年間第21主日を迎えたカトリック八王子教会
(住所:東京都八王子市本町16-3)
(住所:東京都八王子市本町16-3)
先々週の年間第19主日、私は別々の教会で二回のミサに与ったことになる。卑近な表現であれば、ミサの「はしご」である。だが、私は何か罪を犯したような感に捕らわれ始めた。特別な理由もなく、主日に「二度もミサに与ること」は許されるのか。八王子で派遣の祝福を授かった直後に、他でも重ねてそれに与るのは、「ご利益」を貪るようだ。それに、次へ移動する時間に追われ、祭儀中も上の空になってしまう。やはり、本末転倒の「はしご」はやめよう。
8月21日(日)、八王子教会で年間第21主日のミサに与った。この日は夜半から雨が降り続き、晩秋のように寒かった。悪天候の朝にもかかわらず、聖堂内は多くの会衆が集まっている。午前7時、ミサ開祭。福音朗読は、イエスが信仰告白したペトロに天の国の鍵を授ける場面(マタイ16・13-20)。主任司祭の稲川圭三神父は、「世の出来事を通して、目に見えない“永遠というお方”の働きをペトロのように信じたとき、神はその人を幸いと呼びます」と話された。
稲川神父は手話を交え、説教を自ら同時通訳されていた。「私たちは神の小羊の食卓、ミサに招かれています。まさにイエスがおられる。そこで共に与る者は幸いの中にいます」。初金ミサの記事で触れたが、高校時代の私は神を極度に畏れていた。なるべく聖体拝領時も席に残っていたが、この日は迷いが消えて「祝福」を授かった。慈しみ深い神よ、哀れな小犬に与えてくださったパン屑よりも大きな恵みに感謝いたします。「われ主を愛す、主これを知り給う」。
カトリック八王子教会聖堂
<大きな窓越しに信仰の明かりが灯る>
◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲6(典礼聖歌222-225)、入祭:典礼聖歌396「救いの道を」、奉納:典礼聖歌124「主よあなたは永遠のことば」、拝領:典礼聖歌98「しあわせな人」、閉祭:カトリック聖歌315「あわれみの」。