関西では食べ物に、「お」や「さん」「ちゃん」をよく付ける。例えば「いなり寿司」は、「おいなりさん」。「揚げ」は「お揚げさん」、「いも」は「おいもさん」、「豆」も「お豆さん」となります。
また普段は仕事に厳しく、見た目のいかつい僕のような上司が、ふいに「アメちゃん、食べる?」とキャンディーを会社で差し出す。こんな風景は珍しくも無い。(笑)関西では女性だけではなく、男性も、食べ物に対して丁寧語や敬称を使います!
「さん」については、目上の人に対し、「様」では仰々しいが、呼び捨ても失礼。そこで親しみを込めて「さん」や「はん」と呼ぶようになったらしい。秀吉は「太閤さん」だし、松下幸之助は「幸之助はん」。小林一三は「一三はん」と呼ばれる。
日頃からお世話になっている食べ物にも、感謝と親しみを込めて「さん」をつけるのが、関西人なのです。(笑)
中学1年のホームルームで、「クラスの歌」を作ろうという課題がありました。何の為にかも思い出せないのですが。替え歌を作り、クラスのテーマ曲にしようということで、その元歌を何にするかを、班ごとに話し合ったのです。出てくる元歌は歌謡曲ばかり。どうせならビートルズの曲で替え歌を作ろうと、僕は提案しました。その時のクラスの反応が、今でも忘れられません。
「どうやって英語の曲に、日本語の歌詞をつけるの?」
「英語の歌に、歌詞をつけられるハズが無いやろ!」
「日本語とリズムが合うわけない!」
僕がクラスで嫌われていたせいか(笑)、轟々たる非難を浴びたのです。当たり前のことですが、僕は日本語による洋楽カバーをしたかったのです。古くは「黒猫のタンゴ」もそうでしたし、最も有名なものは西城秀樹の“YMCA”をカバーした「ヤングマン」や麻倉未稀の「ヒーロー」、郷ひろみの「哀愁のカサブランカ」も洋楽のカバー。それをしたかっただけなのですが、「そんなことは無理!」と相手にされませんでした。
却下されたのは仕方が無いにしても、先生までが「洋楽を日本語の歌詞で歌うのは無理」と言うのを聞いて、「この教師は頭が悪いのか?」と思ったことを忘れられません。
その翌日でした。ある女の子がレコードを、「うちのお父さんが、これを君にあげるようにって」と、僕に渡してくれたのです。昨日の話を家でしたところ、通訳を仕事にしているお父さんが、そのレコードを僕にプレゼントするように、その子に話したそうです。
そのレコードは、カーペンターズの「ライヴ・イン・ジャパン」でした。
これはカーペンターズにとって初のライヴ・アルバム。日本限定の企画盤で、1974年の5月から6月にかけて行われた日本ツアーのうち、大阪での3日間公演の音源を使用したものでした。大阪フェスティバルホールでの録音は、今聴いても臨場感溢れるものです。
その中の「シング」(Sing)を、カレン・カーペンターが京都少年少女合唱団と、日本語で歌っていたのです!
中にはレコードをくれたお父さんからの手紙が入っていて、「これからはもっと海外から音楽や映画が入って来る。流行は海の向こうからやって来るようになります。海外にどんどん目を向けて下さい。英語は大きくなった時の、君のパスポートになります」と書いていました。
人の半歩くらい先を歩くのは問題ないのですが、人よりも何歩も先を歩くと、時々問題というか摩擦が起きます。これは子供時代だけではなく、会社に通う大人も同じ事です。その時に、しょんぼりするのではなく前を向いて歩くというエールを、この方は子供の僕に送ってくれました。嬉しかった思い出です。