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三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

カトリック上野毛教会

2011年09月23日 | 東京のカトリック教会
カトリック上野毛教会(教会堂名:カルメル山の聖母)
創立:1952年 ◇ 住所:東京都世田谷区上野毛2-14-25

東急大井町線の上野毛駅で降りる。多摩川に臨む閑静な住宅地を進むと、上野毛教会の特徴ある鐘楼が見えてきた。この珍しい木造聖堂の設計は、カトリック信徒の今井兼次氏(1895-1987年)。 早稲田大学の演劇博物館や皇居内の桃華楽堂などを手がけた名建築家だ。今井氏は教会建築も少なからず残したが、世田谷区内では成城教会聖堂がある。全国的な作品を挙げると、ガウディ風の双塔が聳える日本二十六聖人記念聖堂(長崎県)だろうか。

上野毛教会に着いた。ここは男子跣足カルメル修道会の上野毛修道院などがあり、かなり広い敷地だ。多摩川を望む場所に、カルメル山の聖母子像が新しく設置され、両脇に天使像が跪いている。教会堂名のカルメル山の聖母の由来は、「(イスラエル北西の)カルメル山からはガリラヤの平原を見渡すことができ、マリアが生活したガリラヤの近くであることから、カルメル会は初めから観想者であるマリアの保護のもとに自分たちを置いた」(女子パウロ会サイト)。

聖堂に入ると、成城教会とは対照的な空間が広がっている。同じ建築家が手がけたものとは思えないほどだ。木の温もりと採光のバランスが素晴らしい。正面祭壇に掲げられた十字架の上からは、カルメル山の聖母子像が見守っている。ところで、カルメル会といえば「スカプラリオ」である。これは修道士の肩布を模して、二枚の布切れをリボンで結んだ聖具。 マリアの服と見なされるスカプラリオの着用によって、「聖母への奉献の目に見えるしるし」になるという。


現聖堂献堂:1959年


“ スカプラリオのカルメル山の聖母マリアよ、
スカプラリオの恵みを授けられ・・・ ”

◆主な参考文献など:
「カトリック祈祷書 祈りの友」 カルメロ神父編(カルメル会宇治修道院・2005年版)
コメント (2)
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カトリック田園調布教会

2011年09月21日 | 東京のカトリック教会
カトリック田園調布教会(教会堂名:アシジの聖フランシスコ)
創立:1932年 ◇ 住所:東京都大田区田園調布3-43-1

東急東横線の多摩川駅で降りる。私が日吉へ通学していた頃、ここの駅名は「多摩川園」だった。田園調布とは思えないローカルな雰囲気さえ漂っていた。当時、私は講義を終えると、独りで神保町の古書店街へ繰り出していた。その途中、東横線が多摩川を越えると、いつも丘の上に聳える高い鐘楼が目に飛び込んできた。私は「神学校か何かの施設なのだろう」と考え、その厳かな佇まいに圧倒されていた。それが、これから訪ねる田園調布教会だった。

1930年、フランシスコ会の東京進出に当たっては、戸塚文卿神父の大きな援助があった(戸塚師については、小金井教会の記事を参照)。当時、宣教師として来日したジャン・ジョゼフ・デキール神父の日記によれば、「フランシスコ会が田園調布の修道院を創設するに当たり、戸塚神父の尽くされた業績は大きく、決して忘れることのできない恩人」と記されている。田園調布の小高い丘が選ばれたのは、「聖フランシスコが天の啓示を受けた山に似ていたから」という。

1932年10月4日、アシジの聖フランシスコの記念日に田園調布教会は創立された。初期の聖堂は畳敷きであったという。教会堂名のフランシスコについて、私の乏しい知識を総動員しての説明は不要と思う。信仰の有無を問わず、多くの人々から「清貧の聖人」として尊敬されている。奇しくも、フランシスコの記念日は、カトリック信徒だった私の祖父が帰天した日でもある。いつの日か、田園調布のラ・ヴェルナ山(注)に聳える大聖堂のミサに与りたいと考えている。


現聖堂献堂:1955年


聖堂正面

(注):ラ・ヴェルナ山(La Verna)はイタリア中部にある。1224年、瞑想中のフランシスコが聖痕(イエスの五つの御傷)を受けた場所。

◆主な参考文献など:
・「戸塚神父伝 神に聴診器をあてた人」 小田部胤明著(中央出版社・1989年)
・「宣教師たちの遺産・フランシスコ会カナダ管区」 平秀應編(フランシスコ会アントニオ神学院・1988年)
・「アッシジのフランチェスコ」 川下勝著(清水書院・2004年)
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カトリック築地教会

2011年09月09日 | 東京のカトリック教会
カトリック築地教会(教会堂名:聖ヨゼフ)
創立:1874年 ◇ 住所:東京都中央区明石町5-26

東京メトロ日比谷線の築地駅で降りる。地上に出ると、聖路加国際病院の重厚な旧本館(1933年竣工)が聳えている。「米国聖公会の宣教医師トイスラーが創設した」ことよりも、現在は「テレビでおなじみの日野原重明先生がいる」病院として知られている。旧本館内の聖ルカ礼拝堂は厳かな雰囲気に満たされ、一見の価値がある。毎週日曜日には「聖餐式」が行われているという。 なお、病院の敷地内にはトイスラー記念館(1933年築の旧宣教師館)もある。

聖路加国際病院前の小さな広場に、「蘭学事始の地」の碑が建っている。ここは中津藩下屋敷跡であり、前野良沢、杉田玄白らが「解体新書」を訳出した場所だ。その隣りに我が「母校」発祥の碑もあるが、まあそんなことはどうでもよい。かつて明石町界隈は外国人居留地でもあったから、暁星学園、明治学院、立教学院など、多くのミッション・スクール発祥の地となっている。そして、「殊にカトリック教を愛してゐた」という芥川龍之介もこの地で生まれた。

築地教会に着いた。古い正門前の歩道に、「暁星学園発祥の地」の記念碑がある。1888年に創立された暁星学園は、カトリック系男子校の名門。岩下壮一、戸塚文卿両神父の母校だ。聖書にかたどられた碑には、「あなたがたは地の塩、世の光」と刻まれている。教会内に入ると、ギリシア神殿風の荘厳な聖堂が目を引く。1920年に司教座が関口に移るまで、ここが「東京大司教区の中心」であった。いまは静寂に包まれているが、歴史の重さを感じる場所だ。


現聖堂献堂:1927年
<都選定歴史的建造物・中央区民有形文化財指定>

◆主な参考文献など:
・「芭蕉雑記・西方の人 他七篇」 芥川竜之介著(岩波文庫・1991年)
・「この人を見よ 芥川龍之介と聖書」 関口安義著(小沢書店・1995年)
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カトリック碑文谷教会(サレジオ教会)

2011年07月23日 | 東京のカトリック教会
カトリック碑文谷教会(教会堂名:江戸のサンタマリア)
創立:1948年 ◇ 住所:東京都目黒区碑文谷1-26-24

東急東横線の都立大学駅で降りる。駅名の由来となった東京都立大学(八雲キャンパス)は八王子市に移転し、この地には存在しない。また、校名も石原慎太郎都知事の“強権発動”で、首都大学東京に変更されてしまった。この男のネーミング・センスはまことに素晴らしく、「俺は、君のためにこそ死ににいく」「たちあがれ日本」など、天賦の才能が花開いている。 現在、都立大学の跡地は複合施設「めぐろ区民キャンパス」となり、ホールや図書館などがある。

碑文谷(ひもんや)教会に着いた。一般的には、サレジオ修道会の担当教会であることから、目黒サレジオ教会の名が広く親しまれている。教会前の道は「サレジオ通り」と称し、その付近にはカトリック系の目黒星美学園などがあり、サレジオの小さな城下町を形成している。さて、鐘楼を戴く大聖堂に入ると、パイプオルガンの荘厳な音色が響いていた。オルガニストが練習しているらしい。誰もいない聖堂で、私は贅沢な時間を過ごす。神の豊かなお恵みに感謝。

碑文谷教会は「江戸のサンタマリア」に捧げられている。1954年、現聖堂の建設中に「東京国立博物館で古い聖母画が発見され、江戸時代に渡来したシドッティ神父(注)の所持品であること」が分かった。それは神父を尋問した新井白石の調書によって判明したという。その中に、聖母画の模写があったのだ。 碑文谷教会の壮麗な大聖堂には、この「江戸のサンタマリア」の複製が掲げられている。 その表情は、江戸の殉教者を悼むような悲しみを湛えている。


現聖堂献堂:1954年


聖堂外観

(注):シドッティ神父(1668-1714年)は鎖国中の日本へ潜入したイタリア人宣教師。江戸の切支丹屋敷に幽閉され殉教。シドッティ神父の人格に惹かれた新井白石は、その対話から得た知識を「西洋紀聞」などの著作にまとめた。なお、カルロ・ドルチ作「悲しみの聖母(江戸のサンタマリア)」の原画は東京国立博物館蔵。

◆主な参考文献など:
「東京きりしたん巡礼」 山田野理夫著(東京新聞出版局・1982年)
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カトリック松原教会

2011年07月17日 | 東京のカトリック教会
カトリック松原教会(教会堂名:聖母の汚れなきみ心)
創立:1965年 ◇ 住所:東京都世田谷区松原2-28-5

京王線の明大前駅で降りる。ここは京王井の頭線と交差しており、また駅名の由来となった明治大学和泉キャンパスがある。松原教会は学生街とは反対方向の、閑静な住宅街の中にある。一見すると、小さな会社の事務所棟のようであるが、この教会の「母体である淳心会(スクート会)は、1862年にテオフィル・ヴェルビスト神父によって、ベルギーの首都ブリュッセル郊外のスクート村で創立され、日本では1948年から宣教活動をしています」(松原教会サイト)。

ベルギーと言えば、幼い頃に見たテレビまんが「フランダースの犬」を思い出す。少年ネロと老犬パトラッシュの悲しい物語について、多言は要しないだろう。当時、「なぜ神さまは、こんな酷い仕打ちをするのかな?」と考えていた。それでも、私は「フランダースの犬」の絵本と主題歌レコードが欲しくてたまらず、母にせがんで買ってもらったほど、この物語の世界に魅せられた。その舞台となったのが、ベルギー王国の州都アントワープと、その近郊の田園地帯である。

この番組のスポンサーだったカルピスの会長は、敬虔なクリスチャンであった。その強い意向により、「フランダースの犬」の放映が決定されたうえ、「ネロとパトラッシュが昇天するラスト」まで指定(!)。そして、アントワープ大聖堂の「ルーベンスの2枚の絵(注)」との関連。 テレビを通して、イエスの福音を伝えていたように思う。だが、私は「こんな酷い仕打ち」の意味に気づくまで、かなりの時間を浪費した。「コゼツのだんな」でさえ、最後は悔い改めたというのに。


現聖堂献堂:1965年
<教会の敷地内には「オリエンス宗教研究所」の建物がある>

(注):バロック時代の画家ルーベンス(1577-1640年)が描いた「キリスト昇架」と「キリスト降架」の2枚。

◆主な参考文献など:
「フランダースの犬」 ウィーダ著、村岡花子訳(新潮文庫・1954年)
「別冊宝島 私たちの好きなフランダースの犬」 (宝島社・2003年)
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