「この使いについて、私から去らせてくださるようにと、私は三度、主に願いました。」(Ⅱコリント12:8新改訳)
パウロはどのようなキリスト者も行ったことのないパラダイスに連れて行かれ、今まで経験したことのない天の世界を見せられた。▼彼の経験からすれば、私たち一般のキリスト者は広大無辺(こうだいむへん)の霊界を知るべきほども知らないことがわかる。おそらく宣教の過程(かてい)で、あまりにもきびしい状況下に置かれたパウロをなぐさめ励(はげ)ますために、神はそのような体験をお与えになったのであろう。▼そんな彼が高ぶり、自己の体験を誇(ほこ)らないようにと、神は一つの病気をパウロに与えた。これもまた、なんと深い神のご配慮(はいりょ)であろう。そして、人間の弱さはいかに想像できないほど大きなものなのか。あまりにもつらいので、彼は何度も(三度というのは何回もという意味にちがいない)癒(いや)して下さいと主に祈ったが、主は拒否(きょひ)された。それは彼に対する愛と恵みのゆえであった。▼私たちも病気や不幸に会ったからといって、主に不平を言ったり、こぼしたりしてはならない。そこには理解をはるかに超えた主のご愛と計画があると信じ、かえって感謝すべきである。「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになる。」(ヨハネ13:7同)