青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

阪急梅田駅ターミナル ~誰もが懐かしい!

2021-09-30 | 昭和・懐かしい大阪の風景

梅田・大阪駅界隈。東は天六、西は福島、北は中津、南は中の島までの広いエリア。縦横無尽に地下街が作られ、いろんな抜け道があり、生まれては消えて行った街並みやお店がある。僕は全く迷わないけれど(笑)、梅田の地下が分からないという人も多い。でも僕たち全員が、そこに1人で足を踏み入れるようになってから今日までの、街の物語の証人です。

阪急百貨店・阪急うめだ本店前・南北コンコース

まずはこの通りが起点でした。南端は地下鉄・阪神・御堂筋・駅前第1~第4ビルへ、西は国鉄大阪駅・丸ビル・桜橋・中央郵便局、東は阪急ファイブ・阪急東通り・お初天神、北はかっぱ横丁・梅田スポーツガーデン、そしてここは阪急32番街へ。僕らは年齢と共に、全方位に活動範囲を広げて行きました。1980年代と現在、こんなに変わりました。



ここはそもそも阪急・梅田駅のホームだった場所です。梅田駅が現在の位置に移動することによって、グランドビルも阪急百貨店も現在のように建設されたのです。

賑やかな1980年代は、キャッチセールスやナンパ族が嫌というほどこの辺りに蔓延り、ネットを検索しても出て来ませんが、この柱の陰から刃物を持った男が人を刺すという事件が起きた時は、戦慄を覚えました。



南の端の右角には「たばこセンター」があり、キューバ産の葉巻を求める外国人が多く訪れました。ステンドグラスや見事な柱の設計は美しく、見る者を楽しませました。この場所から夢が広がって行ったと言っても過言ではありません。

真っ直ぐ降りれば曽根崎警察、降りて右折すれば地下鉄御堂筋線・阪神電車へ。



昔は良かった・・・そういう言葉は社会の発展に対してネガティブな言葉かも知れませんが、このコンコースだけは、昔は良かった。そう言わせる雰囲気やパワーを持っていました。今はただの通路に成り下がり、南端のエスカレーターは「節電のため」と、常に2本が止っています。(土日でも停止しています。)それを見るだけでも、大阪の衰退を感じます。


どうなる?ゴルゴ13 ~さいとう・たかをさん死去

2021-09-29 | 日記
「ゴルゴ13」の劇画家さいとう・たかをさん(本名・齊藤隆夫)が24日午前10時42分、膵臓(すいぞう)がんのため亡くなっておられました。84歳でした。驚くと共にとても残念です。合掌。
 
 
1968年11月から連載がスタートした「ゴルゴ13」。僕は1970年から愛読して来ました。随分きわどい描写もあり、子供には早すぎた作品だったかも知れませんが、その内容は洋画好きの僕にはとても面白い・興味深いものでした。以来、これまで読み続け、コロナ禍で自分に何かがあって最終回が読めなかったら・・と考えたほど隔週で楽しんで来ましたが、遂にこの日が来たかという思いです。
 
ビックコミック最新エピソードの「ゴルゴ13」の絵が、ゴルゴ本人の絵は別として、余りにもこれまでと違い、物凄い違和感を感じていたのですが、作画担当者が変わってしまったのかも知れません。
 
「ゴルゴ13」の連載は、さいとうさんの遺志のもと、スタッフと編集部が協力して今後も継続の予定だそうです。確かに作品は何十年も前から、脚本や作画などが完全分業制の下で作られて来ましたので連載継続は可能でしょうが、さいとう氏がお亡くなりになったことで、今後の作品の質の低下が心配です。
 
以前から最終回の構想は完成していると、さいとう氏は語られていました。「ゴルゴ13」の最後だけはダラダラと続けずに、綺麗に幕を降ろしてもらいたいものです。
 
ー閑話休題ー
 
東京を歩いていると、いろんな所で「ここは❗」と思うような場所や人にも偶然出逢うことが多く、それは日々の仕事における楽しみでもありました。
 
東京・中野に所要で行ったことがあります。中央線・中野駅から少し南東に歩いた大通り沿いに、僕は「さいとうたかをプロダクション」を発見しました。3階建てのピンク色のビルでした。
 
玄関が開いていたのをいいことに、「すみませ~ん」と階段を2階に上ると、そこにいたのが紛れもない国際的スナイパー「デューク東郷」その人でした。
 
 
「用件を聞こう!」と威圧された僕は、さいとう氏不在だったため(いちいちファンに会ってられないので居留守だったと思いますが)、サイン本を1冊貰って帰りました。(感激)
 
ゴルゴ13を通じて僕が得た国際社会の知識は、実際に海外に行った時に本当に役に立ちました。ゴルゴは架空のキャラクターで、物語がフィクションであっても、描かれている作品中の国際情勢や各国の様子は全て本当でした。
 
これほど役に立つ漫画を、「難しい」「字が多い」と読まない人が世の中に多いのは、もったいないことだと思います。

あり得ない「ATM」

2021-09-29 | 地球を歩く

今では僕も見慣れましたが、初めて見る人は驚くだろうな・・と思うものが、アメリカにはいくらでもあります。

もちろんアメリカ人が日本に来て、驚くものもいくらでもあります。アメリカでは、電車が走っている街が少ないので、日本の鉄道網や整然とホームに並ぶ人々を見て驚く・・これは有名です。でも、本当に海外から来た外国人が日本に来て、驚くものランキングをつければ、まず間違いなく1位になるものは何だと思います?数年前まで、これは間違いなく「マスクをした人が多い!」でした。コロナ禍の前までは。これが世界中で当たり前の光景になったのは、本当に悲しいことです。

さて僕が、アメリカに来て驚いたもの、それはアメリカの銀行のATMです。普通のATMではなく、ドライブスルーのATMがあるのです。

大都市にあるものは、このようにまるでガソリン・スタンド。間違って給油に入ったこともあります。やや郊外になると、30坪くらいの敷地のド真ん中に、1台だけATMがあったりします。それを先に見つけたのですが、「あれ何?」と思わず聞いたほど、インパクトがありました。こんなものに土地を使って採算が合うのか?そう思ったわけです。

ショッピングセンターの中や、コンビニのようなお店の中にあるのは理解できますが、ポツンと1台だけATMがあるのは、校庭のド真ん中に、郵便ポストがポツンとあるのと同じくらいの強いインパクトです。

もっと驚いたのは、そのATMの使い方でした。預金する時、お金をいれたら金額が表示され、「確認」ボタンを押すと思うでしょう?その時は違いました。お金を封筒に入れて、金額を表書きで明記します。そしてそれをATMに、車の窓から入れる。ATMはお金を数えてくれません。大丈夫なのか、銀行で尋ねると、「ATMでは預金しない方がいい」って。(笑)引き出しはATM。預金は銀行の窓口でしましょう!

そんないい加減なと思うでしょうが、そもそも貯金通帳が無く、ネットで全部管理ですから、これはもう文化の差としか言いようがありませんね。


息子がアルバイトをした書店

2021-09-28 | 昭和・懐かしい大阪の風景

僕は書店「ブックファースト」が好きでした。

初めて見たのは実は「渋谷」駅前。現在と違って、地下から地上数階まである大きなビルでした。今はこじんまりしてしまいました。その時、地下でサイン会をしていたのが、まだ若くて綺麗な女優さんだった高樹沙耶。

そもそもこのお店は、阪急が経営する、阪急電車駅構内、並びに駅前商業施設の本屋でした。それが東京進出!しかも大型店舗として。面白いと思いました。

旭屋書店と同じで、発刊してから随分経つ本も置いていて、半分古本屋?(笑)的な専門性があって面白かった。オークションで値打ち物の本が、定価で入手出来たりもしました。



写真は梅田の駅前にあった本店で、阪神百貨店の横、駅前第4ビルの手前、御堂筋の向こうに曽根崎警察という場所です。

僕の息子が学生時代に、ここでアルバイトをしていました。2012年のことでした。その様子を「こそっ」と見に行ったことを思い出します。(笑)

この阪急8番街の新阪急ビルも、2015年夏に姿を消しました。阪急駅構内のブック・ファーストも、数軒姿を消しています。書店の激減は活字離れ、文字離れではなく、文化の崩壊につながると僕は考えます。怖いことです。


ロケット弾 と チェーリング

2021-09-27 | こんな「モノ」ありました!

子供時代の遊び道具といえば、これが懐かしい。写真を見ただけで、今でも火薬の匂いがして来そうです。火薬の危険な香り・・(笑)覚えていますか?



「ロケット弾」❗️

先端にある円筒状の金属棒にバネがついていて、引っ張り上げて根元との隙間にちぎった紙火薬1個を挟みこむ。

あとは上に放り投げるだけ。先端に重心がかかる構造になっているため、ロケット弾を宙に向かって投げると先端から地面に落ち、受けた衝撃が装填した火薬へ伝わり破裂。「パーン」という音と煙と火薬の匂いが。

こんな火薬(写真中の赤い巻紙)が、簡単に子供の手に入ることが、今ではあり得ないですね。

この紙火薬は「銀玉鉄砲」と並ぶ「火薬鉄砲」にも使い、重宝しました。銀玉が出ると同時に火薬も鳴る鉄砲も発売されましたが、値段が高く、連発が利かなかったため、ヒットしませんでした。(笑)

女の子の遊び道具では、妹がよく遊んでいたので覚えているものが1つあります。



「ちびっこリング」と僕の妹は呼んでいましたが、僕のクラスの女子たちは「チェーリング」と呼んでいました。

一袋5円で売っていました。少ない僕のお小遣いで買ってあげたことを覚えていますが、妹はそんなこと覚えていません。(笑)