青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

甲子園に最もふさわしい選手がいない!

2023-05-31 | ぶらり散歩
甲子園球場100周年のポスター。来年2024年なんですね。昔はよく足を運び、阪神ー巨人戦や高校野球の決勝戦を観たものです。長嶋の雄姿も王のホームランも、原や松井の高校時代も。
 
 
ポスターを眺めていると、星飛雄馬は甲子園に出場したけど、優勝したのは花形満だったな~とか懐かしいことを思い出します。
 
ところで、いろんなキャラクターがここに載っていますが、藤村甲子園(男どアホウ甲子園:水島新司作品)がいないのには首をかしげます。彼こそ名前からして、最も甲子園球場に相応しいのに‼️
 
ポスター制作者が若過ぎる?それとも最近の広告代理店の人間は知識が浅過ぎる?もう少し調べてから制作すべきですね。
 

忍び寄るコロナ第9波!~大劇場時代が懐かしい!

2023-05-30 | 昭和の映画館

本日は年に1回の健康診断でした。長年お世話になっている医師と話をする時間があり、医師からの注意を受けました。

「マスコミ報道はありませんが、コロナ患者がかなり増えています。注意して下さい」

マスク着用が自由になり、5類移行、GWの旅行に規制も無く、世の中はすっかりコロナが収束したような雰囲気です。マスクを着用する必要はもうないのかな?という方向に進んでいますが、その反動で現在、当医院でもコロナ患者が増えて来ています。コロナに感染した場合は薬もお渡し出来ますが、自己負担額が3万~5万円(薬によって違う)となります。正直、薬を飲まなくても軽い症状で治る人もいますし、それだけのお金を使って服薬するかどうかは患者さんの決断となります。ワクチンについては来年以降はどういう制度になるのか、どういうワクチンになるのか全く何も決まっていません。

コロナ対策についてですが、まず屋外でのマスク着用をする必要はないと考えますが、人が2~3人入っているコンビニから人の多いスーパーまで、マスクは着用した方が良い。コンサートや映画館も人を一杯入れるようになっていますし、ノーマスクのコロナ感染者がいる可能性は高いので、屋内ではマスクをして欲しい。

映画館?私は今はまだ映画館に行きません。正直少し待てばDVDや配信で観ることが出来ますから。この先コロナウイルスの変異が起こらない可能性の方が高いのですから、どっちに転ぶか分からない間は油断しない方が良いと私は考えています。

これが私の掛かりつけのベテラン医師のアドバイスです。再びパニックになるような事態が起きなければ良いですね。

写真は昭和51年(1976年)7月の大阪梅田のOS劇場の賑わいです。チャールトン・ヘストン、ヘンリー・フォンダ、三船敏郎主演の戦争映画「ミッドウエイ」の公開時のもの。アメリカ建国200周年記念映画として製作され、公開時は超音波を用いた特殊音響“センサラウンド方式”も話題となりました。戦闘シーンの多くに日本映画「太平洋の嵐」の特撮シーンが流用されていたのには驚きました。

大勢で賑わい、入れ替えなく何度も鑑賞出来た、昭和の大劇場が懐かしい・・・。

 


令和でも昭和でも “珍しいモノ”!

2023-05-28 | 昭和・懐かしい大阪の風景

新しい商品が話題になると多くの人が殺到し、一時的に品切れになったり、値段が高騰したりします。特に今の世の中ではネットでの転売も出来ますから、昔に比べて実質モノが入手し易くなったのか難しくなったのか・・値段は安くなったのか高くなったのか、モノにもよるでしょうが実態が見えにくくなりました。

しかし、昭和の時代に登場した時も、令和の今になっても珍しいものがあります!(笑)

それはこれ!公衆電話は昭和の時代でも珍しくありませんでした。家に電話が無い家が多かったので、むしろ家庭用の黒電話は珍しいけれど、公衆電話の赤電話は町のいろんなお店に置いていました。でも、この電話は珍しかった。プッシュ式電話だからです。

これは昭和51年(1976年)3月の写真。場所は阪急三番街で、実はここ、「近畿地方初のプッシュ式電話の設置」でした。

当時はプッシュ式の電話が珍しく、この語徐々に家庭用の電話もダイヤル黒電話からプッシュ式、そして留守番電話付へとどんどん進化して行きました。そして今では町中で公衆電話、電話BOXを見つけることが難しくなりましたから、緊急災害時に備えて「使うことが可能な」公衆電話を日頃から知っておくべきでしょう。

外出先からインターネットを使う為、ノートPCと携帯を接続して使用できるようになる以前は、ISDN回線でノートPCと公衆電話を接続出来る電話BOXを探し求めたものでした。通信速度も通信手段も通信費用もどんどん変わりました。この先はどのように進化して行くのでしょう。

 


“駅弁” 旅の風情は今やどこに・・・

2023-05-26 | 昭和・思い出は色褪せない

昭和に比べて、旅行の楽しみが僕にとっては「減った」と感じることがあります。それは「お弁当」です。飛行機嫌いの僕は、海外にはさすがに飛行機で行きますが、国内旅行や会社員時代の出張では、必ず列車を使っていました。

駅弁にビニール容器に入って吊るせるお茶。これからの季節なら網に入った冷凍ミカン。こういうのを食べるのが楽しみでした。ビュッフェが消えて久しい新幹線でも、ワゴンが回ってくるとアイスクリームを食べるのが今でも楽しい。

でも今では、駅構内の販売店やコンビニが充実してしまった為、こんな所で買おうものなら、平日にサラリーマンがオフィスでコンビニ弁当を食べるのと何も変わりません。挙句は列車の中に、551の豚まんやマクドナルドの臭いを充満させるお客が本当に多い。列車の中は家の中とは違うし、昼休みのオフィスでもないのですが、列車内の時間を楽しむという風情が世の中からどんどん消えて行きます。

大阪駅のホームから列車内のお客さんに、駅弁を販売する光景。昭和46年(1971年)12月の光景です。ここまで趣が無くても、1980年代ならまだまだ旅の風情が感じられましたし、新幹線の旅であっても楽しかったものです。

食欲・性欲・睡眠欲は人間の3大欲求だと言われますが、その中の「食欲」。カロリーがどうの栄養がどうのと言う以前の問題として、せめて旅行先や旅の途中では、普段食べない、食べられないものを楽しむのはいかがでしょう?ファーストフーズの臭いは勘弁してほしい。

同時に通勤・通学の在来線における飲食も。おにぎりやコーヒー、アルコールまで電車内で食する人が多いのですが、臭いだけではなく、もし電車が揺れて他人の服を汚してしまったらどうするのでしょうか?電車内で安い品物を飲み食いしているような人に、クリーニング代を潔く払える人はなかなかいないと思います。もう少し、公共におけるエチケットをわきまえて欲しい人が多過ぎます。器用だとは思いますが、電車内でファンデから始まるフルメークを施す女性・・・親は何を教育したのでしょうね。

 


MSX,PC,FMシリーズ ~パソコン黎明期の日本橋!

2023-05-21 | 昭和・懐かしい大阪の風景

電化製品の街、大阪の日本橋「デンデンタウン」については、先日「ニノミヤムセン」について書きましたが、今日はもう少しWindowsが発売する前の、80年代のパソコン時代について書いておきます。

活気のあり過ぎる、こんな日本橋の姿を目にすることは二度と無いと思います。大型テレビもビデオ、レーザーディスク、DVD、レコード、CDの時代が過ぎ去り、パソコンさえ持っていない若者が多い。その代わりどこの駅前にも数店ある携帯電話・スマホが全てを蹂躙してしまいました。スマホの画面で映画や音楽、ゲームをサブスクで楽しむのは1つの文化ですが、1人で引きこもって楽しむ世界のように僕は感じます。スマホで完結してしまう世界が僕は楽しいとは思えない。映画は大画面&サラウンド。音楽は高級オーディオで堪能したいからです。

さて、下の地図は昭和59年(1984年)当時、電気店がズラリと並ぶ日本橋の中で、パソコンを扱っていたお店です。

Windows前のパソコン黎明期から、こんなに多くのお店がパソコンを扱っていたのです。多くの大人がワープロに走った時代、パソコンオタクと言われようが、若者は次の時代に必要とされるパソコンに既に目を向けていました。

ニノミヤ以外にも人気店は数多くありました。その中の1つが「J&Pテクノランド」でした。地下鉄恵美須町駅を上がると、最初に目につく大きなビル。これが上新電機のパソコン専門ショップのJ&Pテクノランド。姉妹店のメディアランドもありました。

広い店内は1Fがホビー用、2Fがビジネス用、3Fにパソコンカレッジ。1番人気は1Fで、入って右側のサイドにはズラリとデモンストレーション用の大きなゲーム機が並び、マニアが競ってゲームに興じていました。

ちょっと変わったお店では「フレックス」。パソコンは年々性能が向上し、モデルも変わる。その時々に合わせて安価な中古品を購入し、自分の腕を磨くということが80年代には流行。このフレックスは中古専門ショップながら、全国に4店舗を持つチェーン店で、下取りもしてくれました。その上、各メーカーの新製品や新機種も揃えていたので、人気がありました。

しかし、1番の人気の理由は店長さん以下、スタッフ全員が女性ということだったかも知れません。