三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

聖母の被昇天のミサ<後編>

2011年08月17日 | ミサ聖祭
聖母の被昇天の祭日を迎えたカトリック調布教会
(住所:東京都調布市富士見町3-21-12)

8月15日(月)、調布教会で聖母の被昇天のミサに与った。前日に続き、この日も私は聖母のもとへ馳せ参じた。京王線の調布駅で降り、朝の甲州街道を歩く。いつもは電気通信大学構内を横切るのだが、夏季休暇で閉門されていた。ふと青空を見上げると、セスナ機が飛んでいる。調布飛行場から離陸したのだろう。戦時中、ここは旧陸軍の戦闘機隊が駐屯していた。 「きけわだつみのこえ」の上原良司(注)は調布から九州へ移り、航空特攻で戦死した。

調布教会に到着。正門付近に、ドン・ボスコの巨大な胸像が「どん」と鎮座しているではないか。いつの間に設置されたのだろう。聖堂に入ると、50人ほどの会衆が集まっていた。サレジアン・シスターズの姿も見える。 午前8時、ミサ開祭。ジャン・メルオー神父作曲の「ミサ曲5」を歌う。悲しみを湛えたその調べは、先の大戦で犠牲となった人々を悼むレクイエムのように響く。だが、歌うのは難しかった。何しろ、私は楽譜の初見が苦手な吹奏楽部員だったので。

司式の老神父(お名前を失念しました)は、「聖母子の絆に倣い、私たちも正しい絆によって生きる時、平和が訪れます」と話された。ミサ後、私は神学院の構内を散策。チマッティ記念聖堂が閉まっていたので、玄関前のルルドにご挨拶。 聖母像を仰ぎながら、私は高校入学の頃を思い出す。学園チャペルの中で、「サンタ・マリヤの御像はどこ?」。愚かな私はカトリックとプロテスタントの違いも知らなかった。ルルドの聖母像は黙して語らず、岩屋に佇まれている。


カトリック調布教会の聖母像
<調布サレジオ神学院本館前>

(注):上原良司(1922-1945年)。戦没学生。どうぞ「きけわだつみのこえ」(岩波文庫)の冒頭を飾る上原良司の「所感」をお読みください。私が「日吉台を巡る」の記事で触れた「この学窓を去った戦没学生の無念」とは、上原良司を意識しました。
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