三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

牛込聖バルナバ教会(日本聖公会)

2014年06月14日 | 聖公会の教会
日本聖公会 牛込聖公会 聖バルナバ教会
(住所:東京都新宿区矢来町65)

地下鉄東西線の神楽坂(かくらざか)駅で下車。地上に出ると、新潮文庫のキャラクター「Yonda?」のパンダちゃん(の看板)がお出迎え。直ぐそこに新潮社の社屋が見えた。以前、私も新潮文庫で北杜夫氏の作品を愛読したものである。ここ数年、新潮社は「ヘイトスピーチの牙城」に成り果てたのか、恥ずべき『週刊新潮』が執拗に「嫌中韓」を煽っている。『週刊文春』と共に、かくも品性下劣な悪徳雑誌が廃れないのは、差別的な憎悪表現を愉しむ「愛読者」が支持しているからだろう。

さて、聖バルナバ教会(日本聖公会)の沿革をおさらいしよう。「1875年以来、当教会は移転を繰り返して、名称も牛込(うしごめ)昇天教会から現在の聖バルナバ教会に変わった。その間、姉妹教会として目白聖公会を生んでいる。戦災で礼拝堂を焼失した後、現在の矢来町の土地を入手。およそ140年の間には多くの事があった。初代教会の発展に尽くした聖バルナバに倣い、どんな困難にあっても祈りながら前進し、力を合わせて行く覚悟である」(『東京教区90年のあゆみ』を要約)。

聖バルナバ教会に着いた。モダンな「門構え」であり、敷地内には日本聖公会の管区事務所もある(管区とは全国11教区の連合体)。教会の扉を開けると、オルガニストが演奏練習中だった。こぢんまりとした聖堂内にパイプオルガンの壮麗な調べが響き渡っている。時々、聖バルナバ教会ではこのオルガンによるコンサートが行われていると聞く(東京聖テモテ教会神田キリスト教会などもオルガン・コンサートを開催)。機会があれば、この豊かな音色が流れる聖餐式に参列したいと思う。


聖堂内観(1992年竣工)

◆主な参考文献など:
・「東京教区90年のあゆみ」 2013フェスティバル実行委員会編(日本聖公会東京教区・2013年)
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立教学院展示館

2014年06月04日 | 聖公会の教会
立教大学旧図書館旧館にオープンした立教学院展示館
(住所:東京都豊島区西池袋3-34-1)

「2014年5月9日、立教大学池袋キャンパスの旧図書館旧館(上写真)に立教学院展示館がオープンします。立教学院の歴史展示を通し、児童・生徒・学生の自校史教育の場として、また、校友・保護者・地域の方々をはじめ社会一般に、立教の歴史と伝統、教育と研究の取り組みを発信する場として設置されます。旧図書館の趣を残した2階に展示スペースを設け、タッチパネルディスプレー、写真や資料展示などを通して、立教の歴史を学ぶことができます」(『立教学院NEWS』から要約)。

このレンガ造りの旧図書館旧館はメーザー・ライブラリー記念館(注1)とも称し、1919年に建てられた歴史的な建造物で、池袋キャンパスのチャペルやモリス館(本館)とともに、立教を象徴する建物となっている。昨年の復活節第4主日の記事でも触れたが、この図書館旧館は私にとって懐かしい空間である。2階の閲覧室で、夕陽が差し込むまで読書に耽ったあの頃を思い出す(私の「指定席」は、たいてい、西側の窓辺付近だった)。その閲覧室が「立教学院展示館」として再生されたのである。

早速、私は立教学院展示館を訪ねた(入館無料!)。かつての閲覧室は、立教学院140年の歴史を語る貴重な資料が陳列されていた。特に注目すべきは、そこに創立者ウィリアムズ主教(注2)の遺品が含まれていることだろう。自分の足跡を残さないように努めたウィリアムズ主教は生前の日記や手紙などを破棄したが、ここでは直筆による雑記帳や会計簿、そして遺書(1879年7月31日付)などの第一級の資料を見ることができる。その几帳面な筆跡から「清貧に甘んじる聖者」の遺徳が偲ばれた。


創立者ウィリアムズ主教が使ったと伝えられるカバン
(立教学院展示館事務室の許可を得て撮影)


立教学院展示館の常設展スペース
(建物は1919年竣工の旧図書館旧館)

(注1):「メーザーライブラリー記念館は、米国聖公会の総会代議員として長年外国伝道を後援してきたサミュエル・リビングストン・メーザー氏を記念し、その子息であるサミュエル・メーザー氏からの寄付により建てられました。1919年5月落成」(立教学院展示館リーフレットより)。
(注2)Channing Moore Williams(1829-1910年)。米国聖公会宣教師、日本聖公会初代主教、立教学院創立者。日本伝道の間、人々は「キリスト教を目で見たければ、ウィリアムズ監督(主教)を見れば分かる」と評したという。米国ヴァージニア州リッチモンド近郊にあるウィリアムズ主教の追慕碑には、「道を伝えて己を伝えず」と記されている。現在、立教学院展示館ではウィリアムズ主教が使ったと伝えられるカバンやアルブ(祭服)、直筆の出席簿(築地時代)や雑記帳などを公開中。

<付記>
1910年、ウィリアムズ主教の逝去を悼む東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)のニコライ大主教の日記から。「ウィリアムズは日本におけるキリスト教伝道の最古参のパイオニアだった。かれとわたしは仲がよかった。自分のすべてをキリストに捧げた、聖なる人だった」(露暦1910年11月22日付)。1872年、函館から上京したニコライ大主教は、築地の外国人居留地でウィリアムズ主教と知り合った。

◆主な参考文献など:
・「立教学院NEWS Vol.15・16」 立教学院広報課編(立教学院・2014年)
・「チャニング・ムーア・ウィリアムズ」 矢崎健一著(聖公会出版・1988年)
・「ニコライ」 中村健之介著(ミネルヴァ書房・2013年)
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立教学院聖パウロ礼拝堂(日本聖公会)

2014年05月20日 | 聖公会の教会
日本聖公会 立教学院聖パウロ礼拝堂
(住所:埼玉県新座市北野1-2-25)

5月18日(日)、私は新座(にいざ)の立教学院聖パウロ礼拝堂(日本聖公会)で復活節第5主日の聖餐式に参列しようと考えた。この礼拝堂は立教新座中学校・高等学校、及び立教大学新座キャンパスのチャペルである。1960年、立教高等学校(現立教新座中学・高校)が池袋から新座に移転。1990年、この広い校地に立教大学の新座キャンパスが開設され、観光、コミュニティ福祉、現代心理の3学部が置かれている。経済学部生だった私は新座キャンパスの記憶がほとんどない。

JR武蔵野線の新座駅から西武バスに乗り、約10分ほどで立教前停留所に到着。新座キャンパスの正門を入ると、目の前にシドニー・オペラハウスのような白亜のチャペルがお出迎え。この特徴的な建物の設計はアントニン・レイモンド(注)で、内部の6つの大きなステンドグラスはレイモンド夫人のデザインによる。献堂から50年を経ても斬新さを失わず、かつ祈りの家の静謐が保たれている。そして、プロテスタント系高校出身の私は、遠い昔の「男子校チャペル」への郷愁を覚えてしまう。

さて、聖餐式の時間が近づいてきたので、チャペルの扉を開けようとすると、そこには何やら張り紙が。次の瞬間、私は目が点になってしまった。「本日停電のため主日礼拝休止」Oh my God!しかし、せっかく新座まで来たのだから、武蔵野屈指の禅刹である平林寺(へいりんじ)を訪ねることにした。そこで意気消沈する私を慰めたのが、約13万坪を誇る境内林の美しい新緑。さらに、拝観受付でいただいた栞(しおり)に記された言葉。「平常心是道(びょうじょうしんこれどう)」。合掌。


礼拝堂内観(1963年竣工)


臨済宗妙心寺派 平林寺 総門
(住所:埼玉県新座市野火止3-1-1)

(注):Antonin Raymond(1888-1976年)。教会建築の代表作にカトリック目黒教会聖堂カトリック豊島教会聖堂、日本聖公会・聖オルバン教会礼拝堂、日本聖公会・東京聖十字教会礼拝堂など。

<付記>
平林寺境内には、島原の乱を「平定」した江戸幕府の老中・松平信綱(1596-1662年)の墓、及び島原の乱戦没者供養塔がある。後者は島原の乱から約225年が経過した遠忌供養(1863年)の際に建立された。

◆主な参考文献など:
・「立教学院聖パウロ礼拝堂50周年記念誌」 50年誌編集委員会編(立教学院聖パウロ礼拝堂・2014年)
・「平林寺」 柳田敏司監修、藤井孝文著(金鳳山平林寺・2009年)
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神田キリスト教会(日本聖公会)

2014年04月19日 | 聖公会の教会
日本聖公会 神田キリスト教会
(住所:東京都千代田区外神田3-5-11)

4月16日(水)、神田キリスト教会(日本聖公会)で、ランチタイム・パイプオルガン・コンサートを聴いた。JR秋葉原駅で下車。すっかり「オタクの街」に変容したアキバだが、私のような元オーディオ少年にとっては、かつての「聖地」であった。ことに足繁く通ったのは、石丸電気のCD専門館(3号店)である。ここで貴重な掘り出し物を探していたのが懐かしい。しかし、オーディオの全盛期は過ぎ去り、石丸電気も昨年3月に閉店。今や美少女アニメが往時の電気街を席巻している。

神田キリスト教会の沿革をおさらいしよう。「1877年10月、米国聖公会から派遣されたクーパー宣教師、ブランシェー宣教師によって、ウィリアムズ監督(主教)臨席のもと献堂されました。その後、関東大震災、第二次世界大戦などの幾多の困難にもかかわらず、現在に至っています。1991年には、神田地域の人々に支えられて、現代にふさわしい素晴らしい聖堂が与えられ、1997年には、オランダのライル社製のパイプオルガンが設置されました」(神田キリスト教会案内書より)。

神田キリスト教会のランチタイム・パイプオルガン・コンサートは、毎月第3水曜日に行われている(入場無料)。この日の聴衆は約80名ほど、演奏は神田キリスト教会主任オルガニストの和田純子さん。プログラムに記されたプロフィールによれば、和田さんはウィーン国立音楽大学で学ばれ、海外でのコンクール入賞・入選もあるという。お昼休みの約30分間、バッハのスケールの大きなオルガン曲を堪能することができた。神に感謝しよう。この日は聖週間の復活前水曜日だった。


聖堂内観(1991年竣工)


聖と俗の交錯。秋葉原の街角で。

◆第200回「ランチタイム・パイプオルガン・コンサート」演奏曲目(全てJ・S・バッハ作曲):
トッカータ ニ短調(BWV.913)、天にまします我らの父よ(BWV.682)、前奏曲とフーガ ロ短調(BWV.544)。
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横浜聖アンデレ教会(日本聖公会)

2014年03月05日 | 聖公会の教会
日本聖公会 横浜聖アンデレ教会
(住所:横浜市神奈川区三ツ沢下町14-57)

3月2日(日)、横浜聖アンデレ教会(日本聖公会)で大斎節前主日の聖餐式に参列した。横浜市営地下鉄の三ツ沢下町(みつざわしもちょう)駅で下車。国道1号線沿いの小高い丘の上に、横浜聖アンデレ教会の天を衝くような尖塔が聳えていた。さすが横浜教区の主教座聖堂に相応しい佇まいであり、東京の聖アンデレ教会(東京教区主教座聖堂)よりも威風堂々としているかもしれない(?)。この横浜聖アンデレ教会の創立は1885年(発祥地は中区山下町)、来年は130周年を迎える。

午前10時30分、聖餐式の開始を告げる鐘が鳴り、司祭団が厳かに入堂。パイプオルガンの壮麗な調べが響き渡る。福音朗読は「主の変容」の場面(マタイ17・1-9)。三原一男司祭は「間もなく大斎節を迎えます。『霊的進歩に必要なものを与えてください』と祈りながら、大斎節の『霊的な時』を過ごしましょう。『大斎節を失う者は1年を失う』という言葉にある通りです」と話された。陪餐時、祭壇前に進み出ると、説教壇横の聖母子像に気がついた。私は幼子イエスからも祝福を授かった(!)。

退堂聖歌「栄光の王なる主」を歌う。この気高い調べの作曲者は、18世紀英国のオルガニストだったクロフト(William Croft:1678-1727年)。その作風はヘンデルのオラトリオに大きな影響を与えた。ところで、横浜聖アンデレ教会のパイプオルガンは横浜で一番古いという。1889年にアメリカで製造され、同国ロードアイランド州の教会にあったが、1985年に横浜聖アンデレ教会へ移設された。この19世紀米国のパイプオルガンで、18世紀英国の聖歌を歌う。横浜ならではの国際色豊かな礼拝だ。


大聖堂内観(1955年竣工)


2階から会衆席を見おろす

◆聖餐式で歌われた聖歌:
ミサ曲譜(キリエ、大栄光の歌、サンクトゥス、アニュス・デイ)、入堂聖歌:125「すべてを尽くして」、続唱聖歌:231「主イェスの導く 聖なる山に」、奉献聖歌:120「山のいただきで」、陪餐アンセム(聖歌隊奉唱):122「聖なる光よ」、陪餐聖歌:270「み糧を受けたる」、退堂聖歌:348「栄光の王なる主」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)

◆主な参考文献・CDなど:
・「聖歌のしらべ 古今聖歌集作曲者略解」 佐藤裕著(聖公会出版・1987年)
・CD「BEST HYMNS 100」 合唱:ケンブリッジ・キングス・カレッジ聖歌隊ほか(EMI:0 97563 2)
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