梅田・大阪駅界隈。東は天六、西は福島、北は中津、南は中の島までの広いエリア。縦横無尽に地下街が作られ、いろんな抜け道があり、生まれては消えて行った街並みやお店がある。僕は全く迷わないけれど(笑)、梅田の地下が分からないという人も多い。でも僕たち全員が、そこに1人で足を踏み入れるようになってから今日までの、街の物語の証人です。
阪急百貨店・阪急うめだ本店前・南北コンコース
まずはこの通りが起点でした。南端は地下鉄・阪神・御堂筋・駅前第1~第4ビルへ、西は国鉄大阪駅・丸ビル・桜橋・中央郵便局、東は阪急ファイブ・阪急東通り・お初天神、北はかっぱ横丁・梅田スポーツガーデン、そしてここは阪急32番街へ。僕らは年齢と共に、全方位に活動範囲を広げて行きました。1980年代と現在、こんなに変わりました。
ここはそもそも阪急・梅田駅のホームだった場所です。梅田駅が現在の位置に移動することによって、グランドビルも阪急百貨店も現在のように建設されたのです。
賑やかな1980年代は、キャッチセールスやナンパ族が嫌というほどこの辺りに蔓延り、ネットを検索しても出て来ませんが、この柱の陰から刃物を持った男が人を刺すという事件が起きた時は、戦慄を覚えました。
南の端の右角には「たばこセンター」があり、キューバ産の葉巻を求める外国人が多く訪れました。ステンドグラスや見事な柱の設計は美しく、見る者を楽しませました。この場所から夢が広がって行ったと言っても過言ではありません。
真っ直ぐ降りれば曽根崎警察、降りて右折すれば地下鉄御堂筋線・阪神電車へ。
昔は良かった・・・そういう言葉は社会の発展に対してネガティブな言葉かも知れませんが、このコンコースだけは、昔は良かった。そう言わせる雰囲気やパワーを持っていました。今はただの通路に成り下がり、南端のエスカレーターは「節電のため」と、常に2本が止っています。(土日でも停止しています。)それを見るだけでも、大阪の衰退を感じます。