三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

チマッティ神父の「月命日」ミサ

2015年05月11日 | ミサ聖祭
チマッティ記念聖堂の聖ドメニコ・サヴィオ像
(住所:東京都調布市富士見町3-21-12)

5月6日(水)、調布のチマッティ記念聖堂で、チマッティ神父の取次を願うミサに与った。毎月6日はチマッティ神父の「月命日」で、その遺徳を偲ぶ特別なミサが捧げられている。この日はドン・ボスコの教え子、聖ドメニコ・サヴィオ(注)の記念日と重なった。午前10時30分、ミサ開祭。入祭の歌「刈り入れは」や荘厳なミサ曲など、“音楽家”チマッティ神父の名歌を歌う。司式はチマッティ資料館館長のガエタノ・コンプリ神父。福音朗読は、「目を覚ましている僕(しもべ)」のたとえ(ルカ12・35-40)。

「今日、私たちは聖ドメニコ・サヴィオという一人の少年を祝います。14歳で帰天しましたが、立派な生涯を成し遂げた聖人です。ドメニコ・サヴィオはドン・ボスコの部屋に掲げられていた“ Da mihi animas, cetera tolle(我に魂を与え、他は取り去り給え) ”の言葉、またドン・ボスコの『聖人になるには、最善を尽くして正しく生きるだけ』という教えを実践しました。実際、ドメニコ・サヴィオのような大人よりも立派な子どもがいます。私たちはそんな子どもから正しい生き方を学ぶことができるのです」。

コンプリ神父の説教は示唆に富んでいた。例えば、麻生太郎、山谷えり子、曽野綾子という極右クリスチャン三人組のような「精神的に未熟な大人」がいる。ところが、聖ドメニコ・サヴィオのような「大人よりも立派な子ども」もいる。一昨年、東京五輪という安倍一派の「国威発揚イベント」開催が決定した時、某カリスマ神父は大ハシャギしていたが、当時の『東京新聞』には「五輪よりも被災地の復興を」と訴える中高生の投書が相次いだ。どちらが「正しい生き方」を示していたのかは言を俟たない。


聖ドメニコ・サヴィオ像と扶助者聖母像(右)
“ ♪聖なるサヴィオ、ドメニコよ・・・ ”

(注):Domenico Savio(1842-1857年)。ドメニコ・サヴィオの短い生涯は他の聖人のような「奇跡」や「大事業」で語ることはできないかもしれないが、ただ「心を清く保ち、聖母への信頼をもって生きること」(『少年ドメニコ・サヴィオ』より)を証明している。チマッティ神父はドメニコ・サヴィオを青少年の模範として日本の子どもたちに示した。現在、チマッティ記念聖堂にある聖ドメニコ・サヴィオの御像(上写真2枚)は、生前のチマッティ神父が気に入っていたものである(1962年4月8付書簡より)。

◆この日のミサ中の主な歌:
チマッティ神父のミサ曲(1940年作の日本語ミサ曲)、入祭:「刈り入れは」、拝領:「聖ドメニコ・サヴィオ頌歌」、閉祭:「アヴェ・マリア」(以上、チマッティ神父作曲)。

◆主な参考文献・CDなど:
・「少年ドメニコ・サヴィオ」 ガストン・クルトゥア著、前田和子訳(ドン・ボスコ社・2004年)
・「チマッティ神父 本人が書かなかった自叙伝(下)」 ガエタノ・コンプリ編訳(ドン・ボスコ社・2011年)
・CD「チマッティ神父のミサ曲」 合唱:調布カルメル修道女会ほか(チマッティ資料館:VCCD-007)
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