しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 Ⅰサムエル1章 <ハンナの信仰>

2020-03-24 | Ⅰサムエル記

つばき

「その子が乳離れしたとき、彼女は子牛三頭、小麦粉一エパ、ぶどう酒の皮袋一つを携えてその子を伴って上り、シロにある主の家に連れて行った。その子はまだ幼かった。」(Ⅰサムエル1:24新改訳)

乳離れする年といえば一、二才である。ハンナにとり、サムエルはどんなにかわいい男の子だったろう。何しろ、待ちに待って生まれた息子だったのだ。▼だが彼女は頑是(がんぜ)ない、よちよち歩きのわが子を主にささげ、神殿に残して家に帰ったのであった。サムエルは母を追いかけて泣いたかもしれない。子を持ち、孫を持つ親として、私はそれを想像する。そして胸がいっぱいになる。▼ああ、父なる神はかけがえのない唯ひとりの愛子を罪の世にお遣わしになった。そして御子も自ら進んで父の御心に従い、世に降られた。ご自身を十字架にささげるため・・・。「主は御父のもとを離れ、わびしき世に住みたまえり。かくもわがために栄えを捨つ」(新聖歌102)とF・ハバ―ガルが歌ったとおりだ。崇高な神の栄光は、御子と御子に従う者たちの献身により、天地宇宙間にかがやき渡る。▼ここで心に留めなければならないのは、一人の女性が神の前になした誓いと献身は決して一人にとどまらないということである。妻二人の確執は不利な立場に立たされたハンナの苦しみとなり、それが主に向かう祈りと嘆願に昇華し、サムエルの誕生となった。神の臨在は彼をおおい、堕落しきった神殿礼拝をはじめ、危機的状態にあったイスラエルに希望を与える預言者の出現となっていった。それが国の立て直しにつながり、やがてダビデの油注ぎ、イスラエル王国の設立となってイエス・キリストによる福音に及んだ。壮大な神のご計画というパノラマ、永遠の御国への待望、その転機が一女性涙の祈祷にあるという不思議。▼私たちが歩む信仰生活の一歩一歩、それらは小さな砂粒よりもさらに小さいかもしれない。だがそこにある種々の葛藤、苦しみと悲しみ、ささげられる祈りは「ハンナの祈り」かもしれない。私たちは毎朝毎夕、聖書を前にし、祈りの座に着く時、その場所とその時が永遠の御国へとつながっていることを確信させていただこう。水晶のように透き通って流れるいのちの河、御子と御父の間から湧き出て河となっている岸に立った時、あなたはその流れに自分の涙があるのを発見して驚くかもしれない。それはかつてあなたが地の上で流したものだ。両岸にあるいのちの木々はその水によって生い茂り、諸国の民を生かす実を結んでいるのである。