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三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

神現祭(主の洗礼祭)の聖体礼儀

2014年01月24日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

1月8日付『東京新聞』に「大人は選挙で子どもを守って」と訴える女子中学生の悲痛な声が寄せられた。「『秘密保護法』に不安を感じています。危険が迫っているのに、選挙を棄権する大人が多い。子どもには選挙権がありません。『あの時、選挙に行けば良かった』と思ってからでは遅いのです」。だが、この国のオトナはテレビにしがみつき、ただヘラヘラと笑っているだけ。私はこの女子中学生と同じ14歳のアンネ・フランクが悪政の「連帯責任」に触れた言葉(注1)を思い出す。

1月19日(日)、東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)で聖体礼儀に参祷した。この日は五旬祭後第30主日、そして12大祭の一つである神現祭(主の洗礼祭)だった。ユリウス暦(旧暦)に基づく正教会は今月7日に降誕祭を祝い、その12日後の19日が主の洗礼となる。しかも、この日の聖体礼儀の式順は聖大ワシリィ(注2)が編纂した「特別版」であった。午前10時、聖体礼儀の開始を告げる鐘と共に、ダニイル府主教と司祭が厳かに入堂。ア・カペラの聖歌が流れ、乳香の煙が漂う。

福音経の誦読は「主の洗礼」の場面(マタイ3・13-17)。中西裕一神父は「私たちは受洗時の誓いを守り抜く。神現祭はそれを思い起こす日です」と話された。聖体礼儀後、水を成聖(祝別)する大聖水式があった。ダニイル府主教は灌水棒のようなもので会衆に聖水を振りかけられ、私もその恩恵に浴した。聖水は持ち帰りができるので、信徒の皆さんはボトルなどを持参。この聖水を飲む者には聖神(聖霊)の恵みが与えられるという。来年のために私は一升瓶を用意しておこう(?)。


大聖水式への神品(聖職者)たちの行進
“ 直に水より上る時、天開け聖神鴿の如く其上に降る・・・ ”

(注1):「戦争の責任は、偉い人たちや、政治家、資本家だけにあるとは思いません。そうではなく、名もない一般の人たちにも責任があるのです。そうでなかったら、世界じゅうの人びとは、とっくに立ちあがって、革命を起こしていたでしょう!」(『アンネの日記』1944年5月3日付より)。結局、選挙を棄権したニッポンの無責任なオトナは安倍晋三の暴政に加担して、将来の世代に絶望(無理心中)を強要している。

(注2):聖大ワシリィ(カイサリアのバシレイオス)は4世紀の優れた神学者で、カイサリアの主教。殆どの主日・祭日の聖体礼儀は聖金口(せいきんこう)イオアン編纂に拠るが、年10回だけ聖大ワシリィの「特別版」が執行される(降誕祭前日、「聖枝祭」を除く大斎期間など)。聖金口イオアン式に比べて、祈祷やそれに伴う聖歌などが長い。ちなみに、この日の聖体礼儀(大聖水式を含む)は約3時間30分を要した。

◆主な参考文献など:
・「アンネの日記」 アンネ・フランク著、深町眞理子訳(文春文庫・1986年)
・「ギリシア正教入門」 高井寿雄著(教文館・1980年改版)
・「正教会の手引」 水口優明編著(日本ハリストス正教会教団・2013年改版)
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五旬祭後第20主日の聖体礼儀

2013年11月20日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

11月10日(日)、正教会の東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)で五旬祭後第20主日の聖体礼儀に参祷した。午前10時、聖体礼儀の開始を告げる鐘と共に、ダニイル府主教と司祭、そして在外ロシア正教会(米国)のキリール大主教が入堂。華やかなミトラ(宝冠)を戴く主教品がそろった光景は壮観だった。この日は在外ロシア正教会の代表団が持参した「クルスクの木の根の生神女イコン(注)も公開された。聖堂内は「霊験あらたかな」イコンを一目見ようとする人々で大混雑。

聖体礼儀はダニイル府主教の司祷(司式)で、在外ロシア正教会のキリール大主教が陪祷された。奇跡のイコンは聖所中央のアナロイ(イコンや祈祷書などを置く台)の上に安置されている(残念ながら、未信者は聖所に入ることができない)。参祷者は聖体礼儀中も増え続け、その熱気は在外ロシア正教会の公式サイト(英語版)が“an enormous gathering”と報じたほどだ。そもそも、イコンとは「絵画」ではなく、「地上と天国との間の窓であり、神の国を写す鏡のようなもの」なのである。

福音経の誦読は、悪霊に取りつかれたゲラサの人が癒される場面(ルカ8・26-39)。山口義人神父は「その人はお供を願ったが、ハリストス(キリスト)はゲラサで神の恵みを証しすることを命じられた。私たちもこれに倣い、神の恵みを証しつつ、力強く歩みましょう」と話された。聖体礼儀後、領聖した信徒には奇跡のイコンの「複製画」が贈られた。それは在外ロシア正教会のヒラリオン府主教が成聖(祝別)されたものという。残念ながら、未信者はこのお恵みに与ることができませんでした。


朝日に輝く東京復活大聖堂
(この日の聖体礼儀の所要時間は約190分)

(注):「1295年、生神女(聖母)誕生祭の日、タタール(モンゴル)の侵攻によって焼野原となったロシアのクルスク郊外の森で、木の根元に落ちている聖像(イコン)を猟師が発見。持ち上げた場所に泉が湧いた。タタール軍は聖像を二つに割ったが、再び一つに合わせると元通りになった。1917年のロシア革命時、安置していた聖堂が爆破されたが、聖像は無傷だった。その後、在外ロシア正教会とともに渡米してからも、聖像は癒しの奇蹟などが相次いだ」(日本正教会HPから要約)。

◆主な参考文献など:
・「ギリシア正教入門」 高井寿雄著(教文館・1980年改版)
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五旬祭後第19主日の聖体礼儀

2013年11月08日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

11月3日(日)、正教会の東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)で五旬祭後第19主日の聖体礼儀に参祷した。ところで、観光客が最も多く訪れる都内の教会といえば、おそらく「ニコライ堂」であろう。この日は「東京文化財保護ウィーク」で、ひっきりなしに人が来ていた。私も「参祷者」というよりは、「観光客」に過ぎないのかもしれないけれど・・・。午前10時、聖体礼儀の始まりを告げる鐘とともに、ダニイル府主教と司祭が厳かに入堂。ア・カペラの聖歌が流れ、乳香の煙が漂う。

福音経の誦読は、「金持ちとラザロ」の場面(ルカ16・19-31)。説教は中西裕一神父。「死後、正しい生き方をした人の霊魂は永遠の福楽に与りますが、罪人は永遠に苦しむ陰府(よみ)に落ちる。両者の境遇はかけ離れています。死後の痛悔は効果がないことを知った上で、日常生活における痛悔の機会を神の恵みと考えましょう。その痛悔の心について、聖イグナチイは『痛悔する者の心に生まれる謙遜の香りは悪魔を退ける』と言いました。神との和解を求める心が大切です」。

正教会の痛悔機密(「機密」とは「秘跡」のこと)は、カトリックの「ゆるしの秘跡(告解)」に相当する。これは「罪の告白を受けてその人を懲戒することが目的なのではなく、神の愛に満たされて、希望と勇気を抱き、生活や人生を善徳に向けて方向転換する(悔い改める)よう諭すことが、主眼となっています」(『オーソドックスとカトリック』より)。ニコライ堂では聖体礼儀が始まる前から、大聖堂の一角にあるセルギイ小聖堂で、痛悔を受ける多くの信徒が「聴罪司祭」の前に並んでいる(注)


大聖堂入口
“ 痛悔者をして全く其の罪悪を吐露し・・・ ”

(注):「痛悔者を前に、司祭はまず聖像を指し示して、痛悔の際、見えずして主キリスト自らその人間の前に在ることを思い念じさせ、痛悔のいかに厳粛なものであるかを自覚させる。その後、司祭は神より授かった使命権をもって祈祷しつつ、この罪を赦す。痛悔の後、聖像の前にひざまずき、司祭はその頭上に『エピタラヒリ』(太いストラのような帯)を掛け、罪を解く祝文を誦える」(『ギリシア正教入門』より)。ちなみに、告解室のようなものはないので、外部から痛悔機密の執行がうかがえる。

◆主な参考文献など:
・「オーソドックスとカトリック」 及川信著(サンパウロ・2011年)
・「ギリシア正教入門」 高井寿雄著(教文館・1980年改版)
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生神女庇護祭の聖体礼儀

2013年10月19日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

10月14日(月)、正教会の東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)で生神女(しょうしんじょ)庇護祭の聖体礼儀に参祷した。「生神女庇護」は、「マリヤさまの『とりなしの祈り(転達)』が今もなされていることを伝えます。その転達の力は偉大です。マリヤさまは、私たちの最高の模範として、神を信じ、神の言葉を受け入れ、愛に生き、人のために祈り続けておられるのです」(『生神女マリヤさま』より)。就寝祭、及び誕生祭に続き、私にとっては3回目の生神女を祝う祭となる。

午前7時45分、私がいつものように大聖堂入口で蝋燭献金(100円から)を済ませると、聖堂奉仕会の方から「今、輔祭(助祭)さんが炉儀(香炉で聖堂内を清めること)を行っていますので、しばらくお待ちください」と言われた。奉事予定表では午前8時からとなっていたが、どうやら第一部の奉献礼儀が既に始まっていたらしい。この日の司祷(司式)は仙台のセラフィム大主教だった。参祷者は約30人ほどで、その半数以上がスカーフを被ったロシア系の女性とその子供たち。

「君や祝讃せよ」。午前8時5分頃、輔祭の高誦と共に、第二部の啓蒙者の聖体礼儀が始まった。聖堂内の4本の大きな柱に掲げられたイコンが燈明に照らされ、幻想的に浮かび上がっている。その中でも、南端のイコンは私のお気に入りで、勝手に「赤衣の生神女」と名付けていた。ところが、それはマリヤ様ではなく、西暦140年に致命(殉教)した「ロマの聖致命女パラスケワ(St.Paraskevi)」であった。毎回、「転達」を願っていた私に、聖パラスケワも困惑したに違いない。


大聖堂の外壁を飾る生神女庇護の聖像画
(マリヤが両手を広げてベールを持っている)

<付記:「生神女庇護」の伝承>
「西暦911年10月1日、コンスタンティノポリの教会で晩課が行なわれている最中に、突如、生神女マリヤが教会内の群衆の上に現れました。生神女のベールは横に長く伸びていました。それを見ていた佯狂者(ようきょうしゃ)聖アンドレイは、弟子エピファニイに言いました。『ご覧、分かるかね、女王が全世界のために祈っているのが』。エピファニイは答えました。『はい、私はこれを見て畏れつつ立っています』。この二人は通常イコンの右下に描かれます」(『東京復活大聖堂のイコン』より)。

◆主な参考文献など:
・「ギリシア正教入門」 高井寿雄著(教文館・1980年改版)
・「生神女マリヤさま」 (日本ハリストス正教会教団 全国宣教委員会・2012年)
・「東京復活大聖堂のイコン」 (東京復活大聖堂教会・2009年)
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五旬祭後第14主日の聖体礼儀

2013年10月03日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

9月29日(日)、正教会の東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)で五旬祭後第14主日の聖体礼儀に参祷した。この日、聖堂内ではロシア系と思われる男の子が堂役(侍者)を務めていた。府主教座下のジェーズル(権杖)を捧持したり、プロスフォラ(聖パン)を運ぶ姿が健気(けなげ)でカワイイ。参祷者には外国人の子どもたち(ロシア系?)も少なくないのだが、彼らが長時間の聖体礼儀中でもおとなしくしている姿には感心してしまう。家庭における「信仰教育」の賜物だろう。

午前10時、聖体礼儀の始まりを告げる鐘と共に、ダニイル府主教と司祭が厳かに入堂。ア・カペラの聖歌が響き渡る。説教を除き、聖体礼儀は歌によって進行すると言ってもよい。福音朗読は「婚宴」のたとえ話(マタイ22・1-14)。市村直巳神父は、「イイスス(イエス)は『招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない』と言われた。婚宴の礼服は洗礼着であり、ハリストス(キリスト)を着るとは、御言葉に従って生きること。礼服を着ない人は神の国から退けられたのです」と話された。

先週の9月27日(金)、正教会では12大祭の一つである十字架挙栄祭(カトリックの「十字架称賛の祝日」に相当)を祝ったが、この日は十字架挙栄祭後の主日ということで、領聖(聖体拝領)の直後に十字架叩拝(こうはい)が行われた。聖歌「主宰や、我等爾の十字架に伏拝し・・・」が歌われている間、信徒は伏拝(土下座のような姿勢)を3回繰り返した。その後、聖所中央に安置された十字架に群れをなして土下座。それは壮観だった。この日の聖体礼儀の所要時間は約165分。


大聖堂入口、聖書を持つハリストスの聖像画
“ 太初に言有り、言は神と共に有り(ヨハネ1・1) ”

◆主な参考文献など:
・「ギリシア正教入門」 高井寿雄著(教文館・1980年改版)
・「ギリシャ正教」 高橋保行著(講談社学術文庫・1980年)
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