三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

立教学院聖パウロ礼拝堂(日本聖公会)

2014年05月20日 | 聖公会の教会
日本聖公会 立教学院聖パウロ礼拝堂
(住所:埼玉県新座市北野1-2-25)

5月18日(日)、私は新座(にいざ)の立教学院聖パウロ礼拝堂(日本聖公会)で復活節第5主日の聖餐式に参列しようと考えた。この礼拝堂は立教新座中学校・高等学校、及び立教大学新座キャンパスのチャペルである。1960年、立教高等学校(現立教新座中学・高校)が池袋から新座に移転。1990年、この広い校地に立教大学の新座キャンパスが開設され、観光、コミュニティ福祉、現代心理の3学部が置かれている。経済学部生だった私は新座キャンパスの記憶がほとんどない。

JR武蔵野線の新座駅から西武バスに乗り、約10分ほどで立教前停留所に到着。新座キャンパスの正門を入ると、目の前にシドニー・オペラハウスのような白亜のチャペルがお出迎え。この特徴的な建物の設計はアントニン・レイモンド(注)で、内部の6つの大きなステンドグラスはレイモンド夫人のデザインによる。献堂から50年を経ても斬新さを失わず、かつ祈りの家の静謐が保たれている。そして、プロテスタント系高校出身の私は、遠い昔の「男子校チャペル」への郷愁を覚えてしまう。

さて、聖餐式の時間が近づいてきたので、チャペルの扉を開けようとすると、そこには何やら張り紙が。次の瞬間、私は目が点になってしまった。「本日停電のため主日礼拝休止」Oh my God!しかし、せっかく新座まで来たのだから、武蔵野屈指の禅刹である平林寺(へいりんじ)を訪ねることにした。そこで意気消沈する私を慰めたのが、約13万坪を誇る境内林の美しい新緑。さらに、拝観受付でいただいた栞(しおり)に記された言葉。「平常心是道(びょうじょうしんこれどう)」。合掌。


礼拝堂内観(1963年竣工)


臨済宗妙心寺派 平林寺 総門
(住所:埼玉県新座市野火止3-1-1)

(注):Antonin Raymond(1888-1976年)。教会建築の代表作にカトリック目黒教会聖堂カトリック豊島教会聖堂、日本聖公会・聖オルバン教会礼拝堂、日本聖公会・東京聖十字教会礼拝堂など。

<付記>
平林寺境内には、島原の乱を「平定」した江戸幕府の老中・松平信綱(1596-1662年)の墓、及び島原の乱戦没者供養塔がある。後者は島原の乱から約225年が経過した遠忌供養(1863年)の際に建立された。

◆主な参考文献など:
・「立教学院聖パウロ礼拝堂50周年記念誌」 50年誌編集委員会編(立教学院聖パウロ礼拝堂・2014年)
・「平林寺」 柳田敏司監修、藤井孝文著(金鳳山平林寺・2009年)
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11 コメント

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初めまして (カビリア)
2014-05-21 18:21:08
エウティコさん、こんにちは。
私は関東地方在住のカトリック信者(幼児洗礼)です。

エウティコさんのブログには、今日初めてうかがいました。素敵なブログで感激しています。偶然の出会いに神さまに感謝いたします。

立教学院聖パウロ礼拝堂の美しさに息を呑みました。主日礼拝がお休みで残念でした・・・。でも、平林寺にお参りできて良かったですね。

また、ブログを拝見しにまいります。それでは失礼します。
はじめまして。 (エウティコ)
2014-05-22 12:16:38
カビリアさん、はじめまして。

主日礼拝休止は残念でしたが、いろいろなお恵みがありました。青空に映える立教学院聖パウロ礼拝堂。そして、野火止(のびどめ)用水のせせらぎを聞き、武蔵野の面影が残る雑木林の新緑を愛でながら、平林寺へ至る散歩道。本当に別世界のようでした。

立教学院聖パウロ礼拝堂にはこんなエピソードがあります。
「チャペルの側面にある6つの窓のステンドグラスはレイモンド夫人が設計して作りました。ほとんど左右対称に組まれていますが、一ヶ所だけ違うようにしています。完全な対称ですと悪魔が入り込むと言い伝えられているからです」(『立教学院聖パウロ礼拝堂50周年記念誌』より)。
今度、主日礼拝に参列する時に、その「一ヶ所」を確かめてみようと思います。
お返事ありがとうございます (カビリア)
2014-05-22 17:20:29
エウティコさん、お返事嬉しく拝見しました。

立教学院聖パウロ礼拝堂の「一ヶ所の秘密」、何だか小説になりそうなエピソードですね。貴重なお話をうかがい、私も立教学院聖パウロ礼拝堂を訪れてみたくなりました。本当にありがとうございます。

ところで、以前、日本基督教団の教会や日本福音ルーテル教会の礼拝を守ったことはあるのですが、日本聖公会のミサに、カトリック信者が与かることはできるのでしょうか。不勉強でお恥ずかしいですが、もしよろしければご教示下さいませ。
聖公会 (森の都)
2014-05-23 03:39:50
エウティコさん、もうコメントしちゃいけないなぁ、と思い遠慮していたのですが、ちょっとだけ。どうぞお許しください。

ときどきブログを拝見しています。最近、頻繁に聖公会に足を延ばされていらっしゃるようで、わたしもなるほどと、あなた様が今どこで、どのような心情で、キリスト教を眺めておられるのか、色々考えさせられました。寂しいですが、思うに宗教は心の古里たるべきもの、母校の聖公会のチャペルで心安らかになられるのであるのなら、神のみ前においては、それはわたくしにとってもとても喜ばしい事です。

日本のカトリック教会の現状、特に東京教区の、ご指摘の点、実は「よくお判り戴いているんだなぁ」と内心思っています。第2バチカン公会議以来徹底した典礼改革が実行され、その改革は現在も進行中です。

もう誰にも止められない、どうにもならないみたいです。

世界的な動きの中では聖公会も例外ではないですよね?
聖公会の教会改革は一番進んでいるのでは、と思う事もしばしばありますが、エウティコさんの紀行文を拝読すると、聖公会では非常に古い文化的遺産のようなものをきちんと取り入れているのだな、と感心しました。カトリックは今実は過渡期にあり、古いものは古いものできちんと大切にする作業が十分になされていない、もっとそのようにするべきなのだと気が付かされました。

聖公会という事でふと・・・・いつか、いつかでいいのですが、いつかジョン・ニューマンの本も読んでみて下さいますか。彼もカトリックと聖公会の世界遺産的な人で現代の教会とどれほど共通点があるのかわかりませんが。教養の高い彼の、生来の深いものの感じ方が、いかに彼を導いて行ったかなど、もしかしたらエウティコさんにとっても興味深いのではないかしらと思って。是非カトリックに、と言っているのではなく、お心のどこかにお留め下されば、それでわたしは満足なのだと思います。

さて、平林寺の事ですが、ご紹介くださって本当にありがとうございました。そして、何故明治元年のほんの数年前にその供養を改めて行ったのか非常に疑問に思いました。奇異に映るほどです。勿論正当な理由はネットで拝読いたしておりますが。どこを調べても、おそらく確証は得られないでしょうが、何か政治的な背景を思わせます。

ではお元気で、これからも「旅」をお続けになって、それをどしどし御紹介くださいね。
聖公会の主日礼拝 (エウティコ)
2014-05-23 09:43:37
カビリアさん、こんにちは。

日本聖公会の主日礼拝(聖餐式)は、どなたでも参列することができます。また、日本聖公会以外の教会で洗礼をお受けになった方は、ともに陪餐(聖体拝領)に与ることもできます(立教池袋チャペルなど)。

この陪餐につき、日本聖公会では「両形態(パンとぶどう酒の両方)による拝領」が一般的です。司祭がパンを信徒の口に直接入れたのち(口で受ける聖体拝領)、チャリス(カリス)に直接口をつけてぶどう酒を飲むという所作を守っている教会が少なくありません。さらに、「コミュニオンレール(聖体拝領台)」の前に横一列に並んで、跪きながら拝領する教会もあります。陪餐をご希望される場合は、予めこれらの点を教会の案内係の方などに確認されるとよいでしょう。

聖公会の主日礼拝(聖餐式)の流れは、カトリックのミサ式次第とよく似ていますから、大きく戸惑う場面は少ないと思います。ご参考までに、東京・聖アンデレ教会公式ホームページ内の「礼拝の進行について」をご覧ください(下記URL)。
(東京・聖アンデレ教会HPより「礼拝の進行について」:
http://www.st-andrew-tokyo.com/web/guide/worship-program.html
平林寺の「島原の乱供養塔」 (エウティコ)
2014-05-23 14:07:44
森の都さん、こんにちは。

私は僅か一年で中退してしまったので、とても「母校」とは言えません(恥)。ただ、立教という「接点」が無ければ、聖公会の礼拝に触れることはなかったでしょう。もちろん、チャペルに足を運ぶのは「個人的な郷愁」だけではありません。いずれにせよ、私は何か「不思議な計らい」を感じています。

平林寺の「島原の乱供養塔」が建立された1863年と言えば、カトリックのパリ外国宣教会プティジャン神父が長崎に着き、米国聖公会のウィリアムズ主教(1859年来日)も長崎に滞在中で、ロシア正教会のニコライ大主教は函館の領事館付司祭として来日2年目を迎え、横浜では米国長老教会(プロテスタント)のヘボン博士が英語塾(明治学院の前身)を開いていますね。さらに伝道活動を阻む血気盛んな「尊皇攘夷の志士」が跋扈(ばっこ)して、たしかに「幕末のややこしい時代」ではありました。

ジョン・ヘンリー・ニューマンをご紹介いただきまして、ありがとうございました。『説教集』などが出版されているようですね。機会があれば、四ツ谷の聖三木図書館で探してみたいと思います。
ありがとうございます! (カビリア)
2014-05-24 06:57:26
エウティコさん、おはようございます。

分かりやすく丁寧なお返事、本当にありがとうございました。感激です。日本聖公会では、ミサとは呼ばないのですね。失礼しました(汗)。主日礼拝(聖餐式)と陪餐(聖体拝領)という大切な言葉、しかと心に留めておきます。陪餐についての解説も大変勉強になりました。感謝申し上げます。

それにしても、ご紹介下さった、東京・聖アンデレ教会公式ホームページ内の「礼拝の進行について」の説明の詳しさといったら!素晴らしいです。カトリック教会も、見習わねば、としみじみ思いました。

以前、日本基督教団の教会に通っていたことがありました。初めてのことばかりでとまどう私に、信者さんたちがとても親切に対応して下さったことを今でもよく覚えています。カトリックの教会では体験できなかったことです。

ところで、こんな風に書くのはちょっと乱暴かもしれませんが、カトリックもプロテスタントも一緒だと思うのです。みんな、神さまのもとに集う「神の子供たち」である、という点において。・・・みんな違って、みんなおんなじ。そんな風に私は感じています。問わず語り、失礼いたしました。

またサイトにうかがいます。どうもありがとうございました!
懐かしい! (インドメタシン)
2014-05-25 02:12:36
2013-04-02にコメントさせて頂きました、にわかカトリック者です。
ご無沙汰いたしました。いつもブログ楽しく拝読しております。

立教学院聖パウロ礼拝堂、新婚時代に徒歩1分の所に住んでおりましたので、大変懐かしく読ませて頂きました。
せっかくこんなに素晴らしい礼拝堂が近くにあったのに、妙な遠慮から中に入る事がためらわれ、表から目にするだけだったのが残念です。
クリスマスシーズンになると正門前の木がそれは美しくライトアップされ、夜見に行くのが楽しみでした。

レーモンドの手になる礼拝堂だったのですね。
今は東京女子大の比較的近くに住んでおりまして、こちらも確かレーモンドの設計だったと記憶しております。
前を通る度にその美しい佇まいに気分が癒されます。

礼拝が中止でしたのは残念でしたが、平林寺を訪ねられた由、ようございました。
野火止の自然がたっぷりと残っていて、こちらも非常に心落ち着ける名刹ですね。
5月の新緑がエウティコさんを歓迎してくれたと拝察致します。

カトリックで受洗して1年が経ちましたが、日々お恵みを頂くばかりの生活を送っております。
私の場合は幼い頃からカトリックに色々なご縁があり、初めて神様の存在を強烈に意識してから苦楽様々な事がありましたが、はっきりと神様に呼ばれているという具体的な事象が多々あり、カトリック者となりました。
エキュメニカル運動も盛んに行われていますし、秘跡の認識を除いてはカトリックもプロテスタントも同じキリスト者として協力して行こうという気運が高まっております。
どちらにも良い面悪い面があるのは紛れもない事実ですし、ご納得の行かれるまでじっくりお考えになって、様々な体験をされて下さいね。
その軌跡をこちらのブログで拝読できます事、心から楽しみにしております。

これからもエウティコさんに神様のご加護と沢山のお恵みが注がれます様に。
長文乱文失礼致しました。
コメントありがとうございます。 (エウティコ)
2014-05-25 21:10:02
森の都さん、こんばんは。

あなたが5月23日(金)午後7時03分に投稿されたコメントは、あまりにも他教派の方々の信仰を貶めるような独善的表現が散見されましたので、本欄での公開を見合わせました。どうかカトリック信者として節度ある発言をされることを希望します。


カビリアさん、こんばんは。

「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ18・20)。この御言葉の意味を、私は正教会、聖公会、プロテスタント、そしてカトリックの各教会を巡って実感しました。十字を描きながら、深々とお辞儀する正教徒の子ども、跪いて懺悔する聖公会の高齢信徒、溌剌と讃美歌を歌うプロテスタントの婦人信徒、そしてロザリオを繰るカトリック信徒だった私の亡き祖父。たしかに、そこには「神さまのもとに集う『神の子供たち』」がいます。

私はプロテスタント系高校の出身ですが、自発的に日本基督教団の主日礼拝に参列したのは、埼玉県入間市の武蔵豊岡教会(下記URLご参照)が初めてでした。牧師先生をはじめ、信徒の方々がとても親切にしてくださったのを覚えています。どちらかと言えば、プロテスタントの方々は「教会家族」「兄弟姉妹」という絆が強く、また新来者(初めて教会に来た人)へのホスピタリティーも高いのではないか、というのが私の個人的な印象です。
(2012年6月22日付記事「武蔵豊岡教会(日本基督教団)」:
http://blog.goo.ne.jp/eutychus/e/eea7d8ccc9abb3d65986c54734de5daa


インドメタシンさん、こんばんは。

お祈り、ありがとうございます。そういえば、2013年の復活祭以来ですね。本当にご無沙汰しております。私は相変わらずフラフラしていますが、最近は「もう少し放浪生活を続けようかな」と思っています。

立教学院聖パウロ礼拝堂から徒歩1分の所にお住まいだったのですね。もしかすると、新座チャペルのベルタワー(鐘塔)の鐘の音もお聞きになっていたのでしょうか。あの聖鐘はロンドンのビッグ・ベンの鐘を製造した英国の老舗メーカーに発注したものだそうです。新座キャンパス正門に続く道を「鐘の音通り」と名付けるほど、地元では親しまれているようですね。そして、『50周年記念誌』で聖パウロ礼拝堂のクリスマスの写真を見ましたが、それはまさに「聖夜に輝く宝石」のようでした。

新座市は本当に「せせらぎと雑木林」に恵まれていますね。私は野火止を「のびどめ」と読んでいましたが、平林寺のパンフレットや新座市の観光マップなど、地元が「のびとめ」と発音していることは、今回初めて知りました。

ご指摘の通り、東京女子大学の校舎群・礼拝堂はアントニン・レイモンドの設計です。2011年、カトリック吉祥寺教会で年間第33主日のミサに与った後、私は東京女子大学を訪ねました(下記URLご参照)。ちょうど学園祭の開催中だったので、「女子大に侵入する怪しい男」と思われることなく、この時は威風堂々と入構することができました(?)。
(2011年11月17日付記事「年間第33主日のミサ<後編>」:
http://blog.goo.ne.jp/eutychus/e/2cb280e51f242e3ef40446f45326fb8e
鐘塔の事 (インドメタシン)
2014-05-27 01:07:17
早速のレスを頂戴いたしましてありがとうございます!
鐘塔の事、情報を頂きまして、重ねてお礼申し上げます。
ビッグベンと同じメーカーの手になるものだったのですね、全く存じませんでした。
礼拝堂はとても強く印象に残っているのですが、何故か鐘の音はあまり覚えていない…(汗)。
よほどぼーっと過ごしていたのだと思います、お恥ずかしい…。
でもこちらの記事を拝読して、いつかまた新座の礼拝堂を訪れてみたいと強く思いました。

先日、長崎巡礼というお恵みにあずかりました。
浦上天主堂の鐘は、原爆の瓦礫の中から奇跡的に発見され、今も一日に何回か美しい音を街中に響かせています。
心に沁み入る素晴らしい音でした。
東京ですと昨今の住宅事情から、教会の鐘の音が騒音と取られてしまう向きも多々ある様です。
私の知る限りですと、東京ではイグナチオ位でしょうか、決まった時間に鐘を鳴らしているのは。
街と教会が理想的な形で共存出来ている長崎には、やはり特別な歴史と伝統があるからなのでしょうね。
こちらも是非いつか再訪したいと思っています。

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