しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 <朝にあなたの恵みを>

2022-03-02 | 詩篇

「朝にあなたの恵みを聞かせてください。私はあなたに信頼していますから。行くべき道を知らせてください。私のたましいはあなたを仰いでいますから。」(詩篇143:8新改訳)

ダビデはサウルに追われ、二〇代の大部分を荒野で過ごしたのではないかと思われる。人生でいちばん辛く苦しい時期だったといえよう。▼ところが不思議なことに、彼の信仰と霊性がもっとも輝いたのは荒野時代だったのである。それが現れているのが詩篇だといってよい。サムエル記にはあまり出て来ないが、軍団の長というだけでなく、祈りの人として朝に夜に、絶えず祈り続けたと思われる。巨人ゴリアテを一石で倒した勇士であったが、ひとり、神の前に出ては哀願し、泣き、自分の弱さと苦しみをありのまま言いあらわし、主の恵みによりすがったダビデ。▼これはまさに、涙の人として生涯をお送りになった主イエスのひな型であった。そしてそこにキリストの御生涯、十字架、信頼する者から裏切られた悲しみ、さらに復活の預言と輝く御国の栄光が描き出されたのである。

思えば不思議ではないだろうか。信仰者がいちばん苦しく、つらい生涯を送っているとき、反対に、そこに主なる神の愛といつくしみの栄光が輝くとは。▼創世記からヨハネ黙示録まで聖書66巻のうち、罪と苦しみが記されていないのはわずか4章だけといわれる。つまり、創世記1,2章と黙示録21,22章だけなのだ。あとは園を追われ、神との交わりを失った人類の詛われたありさま、悲しみと流浪と争いと罪深さの記録にほかならない。これが聖書の描く人間歴史の暗黒である。▼が、その暗黒の最中に救い主の受肉降誕があり、十字架と復活、教会の誕生と形成、聖典の成立、イスラエルの民の信仰とそこに現れた神のみわざの数々がある。逆の言い方だが、人間に反逆と堕落の歴史がなければ十字架も死も復活もなかったことになる。神はまさに、闇の世界を御自身の栄光が燦然と輝く舞台へと変え、ご自身の英知と無限の栄光の富をお現わしになった。ダビデの生涯もまたそのようであり、御子イエスの御生涯もそうであった。私たちキリスト者の地上生涯も同じである。苦しみと涙の中で、キリストのはなよめは完成されて行く、と言う事ではないかと思う。それが創造主にさわしい御手の進め方なのだ。「多くの子たちを栄光に導くために、彼らの救いの創始者を多くの苦しみを通して完全な者とされたのは、万物存在の目的であり、また原因でもある神に、ふさわしいことであったのです。」(ヘブル2:10同)