カトリック雪ノ下教会の聖家族像
(住所:神奈川県鎌倉市小町2-14-4)
(住所:神奈川県鎌倉市小町2-14-4)
1937年2月、詩人・中原中也は鎌倉の寿福寺境内にある借家に引っ越した。その前年、愛児を亡くした中也は悲しみが癒えず、千葉の療養所に入院していた。転居の翌月、中也は鎌倉の「小さな陰気な家」から天主公教会大町教会(現・カトリック由比ガ浜教会)に通い始めた。カトリックへの抵抗が見られなかったのは、中也の祖父母がカトリック信徒だった影響が少なくない。また、中也が愛読したヴェルレーヌは、19世紀フランスの「カトリック詩人」だった。
中也の鎌倉時代の日記(通称「ボン・マルシェ日記」)には、しばしばイエス・キリストへの関心と大町教会が登場する。「教会にゆきJolie(ジョリー)神父に初めて会ふ」、「頼んでおいた『公教聖歌集』をまりゑ姉さん持参」、「教会へ行く」、「神父と二時間ばかり雑談」、「公教要理を教はる」、「ミサ欠席」、「(モーリヤック著)イエス伝を少しく読む」、「石原謙著『基督教史』を読了」、「ブッセ著『イエス』読了」、「モオリヤックのイエス伝読了。大変に胸を打たれた」。
1937年10月、中也は30歳の若さで帰らぬ人となった。晩年(!)の中也は、なぜキリストを求めたのだろう。大岡昇平氏によれば、「死の直前に彼の関心は、むしろ仏教に向いていた兆候がある」という。だが、「ボン・マルシェ日記」は仏教への言及が少ない。鎌倉への転居以前、悲しみに暮れる中也が「正義にしてなほ受難があったといふ基督教にしてはじめて、ヴィナス(美)に奉仕する芸術家の心はホドける」と告白したことに、何らかの解答があると思う。

天主公教会大町教会(現・カトリック由比ガ浜教会)
<住所:神奈川県鎌倉市由比ガ浜1-10-35>
“ 私には十字架に釘付けられたといふことが、キリスト教の最も力強く思はれる所以である ”
中原中也 (1937年の「千葉寺雑記」より)
◆主な参考文献など:
「中原中也詩集」 大岡昇平編(岩波文庫・1981年)
「新編 中原中也全集 第五巻 日記・書簡」 大岡昇平ほか編(角川書店・2003年)
「図録 中原中也 詩に生きて」 鎌倉文学館編(鎌倉文学館・2007年)