青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

青春の洋楽SONG(57)ジャック&ダイアン / ジョン・クーガー

2021-10-31 | 青春の音盤

ジョン・クーガーはデビュー当時の名前。1983年にジョン・クーガー・メレンキャンプに改名し、1991年からは本名のジョン・メレンキャンプを名乗っている。この「ジャック&ダイアン」がヒットした時彼は既に31歳。遅咲きのロッカーだった。

彼は喫煙を理由に高校を中退させられ、23歳の恋人と駆け落ちするが、行き先は彼女の実家で彼女は妊娠していた。そこから彼は1日中家でゴロゴロして、24歳の時に追い出される。彼はデモテープを持ってニューヨークへ。これがデビッド・ボウイのマネージャーの耳にとまりMCAレコードと契約。メジャーデビューを果たす。しかしデビューしたもののセールスはさっぱり。次のリヴァというレーベルと契約し、徐々にその名を売り出していく。

そして1982年通算6枚目となるアルバム「アメリカン・フール」をリリース。これが何と500万枚を越える大ヒットとなる。ファーストシングル「青春の傷あと」は凄まじい勢いで売れ、4週連続の2位。「ジャック&ダイアン」はセカントシングルとしてリリースされ、この曲が4位にランクされた時、「青春の傷あと」はまだ8位にランクされていた。「ジャック&ダイアン」はこの後1位を見事に獲得する。

このPVの中で、ジャックとダイアンを8ミリフィルムで撮影した映像が使われていたのが、この曲の大当たりに繋がる。既に当時は家庭用ビデオが普及しており、8ミリは消え去ろうとしていたのだが、MTVでこのクリップを見た視聴者達は自分達が、8ミリで家族や恋人を撮影していたことを思い出し、失われた過去へのノスタルジックな感情を目覚めされられた。まさに最高のタイミングで作られた内容のPVだった。

僕も8ミリで映画を作ったりしていたので、このPVを大いに気に入りました。そして、古き良きアメリカの匂いを感じるこの曲を気に入ってしまったのです。平凡に感じるけど決して平凡に終わらない人生の、まだ幼い良き日が歌われている歌だと思います。

 

 

「ジャック&ダイアン」を聴く!

 

JACK & DIANE / JOHN COUGAR

A little ditty about Jack and Diane
Two American kids growin' up in the heartland
Jackie gonna be a football star
Diane's a debutante, backseat of Jackie's car

Suckin' on a chili dog outside the Tastee Freeze
Diane's sittin' on Jackie's lap
He's got his hands between her knees
Jackie say "Hey Diane, let's run off behind the shady trees.
Dribble off those Bobby Brooks slacks, let me do what I please."
And say uh

Oh yeah, life goes on
Long after the thrill of livin' is gone, they say uh
Oh yeah life goes on
Long after the thrill of livin' is gone, they walk on

Jackie sits back collects his thoughts for the moment
Scratches his head and does his best James Dean
Well then there Diane, we oughtta run off to the city
Diane says, "Baby, you ain't missin' nothing."
And Jackie say uh

Oh yeah, life goes on
Long after the thrill of livin' is gone
Oh yeah, they say life goes on
Long after the thrill of livin' is gone

Gonna let it rock
Let it roll
Let the Bible Belt come and save my soul
Hold on to sixteen as long as you can
Changes come around real soon
Make us women and men

Oh yeah, life goes on
Long after the thrill of livin' is gone,
Oh yeah, they say life goes on
Long after the thrill of livin' is gone

A little ditty about Jack and Diane
Two American kids doin' the best they can

*注*
Tastee Freeze=ファーストフード店の名前
Bobby Brooks=女の子の服のブランド名
Bible Belt=米南部で、特にキリスト教の色が濃い地域のこと


これはジャックとダイアンを歌った短い歌
2人のアメリカ人の子供は、このハートランドで育った
ジャッキーの夢はフットボール・スター
ダイアンはジャッキーの車の後部座席にデビューするお嬢様

タスティー・フリーズの外でチリドックのソースを舐めながら
ダイアンはジャッキーの膝の上
ジャッキーは彼女の膝の間に手を置いて
なあダイアン、あの木陰の裏へ
逃げようぜ 
そんな洋服は脱ぎ捨てて
俺が満足する事をさせてくれ
そしてジャッキーは言う

そうさ人生は続くんだ
スリルを味わう時が過ぎてもダラダラと
そうさ人生は続くんだ
スリルを味わう時が過ぎてもダラダラと
人生は続いて行くんだ

ジャッキーの背中は彼の考えを一瞬の間垣間見せる
頭をかきながら 
お気に入りのジェームス・ディーンの真似をして
なあ、ダイアン 俺達街から逃げなきゃな
ダイアンは言う ねえ あなたは何も失ってないわ
ジャッキーは言う

そうさ人生は続くんだ
スリルを味わう時が過ぎてもダラダラと
そうさ人生は続くんだ
スリルを味わう時が過ぎてもダラダラと
人生は続いて行くんだ

人生を揺り動かすんだ
人生を転がして行くんだ
バイブル・ベルトを降臨させ
俺の魂を救うんだ
出来るだけ長く16歳のままでいるんだ
身の回りの現実はすぐに変化する
俺達を大人の女と男にする為に

これはジャックとダイアンのことを歌った短い歌
2人のアメリカ人の子供は 出来るだけのことをやっている


悪夢のガンガー!世界観が変わる!

2021-10-30 | 地球を歩く

日本人が考える、最もインドらしい場所・風景と言えば、それは「バナーラス」です。インドの人にとって、バナーラスで焼かれ、遺灰をガンジス河に流してもらうことは夢・・そう現地で何度も聞きました。

ただ、ここも汚く(日本人の感覚では)、道の真ん中には野良牛が寝そべり、至る所に牛の糞が落ちています。子供の頃、道端で犬の糞を踏むことが時々ありましたが、そのことを思い出すほどでした。街の安いホテルに泊まると、シラミに襲われます。(本当!)

ガンガー(ガンジス河)の日の出見物は、バナーラスの最大の観光ポイントで、早朝から大勢の観光客がボートをチャーターして河に繰り出しますが、僕はその光景に「三国志~赤壁の戦い」を想像してしまいました。

おびただしい数の人々が、日の出と共に沐浴をします。水を浴びるのは人間だけではなく、牛も含まれます。ところが・・

河沿いには火葬場もあります。因みにインドでは、火葬場には親族であっても女性は立ち会えません。バナーラスで焼かれ、遺灰をガンジス河に流してもらうことは夢と言われるだけあって、インド中から遺体が運ばれて来て、そこでは1日中火葬の煙が絶えません。その遺体ですが、焼く前に河に人の手で運ばれてきて、ガンガーの水に浸します。

更に、そこで荼毘に付されるのは限られた人です。ヒンドゥー教徒でなければ駄目。ヒンドゥー教から離れた人も駄目。子供は人生経験が無いという理由から駄目。妊婦も駄目。毒蛇に噛まれて死んだ人は駄目と、いろんな人の火葬が許されていません。

火葬が認められないヒンドゥー教徒ですが、ヒンドゥー教は墓を持ちませんので、そういう人々はサリー等に包んでガンガーに沈めます。この街で異常に安いサリーが売っていたら、それは死体をくるんでいたものだと言います。

ガンガーの臭い、人を焼く時の独特の臭いが、写真では分かりませんが漂います。

生きている人、牛、遺灰、布に包まれた遺体が同時にガンガーの水を使い、それを旅行客が観る。何とも言えない世界観にバナーラスでは包まれます。勿論、この河では洗い物もしますし、排泄物も流されます。

海外の景色、例えそこが世界遺産の地であろうが、どれだけ美しい風景であろうと、写真で見ただけでは何も分かりません。聞こえて来る音、漂う臭い、五感を使って感じた何かはそこに行った人にだけ、大切な何かを教えてくれます。


闇市 ~大阪最後の戦後風景!

2021-10-29 | 昭和・懐かしい大阪の風景

軍服姿、戦闘帽の人もいれば、男女ともスーツを着てもいる。このまるで映画の一場面のような光景ですが、一体これは、いつどこで撮影した写真だと思いますか?



右後方には「阪急百貨」という文字と共に、阪急百貨店が見えます。ここは、その真南にあたる、駅前第4ビルの付近です。そう、大阪駅前に最後まで残った戦後の「闇市」のなごりを残す一角の写真です。

ではいつの写真でしょう。驚くなかれ、昭和48年~49年頃。そんなに遠い昔ではなく、山口百恵がデビューした後です。テレビドラマ「どてらい男」を観て、闇市ってどんな所だったんだろうという話を親父にした時、まだ「なごり」は残っていると、この場所に連れて行ってもらいました。

大阪駅前第3ビルが出来たのが、昭和54年(1979年)。その頃はまだ、丸ビルから後に第4ビルが建つ一角は、こんなドヤ街風景が残っていました。わざわざ最後の戦後風景を見に行く僕も僕ですが、皆さんは大阪駅前・梅田のど真ん中に、こんな風景が80年代の直前に、まだ見ることが出来たことをご存知でしたか?


“写メール”登場から21年!

2021-10-28 | こんな「モノ」ありました!
まだ、たった21年しか経っていないですね。もっと以前の出来事の様に思います。
 
最初に勤めた会社を退職し、Jフォンに転職。そして、シャープのカメラ付携帯電話「J-SH04」に出会いました。ドコモに追いつき追い越す為の切り札的なサービス、「写メール」が登場!責任者は高尾さん(だったと思う)。
 
 
この機能が無ければ、SNSは味気無かったし、インスタ等存在しなかったでしょう。技術開発はもとより、「写メする」という言葉が今も使われているように、このネーミングは1つの発明だったと思います。
 
パソコンを使える人たちの何割かが、やっと画像ファイルをメールに添付して送受信出来るようになって来たこの頃、高額なパソコンを持っていなくても、難しい知識を知らなくても写真を簡単に友人に送ることが出来る。画期的なことでした。
 
 
これは昨年の新聞ですが、写メールが世の中に及ぼした影響は計り知れないものがあります。Windowsが登場して誰も彼もが通勤・通学途中にパソコンの勉強を始めました。ウェブサイトの見方すら分からない、インターネットのつなぎ方も分からない・・それが21年前。ところが今では小学生でもネットを楽しみ、誰もが写真を送ることが出来る。iPhoneが当時のパソコンの半額ほどの高額商品になった。
 
電車の中で漫画雑誌や新聞を広げる人がいなくなり、みんながスマホを眺める時代になった。鞄片手に気ぜわしく歩くサラリーマンよりも、スマホ片手に前を見ないで歩く人々が増えた。21年前には、こんな酷い世の中になるとは思いませんでした。SF小説の教訓ではありませんが、便利になることと引き換えに失うものがある。あなたは何か大切なものを失っていませんか?
 
J-Phoneがボーダーフォンになり、そしてソフトバンクに変わって今日に至ります。僕はボーダーファン時代に転職しましたが、携帯電話の会社を辞めて良かったと思います。当時の携帯会社の裏側は理不尽なことだらけ。長期間使っているユーザーよりも、新規加入者ばかりを優遇することに代表されるような、消費者を馬鹿にしたようなサービスは当時から既に沢山ありました。

関西の“深夜ラジオ番組”

2021-10-27 | 昭和・思い出は色褪せない
深夜のラジオ放送についての本が発売しても、所詮は関東の番組ばかり。昔の街の風景の写真集が出ても、それは東京。もう少し関西の文化圏を大切にし、関西文化を書籍でなり残してもらいたいと僕は常日頃から思っています。
 
「ハガキで当てよう車と1万円!」この言葉と共にテーマソングが流れてスタートする、大阪・朝日放送の「ABCヤングリクエスト」(通称「ヤンリク」夜11時から早朝3時までの放送)。この番組は1966年に全国ネットになったので、知っている方も多いのではないでしょうか?
 
星がやさしく ささやく夜も
小窓に雨が 降る夜も
聞きましょう 夢のリクエスト~
あなたと二人の クイズとゆめのプレゼント
Oh!ABCヤングリクエスト
 
この番組を勉強のお供に、FMと交互に聴いていました。今思えば、受験勉強も楽しかったのかも知れません。新人アナ3人が交代で担当する、あらゆるジャンルに対応するリクエスト番組でした。裏番組に対抗した「下ネタ厳禁」が特徴。局アナがDJを務め、おふざけはしないという端正なスタイルが最後まで貫かれ、1986年(昭和61年)10月3日の放送をもって終了。
 
 
最終回には歴代のパーソナリティー、レギュラー出演者らを迎え、朝日放送ラジオ第1スタジオに50人の聴取者を招いて、午前5時まで放送されました。この番組がスゴかったのは、リクエストハガキさえ来ればジャンルを問わず流してくれたこと。歌謡曲、洋楽、演歌、サントラ、ジャズと何でもありだったことです。おかげでいろんな曲が聴けましたし、自分のハガキが読まれて、プレゼントをもらったこともありました。この番組を聴き始めたのは、偶然アニマルズの「朝日のあたる家」が流れて来たから。それ以来聴き始めました。
 
リスナーからのリクエストハガキの合計でヒットチャートを毎晩決定する「ヤンリク・ベスト20」や、レコード会社の宣伝担当者が1分でPRするコーナー「命を賭けてる60秒」というのもありました。「仁鶴・頭のマッサージ」で笑い、「心の旅 遠くへ行きたい」というコーナーでは青春の悩みの相談や、詩の朗読をしていました。「ミキサー完備 スタジオ貸します」は、浪花のモーツアルト・キダ・タローの担当で、アマチュアバンドの演奏コーナー。キダの辛辣な審査コメントが人気でしたが、とにかくチューニングも合っていないバンドが多かった。(笑)このコーナーには河島英五、庄野真代らがデビュー前に出演しました。
 
そして深夜も3時が近くなれば、寂しい気分になったものです。この後には、これは大阪ローカルかも知れませんが、「もうすぐ夜明けABC」という番組。裏番組では、MBSが「歌うヘッドライト」、OBCが「走れ歌謡曲」。いづれもトラックの長距離運転手さんを中心リスナーに置いた、演歌中心の番組が放送されていました。
 
この当時はその時間まで起きていても、翌日はピンピンしてスポーツしていました。若い時は本当に元気なものです。今からでは考えられません。自分の子供も今週から高校1年と小学校6年。青春時代を本当に謳歌して欲しいものです。嫌ならいつでも代わってあげたい。(笑)