め、蝉の声だけが響いています。

この風景も今は消え去りました。

煉瓦建築のアサヒビール吹田工場です。明治24年に竣工した大阪麦酒会社の吹田村醸造所を源流とし、以後、国鉄吹田駅北側のシンボルであり続けました。撮影は昭和45年(1970年)、大阪万博が同じ吹田市で開催された年です。

吹田には今でも万博のレガシーである太陽の塔が残り、万博跡地は万博公園として憩いの場所になりましたが、このアサヒビール吹田工場を始め、千里丘ミリカプール、エキスポランドの近くにあったMBS毎日放送社屋は姿を消しています。

そして次は、入居者が減り続け、老朽化も進む「千里ニュータウン」の団地群が消えて行くのでしょう。町のシンボルも時代の鏡として、その座を次代に譲り消えて行きます。

 


すごい!“奇跡のハブラシ” の効果実証!

2024-07-23 | 日記
3か月に1回の、”恒例”となった歯石取りに行って来ました。3か月前にここで「奇跡のハブラシ」を買った記事を書いてから、初めての歯医者。何か気づいてくれるかな~と楽しみに家を出ました。
 
 
「あれ、歯茎の色が凄く綺麗になってる。しっかり歯も磨けているし。え~、これ凄く良いことですよ。健康な歯茎は薄いピンク色なんだけど、そうなってますよ!何か以前と違うことしてますか?何か変えた?」
 
「ご存知かどうか、奇跡のハブラシをこの3か月使って来たので、今日先生に何か言われるかと楽しみにしていました。」
 
「あれな~、すごくいいよ。へ~こんなに効果出たか‼ これからも続けて、うちにも通うの止めたらいけませんよ」
 
鏡を見ても、最近歯茎がピンクに変わったことに自分で驚いていたのですが、お医者さんに言われると嬉しいですね!
 
以前にもお知らせした「奇跡のハブラシ」(前の記事はこちら)、本当に優れもので、医師の太鼓判を頂きました。皆さんにも本当にお薦めします。自分の歯を大切にすると、良い事しかありません‼ 
 
僕はつい力を入れて磨いてしまうので、奇跡のハブラシの電動版を注文しました。これは現在制作中、10月以降の発送なので、今暫くは手動で優しく磨きます。下の広告からアマゾンへ行き、ぜひご注文を。年齢を問わずに絶対にお勧めです。特に60歳近辺の方々は、これから自分の歯を失って行く時期なので、1本でもこのハブラシで自分の歯と健康を守りましょう。口内環境の良さは健康に直結します