三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

ブログ記事の表示変更について

2012年07月12日 | 雑記帳
聖イグナチオ教会の聖母子像
(住所:東京都千代田区麹町6-5-1)

いつも「三多摩の鐘」をご覧いただき、ありがとうございます。

さて、運営元のgooブログから、全てのブログ作成者に対して「一時的にPC版ブログ記事面の表示を変更する」との通知を受け、現在、当ブログの書体・文字の大きさ等が一時的に変更され、記事の表示が非常に見づらい状態となっています。運営元は「ブラウザによる表示の違いを少なくし、見やすさを向上するため」と主張していますが、正直困惑しています。

運営元によれば、「7月13日(金)午後に元の表示に戻ります」とのこと。とりあえず、文字が大きくなってしまったので、一時的に幅広のテンプレートに変更し、しばらく様子を見ることにします。

<追記>
7月13日(金)午後、元の表示(書体・文字の大きさ等)に復旧したので、再び当ブログ公開以来のテンプレートに戻しました。

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イエスの聖心(み心)の月

2012年06月02日 | 雑記帳
カトリック三河島教会のイエスの聖心像
(住所:東京都荒川区荒川3-11-1)

6月になった。我らのノダ・ヨシヒコ氏と私による架空の会談が開かれた(笑)。 ノダ氏「大増税に不退転の決意で臨む」、私「明白な公約違反に、悲愴な覚悟をされましても・・・」。ノダ氏「私のリーダーシップで原発再稼働を判断する」、私「リーダーシップを発揮すべきは脱原発です」。ノダ氏「小沢氏を乾坤一擲(けんこんいってき)の精神で説得する」、私「まず戦うべき相手は、強欲な官僚や経団連でしょう」。ノダ氏と私の対話は最後まで平行線のままだった。

さて、昨年の9月以来、私はミサに与りながら多摩地域の教会を再訪していたが、これを今月から再開したい。残すところ、あきる野教会清瀬教会の2つだが、意外にも調布教会の主日ミサは与ったことがないので、こちらも予定に加えよう。そして、教会巡りの記事は「横浜編」を不定期連載する。聖堂建て替え中の末吉町教会を除き、横浜市内の教会は全て巡ったが、最近の遅筆状況からすると、連載終了の頃には秋風が吹いているかもしれない。

現在、私は埼玉県内の教会を巡っている。メイラン神父の足跡をたどって、入間宮寺教会や川越教会などを訪ねた。近日中には、「団地から生まれた2つの教会」、すなわち武里団地と春日部教会、松原団地と草加教会を巡る予定だ。瞬間的に「団地ネタ」が続くかもしれないが、これは私自身が団地出身者なので、どうかご容赦いただきたいと思う。夏には、私の故郷である千葉県内の教会巡りも再開したい。以上、2012年後半期の予定を書いてみました。


カトリック入間宮寺教会
(住所:埼玉県入間市宮寺2837)

【嘆息コーナー】
やはり、維新の会の橋下徹は原発再稼働を「容認」した。「テレビの有名人の虚言癖」を信じて疑わない人々は、それでも正気に返らない。野田首相は原発再稼働を強行し、日本が「世界に冠たる思考停止の国」であることを高らかに宣言するだろう。エレミヤの預言(6・10-15)が恐ろしく重なる。
コメント (6)
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赤羽台団地を歩く

2012年05月17日 | 雑記帳
公団赤羽台団地
(住所:東京都北区赤羽台1丁目)

5月13日(日)、私は赤羽教会でミサに与った後、近くの赤羽台団地を訪ねた。ここは団地マニアの間では「聖地」と呼ばれているらしい。「都心方面を臨む高台に位置する赤羽台団地は、旧日本住宅公団により1962年に建設された総戸数3,373戸からなる大団地でした。住棟の平行配置が主であった当時では斬新な、直交配置やスターハウスによるポイント住棟ゾーン、囲み配置ゾーンが計画され、名作団地と言われてきました」(UR都市機構サイトより)。

教会から徒歩10分、赤羽台団地に到着。昭和30年代の高度成長期、赤羽台の旧陸軍被服本廠跡に「23区初の大規模団地」が誕生し、広大な敷地内には学校、診療所、商店街なども作られた。住棟間の芝生や公園などの共有スペースはかなり広い。 団地マニアのお目当てはスターハウス(上写真の星形住棟)だが、千葉の団地で育った私は中層フラット棟(下写真)に萌える(笑)。赤羽台は団地っ子の郷愁をそそる原風景が集約されていると言えよう。

現在、赤羽台は再開発が進んでいる。古い団地は取り壊され、シックな建物が並ぶ「ヌーヴェル赤羽台」に生まれ変わった。今なお築50年の現役住棟も見受けられるが、取り壊しを待つ廃墟のような区域が目立つ。子どもの姿は少なく、商店街も寂れている。赤羽台団地に象徴される高度成長期の熱気は過去のものとなった。だが、ここで暮らした子どもたちにとって、団地は故郷である。取り壊された住棟も、思い出の中では鮮明に輝いているに違いない。


<赤羽教会へ通った団地っ子も多かったはず>

◆主な参考文献など:
「僕たちの大好きな団地」 青木俊也・大久保健志・照井啓太・長谷聡・眞形隆之共著(洋泉社・2007年)
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きょうから聖週間

2012年04月01日 | 雑記帳
カトリック戸部教会の聖母子像
(住所:神奈川県横浜市西区御所山町6)

4月になった。相変わらず、我らの野田佳彦首相は「大増税と原発再稼働」を強行しようとし、被災者や社会的弱者の苦しみを顧みない。さらに、情報の隠蔽と捏造を繰り返す日本政府は、「不都合な真実」の蔵匿を企み、恐るべき「秘密保全法」の制定を急ぐ。ところが、こんな野田内閣の支持率が回復中という。震災後、思考停止している日本人が多いのか、或いは、国家権力に忠実なマスコミが世論操作しているのか。「がんばろう、ニッポン!」。ふぅ・・・。

さて、きょうの「受難の主日(枝の主日)」から聖週間が始まる。この聖週間(プロテスタントは「受難週」という)は、「救い主キリストのエルサレム入城に始まる受難の追憶に向けられている」(カトリック中央協議会の典礼解説より)。聖木曜日(主の晩さん)の夕べのミサからの「聖なる過越(すぎこし)の3日間」を経て、「復活の主日」を迎える。昨年、私は「枝の主日」と「復活祭」のミサは与ったが、聖木曜日からの三日間と「復活徹夜祭」は経験していない。

聖なる過越の3日間とは何か。聖木曜日は、イエスが聖体を制定し、「わたしの記念として行いなさい」と命じた最後の晩さんを記念する日。イエスが十字架で亡くなった聖金曜日は、その苦しみを思い、大斎・小斎を守る。聖土曜日は、「主の墓のもとにとどまって、その受難と死をしのび、祭壇の飾りを取り除き、ミサもささげない」。そして、この日の夕刻に復活徹夜祭を迎え、翌日は復活祭となる。以上、拙速なおさらいとなったが、一夜漬けの感は否めない。


カトリック荻窪教会の十字架の道行
(住所:東京都杉並区高井戸東4-18-13)
“ ついに十字架の重きに堪えずして、傾きかがみ・・・ ”
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日本に生きるドン・タシナリ

2012年02月08日 | 雑記帳
サレジオ神学院、地下聖堂の扶助者聖マリア像
(住所:東京都調布市富士見町3-21-12)

1月27日、サレジオ会のタシナリ神父(Tassinari Clodoveo)が別府で帰天された。「丁度、82年前日本の地にいらした日と同じ1月27日。 3月9日、100歳になる間際で、日本全国のカトリック司祭の最年長者でした」(チマッティ資料館公式サイト)。チマッティ神父とともに、日本で宣教された最古参のサレジアンであった。その傍ら、切支丹研究にも取り組まれ、多くの貴重な業績を残された。タシナリ神父の永遠の安息をお祈り致します。Requiescat in Pace.

1912年、タシナリ神父はイタリアで生まれた。その足跡は、評伝「日本に生きるドン・タシナリ」に詳しい。戦前の厳しい時代を経て、戦後は孤児救済に奔走し、東京サレジオ学園を創立。チマッティ師の後を継ぎ、サレジオ会日本管区長も就任。多忙の中、タシナリ神父は切支丹や、碑文谷教会の記事で触れたシドッティ師の研究に励み、切支丹燈籠などの遺物も収集された。サレジオ神学院にあるキアラ神父の墓碑もその一つ。傍らの説明板を以下に転記する。

「沈黙」のモデル、キアラ神父。 イエズス会士ジュゼッペ・キアラは1602年シチリア島で生まれ、1643年鎖国中の日本に潜入し、捕らえられて江戸の切支丹屋敷に送られた。(中略)その墓は小石川無量院(現・伝通院)にあったが、戦時中焼失した後、雑司ヶ谷共同墓地に移された。1943年タシナリ神父が墓石を発見、許可を得て練馬の神学院に移し、1950年調布神学院に移動。遠藤周作『沈黙』のロドリゴのモデルとなったのは、このキアラ神父である。”


チマッティ資料館前のキアラ神父の墓碑
<司祭帽を戴く特徴的なもの。没年(貞享二年)の刻銘あり>

“ 私たちは日本人を愛するがゆえにキリスト教を伝える。
神の子は自由であり、自分の良心に従って、すべての行動ができます。 ”
タシナリ神父の言葉 (「日本に生きるドン・タシナリ」より)

◆主な参考文献など:
「日本に生きるドン・タシナリ」 阿部徹雄著(東京書籍・1984年)
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