青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

池田警察 ~警察施設はもっと最新に!

2023-04-30 | 昭和・懐かしい北摂の風景

公的な施設の場所は、なかなか変わらないことが多いので、郷土史というほど大袈裟なことではありませんが、自分のホームタウンの歴史を調べ楽しむ上で、最初に取り組みやすい。町の図書館などで古い郷土史の本を調べても、いろいろなことが書かれています。下調べをしてから現地に向かえば、なるほどと思えることが多いものです。

さて、大阪北摂に住んでいる皆さん、ここはどこでしょう?

垂れ幕や看板から想像できると思いますが、ここは池田警察所です。

大正時代に建てられた建物を、戦後もかなり経つ昭和38年頃に至るまでず~っと使っていました。この写真は昭和37年(1962年)のものです。戦後の一時期は、GHQの方針で市営(自治体警察)だったこともあります。

ただし、この写真は現在の場所とは違います。現在ここは、池田公共職業安定所・ハローワーク池田になっています。後ろに見える五月山は変わりませんね。

大正期に建てられた池田警察は昭和38年に、もう少し南東の池田小学校敷地だった現在地に移転しました。池田警察所も、お向かいの市役所のようにそろそろ綺麗な施設に建替えて欲しいものです。伝統も良いのですが、もう少し開放的にして、何かあった時に市民が足を運びやすい場所にして欲しいですね。維新が池田市長なので、財布が閉まっているのかも。

 


京都・土方歳三の店 ~若王子~ 栗塚旭を知っていますか?

2023-04-29 | 昭和の喫茶店

僕のような60歳を超える人なら、新選組・鬼の副長「土方歳三」と言えば、俳優・栗塚旭を思い出さずにはいられないと思います。テレビ朝日系で昭和に放送された「新選組血風録」「燃えよ剣」で、土方歳三を演じ、一躍スターダムを駆け上がった俳優さんです。

その栗塚氏の経営した喫茶店が「若王子(にゃくおうじ)」でした。テレビ出演で得たお金で、京都・哲学の道沿いに土地を購入。そこに自宅を建て、カフェをオープンしたのが昭和47年(1972年)。2002年(平成14年)に閉店、その後も栗塚氏はそこに住んでおられましたが、いつまにか空き家になり、寂れ、現在は自宅もカフェも取り壊され、かつての場所にはその面影も残っていません。

僕がこのお店を訪ねた頃、お店には栗塚氏本人が忙しく店内を歩き、自らお客さんに珈琲を運んでいました。栗塚氏のお店だけれど、本人の姿を見れない・・そういうお店ではなく、本人がお店で接客をされていました。

新選組ファンの方が「燃えよ剣」などの本を差し出してサインをお願いしても、気さくに応えられていました。ただ・・・栗塚氏の普段の声はTVの土方の声とは全く違い、かん高い声で、土方の声を聞かせて欲しいというリクエストにだけは、「あれは仕事の声だからお金が要るよ」と役者の矜持からなのか、応じられていませんでした。

お店も1人で切り盛りしているかのようで、庭にある池の水は濁っていましたし、店内や庭には仏像もあれば、キリスト像もあり、ミロのビーナスもある。樹も花もいろんな種類が統一感無く植えられていました。その統一感の無さについて質問すると「世の中にはいろんな宗教や綺麗な物があって、どれが正しいとか間違っているかではなく、その人が良いと思ったものが良い。だから、良いものを全部一堂に集めているんです。人間のようにそれぞれが喧嘩はしないと思うよ。」と話をしてくれましたが、周囲で僕らの話を聞いていた人の中には、「それは違う」と席を立って出て行く方もおられました。

多くの人が土方歳三を求めて来店されるからか、自分のイメージにそぐわないと失望する方がいても仕方がありませんが、そういう人に取り合わない栗塚氏の態度を冷たいと思う人もいたようです。

桜吹雪と桜の花びらで美しい哲学の道を歩いていると、不意にとんがり屋根の上に風見鶏の建物が出て来る。階段を下りて行くとお店があり、この辺りに他にお店が無い事もあって、多くの人が散歩の喉の渇きを潤しに、ここで一休みというのどかな光景を見ることが往時には出来ました。

TVドラマ「燃えよ剣」の土方に会えて、僕の子供たちもご満悦でした。彼らが「土方さん」と話し掛けた時、「俺に何の用だ」とあの声で応えてくれたことに感謝しました。子供と女性には親切!

そうそう、飲み物には全て自家製のクロワッサンが付いて来ました。1990年頃のことですが、珈琲は700円。営業時間は10時から夕方6時で年中無休でした。

 


梅田劇場 ~東京五輪は常に揉める!

2023-04-28 | 昭和の映画館

写真は懐かしい大阪・梅田の「梅田劇場」。昭和40年5月の写真です。「梅田地下劇場」の看板も見えます。ここは現在のヘップ・ナビオの場所で、70年代後期までここには、梅田劇場・梅田スカラ座・梅田地下劇場・北野劇場・北野シネマがありました。

この市川崑監督のドキュメンタリー映画「東京オリンピック」は、多くの観客を動員。公開前は五輪映画に懐疑的な声もあったが、「なんだオリンピックだなんて」と思っていた人が「いいもんだなあ、やって良かったなあ」と思い直した人が随分いて、その人たちが映画に少し期待し始め、封切り当時はどの映画館にも入場者の列が出来ました。試写を見たオリンピック担当大臣の河野一郎の批判的なコメントから、「芸術か記録か」という大論争が起こった映画でもある。天皇陛下出席の天覧試写も行われましたので、ついこの間の2度目の東京オリンピックとは、大会自身も映画も、社会を取り巻く状況が全く違ったことが分かります。

この作品にエピソードは山ほどありますが、日本国内で12億2321万円の配給収入を記録(配収12億円は1972年公開の「ゴッドファーザー」に抜かれるまで日本記録)。映画館の他にも日本各地の学校や公民館で上映会が開かれたことから、その観客動員数は一般観客750万人、学校動員1600万人の合計2350万人で、事実上日本映画史上最多であるといわれていることが、当時の世相を最も表していると思います。

それに比べ、映画「東京2020オリンピック」の方は、アスリートを中心に描く「SIDE:A」と、非アスリートを中心に描く「SIDE:B」の2本が撮られましたが、興行成績は無残な結果に終わりました。あれだけ「こけた」映画には、なかなかお目に掛かれません。コロナ禍のせいではなく、スタジアムの設計、ロゴの不正とスタートからケチが付き、コロナ禍やバッハ会長等、最後までケチが付き続けた東京オリンピックを、わざわざもう1度観たいと思う人がいないのも当然かも知れません。

 


うつのみ屋 ~好きなお店で歳がバレる?

2023-04-27 | 昭和・思い出は色褪せない

学生時代から社会人の仲間入りをする頃が、人生で最もアルコールを摂取していました。今ではもう何十もの間、禁酒禁煙を意識する訳でもなく継続しています。33歳頃に柔道の練習中、体力の衰えを感じて止めました。バーボンの香りを嗅ぐと今でも飲みたくなりますし、別に飲んでも良いのですが、つい飲まずに過ごしています。(笑)

若い時に1番行ったのが「うつのみ屋」でした。梅田の「曽根崎いなか店」はよく使いました。大学のゼミのコンパに遅れて行くと、喧嘩騒ぎの真っ最中。「やっと来てくれた、止めてくれ!」と言われて仲裁に入ると、我がゼミの連中が喧嘩をしてボコられている。その相手が何と某大学の運動部の連中で、主将・副主将は僕の友人達!(笑)事情を聴くと100%我がゼミの連中の方が悪い。そんな事件もありました。

「酔虎伝」もよく使ったお店です。「養老乃瀧」も。今日名前を上げたお店、勿論今でも営業しています。令和になっても健在です。でも、なかなか名前を聞かないし、テレビ等でも取り上げられないのが寂しいですね。時代と共に、いろんなお店が流行り、そしていつか廃れて行きます。

うつのみ屋は大阪・キタに3軒。曽根崎、梅地下店、東通りいなか店がありました。今は何軒残っているのかな?神戸・北野坂にもありました。

80年代初頭、流行りのカフェバーやディスコも良かったけど、そこは個人プレーが楽しいお店。何人もの仲間でパァ~っとやるには、それなりのスペースが必要でした。それでこそ、全体のコミニュケーションが取れると言うもの。

このお店は少人数グループから100人以上の軍団まで、人数に合わせてカウンター、テーブル、お座敷が選べ、料理も当時は一品何と50円からでした。

京都だと「酔心」や「いろはかるた」も人気でしたし、他には「のん兵衛かまど」「北の宿」等の居酒屋もありました。居酒屋の名前を上げれば、年齢がバレますね。

 


貸本屋もあった・・池田本町通商店街

2023-04-26 | 昭和・懐かしい北摂の風景

昭和の時代は、僕の住んでいた阪急沿線なら、駅ごとに商店街がありました。お客さんで賑わい、商店街にはアーケードがありました。商店街のお店はいろんなお店がありましたが、貸本屋、古本屋、呉服屋と、今ではなかなか見れないお店も軒を連ねていました。

現在の池田ハローワーク交差点西側から、国道176号線・西本町交差点東側まであったのが、この池田本町通商店街。奥には今となっては遠い昔に撤去されたアーケードが写っています。昭和43年(1968年)の商店街風景です。

「新刊・貸本」を謳っている、貸本専門店の看板が懐かしい。レンタルレコードが80年代には問題になりましたが、書籍の貸本が社会問題として、大々的に取り上げられたことは記憶にありませんね。

現在の景色を見ると、昔ここも商店街だったことを知る人は何人いるのだろうと思います。そもそもこの通りが再開発され、向かって左側の前方には映画館「池田中央シネマ1」と「2」が、昭和62年(1987年)から平成22年(2010年)5月31日までありました。