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三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

カトリックと中原中也

2012年01月15日 | 雑記帳
カトリック雪ノ下教会の聖家族像
(住所:神奈川県鎌倉市小町2-14-4)

1937年2月、詩人・中原中也は鎌倉の寿福寺境内にある借家に引っ越した。その前年、愛児を亡くした中也は悲しみが癒えず、千葉の療養所に入院していた。転居の翌月、中也は鎌倉の「小さな陰気な家」から天主公教会大町教会(現・カトリック由比ガ浜教会)に通い始めた。カトリックへの抵抗が見られなかったのは、中也の祖父母がカトリック信徒だった影響が少なくない。また、中也が愛読したヴェルレーヌは、19世紀フランスの「カトリック詩人」だった。

中也の鎌倉時代の日記(通称「ボン・マルシェ日記」)には、しばしばイエス・キリストへの関心と大町教会が登場する。「教会にゆきJolie(ジョリー)神父に初めて会ふ」、「頼んでおいた『公教聖歌集』をまりゑ姉さん持参」、「教会へ行く」、「神父と二時間ばかり雑談」、「公教要理を教はる」、「ミサ欠席」、「(モーリヤック著)イエス伝を少しく読む」、「石原謙著『基督教史』を読了」、「ブッセ著『イエス』読了」、「モオリヤックのイエス伝読了。大変に胸を打たれた」。

1937年10月、中也は30歳の若さで帰らぬ人となった。晩年(!)の中也は、なぜキリストを求めたのだろう。大岡昇平氏によれば、「死の直前に彼の関心は、むしろ仏教に向いていた兆候がある」という。だが、「ボン・マルシェ日記」は仏教への言及が少ない。鎌倉への転居以前、悲しみに暮れる中也が「正義にしてなほ受難があったといふ基督教にしてはじめて、ヴィナス(美)に奉仕する芸術家の心はホドける」と告白したことに、何らかの解答があると思う。


天主公教会大町教会(現・カトリック由比ガ浜教会)
<住所:神奈川県鎌倉市由比ガ浜1-10-35>

“ 私には十字架に釘付けられたといふことが、キリスト教の最も力強く思はれる所以である ”
中原中也 (1937年の「千葉寺雑記」より)

◆主な参考文献など:
「中原中也詩集」 大岡昇平編(岩波文庫・1981年)
「新編 中原中也全集 第五巻 日記・書簡」 大岡昇平ほか編(角川書店・2003年)
「図録 中原中也 詩に生きて」 鎌倉文学館編(鎌倉文学館・2007年)
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映画「ルルドの泉で」

2011年12月29日 | 雑記帳
カトリック由比ガ浜教会の聖母像
(住所:神奈川県鎌倉市由比ガ浜1-10-35)

「不治の病により長年車椅子生活を送ってきたクリスティーヌ(シルヴィー・テステュー)は、『奇蹟の水が湧き出る』ことで有名な聖地ルルドへのツアーに参加する。(中略)そんな中、熱心な信者とはいえないクリスティーヌに、なぜか奇蹟が起こる。突然立って歩けるようになった彼女は、お洒落をしたり、恋をしたりと『普通の女性』としての喜びを実感する。しかし、その奇蹟は、周りの人々の羨望や嫉妬といった様々な感情を引き起こすことになり・・・」(映画チラシより)。

12月28日(水)、渋谷のシアター・イメージフォーラムで映画「ルルドの泉で」を観た。1858年、聖母が少女ベルナデッタの前に出現し、奇蹟の泉の場所を教えた。その水を服用した「奇蹟的治癒」が相次ぎ、現在も年間600万人が訪れる聖地ルルド。映画は奇蹟に与れない「敬虔な人々」の不協和音を描きだす。そこに、ヨブ記と同じ問いがある。「なぜ神を敬う無垢な者が苦しむのか」。ルルドを舞台にした「不条理劇」のような作品。カトリック中央協議会推薦。

さて、私は映画に満足したにもかかわらず、来年も絶望的な思いが払拭できない。“官僚・経団連・米国のマリオネット”我らの野田佳彦首相は、社会的弱者や被災者の救済などそっちのけ、大増税、原発再開、普天間基地、武器輸出、TPPに「問答無用!」で邁進している。「冷温停止(状態)宣言」は世界から失笑を買い、さらに「八ッ場ダム再開」を強行。その全体主義国家並みの悪政はとどまるところを知らない。私の厭世観もととどまるところを知らないが。


カトリック千葉寺教会の聖母像
(住所:千葉県千葉市中央区千葉寺町70)

◆映画データ:
監督・脚本:ジェシカ・ハウスナー、出演:シルヴィー・テステュー、レア・セドゥ他、製作:オーストリア・フランス・ドイツ合作(2009年)、原題:“Lourdes”。 ヴェネチア国際映画祭5部門受賞。カトリック中央協議会・広報推薦。

◆主な参考文献など:
「ヨーロッパ聖母マリアの旅」 若月伸一著(東京書籍・2004年)
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南蛮美術の光と影

2011年11月11日 | 雑記帳
サントリー美術館がある東京ミッドタウン
(住所:東京都港区赤坂9-7-4)

赤坂のサントリー美術館で、「南蛮美術の光と影」展を見た。16世紀半ばから17世紀初頭、ポルトガル、スペインの「南蛮船は西欧からの舶載品をもたらし続け、南蛮文化は着実に日本で受け入れられ、多くの大名が南蛮趣味を愛好したのです」。当時、イエズス会のセミナリオ(神学校)で、西洋画を学んだ日本人絵師による「泰西王侯騎馬図屏風」などの絵画とともに、「同時代の南蛮漆器、南蛮屏風などの南蛮美術も一堂に集め展示します」(サントリー美術館)。

展示内容は非常に豊富であった。私が子どもの頃に、小学館版「ジュニア・日本の歴史」で見た、「都の南蛮寺図(扇面画)」、「洋人奏楽図」、「南蛮胴具足(徳川家康所用)」、「織部南蛮人燭台」などの実物があった。最も有名な「聖フランシスコ・ザヴィエル像」もあった。多くの南蛮屏風を見ると、宣教師などの外国人とともに、ロザリオを手にした日本人も描かれていた。 メインの「泰西王侯騎馬図屏風」は、日本人絵師が模写したとは思えない西洋画の力作だ。

私が注目したのは、苛酷なキリシタン弾圧を逃れ、今日まで残された聖画や聖具である。これらは長崎奉行所の押収品が多いが、旧家が秘蔵していた物もある。損傷が激しい「悲しみの聖母図」が胸を打つ。また、「元和の長崎大殉教図」も見た。これは処刑を目撃した日本人絵師が、亡命先のマカオで描いたものという。「体は殺しても、魂を殺すことのできない者ども」、封建の蛮族による地獄絵だ。この展覧会はカトリック信仰の遺産として見ることもできよう。


サントリー美術館エントランスにて
<開催期間: 2011年10月26日(水)~12月4日(日)>
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ロザリオの月に

2011年10月01日 | 雑記帳
上智大学から望む聖イグナチオ教会
(住所:東京都千代田区麹町6-5-1)

10月になった。「やはり」と言おうか、我らの野田佳彦首相は、先月の国連演説で「原発中毒の国、日本」の醜態を全世界に曝した。フクシマの悲劇を通して、ドイツやスイスなどの欧州諸国は脱原発を決断し、モンゴルは日米両国の核廃棄物の受け入れを拒絶。ところが、被災国の日本では、原発推進の首長や地方議員が続々と当選している。国と電力会社からの「カネ」に目が眩み、子孫の命と故郷を犠牲にする愚かな人々。大震災から何も学んでいない。

カトリック教会に通い始めてから、私は旧約聖書をよく読むようになった。プロテスタント系の高校時代、牧師先生は「まず、新約だけを読みなさい」と言われ、私はそれを滑稽なほど素直に受け取った。カトリック教会のミサで朗読される旧約と詩編のことばを聞くようになって、その世界を知りたいと強く思った。さっそく、続編(第二正典)付きの「旧約聖書」を買い求め、あずみ椋氏のマンガ「旧約聖書(全3冊)」をサブテキスト(!)にして、私は旧約を貪り読んだ。

旧約聖書を開くと、神に背き続ける人の慢心に戸惑う。神は人を赦し、預言者を通して警告も与えてきた。だが、人は愚かな歴史を繰り返す。日本の原発城下町の首長らは、「脱原発は難しい。他に財源はない」と言い張る。「愚か者が代金を手にしているのは何のためか。知恵を買おうにも、心がないではないか」(箴言17・16)。ヨブのように嘆きたくもなるが、「主を信頼せよ。そうすれば必ず助けてくださる。お前の歩む道を一筋にして、主に望みを置け」(シラ書2・6)。

主は再び我らを憐れみ、我らの咎(とが)を抑え、
すべての罪を海の深みに投げ込まれる。
(ミカ書7・19)”


カトリック市川教会聖堂にて
(住所:千葉県市川市八幡3-13-15)
“いと尊きロザリオの元后、われらのために祈り給え”
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秋空のもとで

2011年09月01日 | 雑記帳
晴天に恵まれたカトリック八王子教会
(住所:東京都八王子市本町16-3)

9月になった。この間、ポスト菅の破廉恥な争いが繰り広げられたが、やはり「脱原発」の議論は黙殺された。例によって、マスコミは「小沢氏問題」を再燃させ、巧みに「脱原発」の争点を回避することに成功。その背後には、原発利権に群がる官僚・財界人の思惑が見え隠れする。この結果、「大連立で大増税」を叫ぶ「肥った青年将校」に天下が転がりこんでしまった。いま現在も、世界で最も醜い日本の原発が放射性物質を飛散させ続けているというのに。

昨年の10月頃から、私は多摩地域のカトリック教会を訪ね歩き始めた。その後、伊豆諸島の大島教会を除き、今夏には都内すべてのカトリック教会を巡り終えたことになる(注)。四国遍路に例えれば、結願(けちがん)となろうか。もちろん、それが信仰に基づくものではなく、教会巡りの単なる「スタンプ・ラリー」の域を出ないことは承知している。 当初は「建物としての教会」に惹かれたが、今はそれだけではなく、ミサ聖祭の中に大きな喜びを見出すようになった。

各教会のミサを通して、多くの司祭の謦咳(けいがい)に接してきたが、八王子教会の稲川圭三神父、聖イグナチオ教会のハビエル・ガラルダ神父の説教からは、特に強い影響を受けた。9月からは秋空のもと、主日ミサに与ることを大きな目的として、再び多摩地域のカトリック教会を訪ねようと思う。もっとも、御ミサに与った個人的な体験を、嬉々として書き連ねるのは、信仰薄き者が「会堂や大通りの角に立って祈りたがる」(マタイ6・5)ようなものではあるけれども。


カトリック八王子教会聖堂
<楽廊から1階席を見おろす>

(注):9月以降、泉町上野毛下井草築地田園調布八王子各教会の記事を順次公開いたします。
コメント (6)
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