しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の露 <あなたは私の道を>

2022-03-01 | 詩篇

「私の霊が私のうちで衰え果てたときにも あなたは私の道をよく知っておられます。私が歩くその道に彼らは罠を仕掛けています。」(詩篇142:3新改訳)

私たちキリスト者が神に愛される存在であることに寸毫(すんごう)も疑いの余地はない。だがそれは、地上の歩みのすべてが順風満帆(じゅんぷうばんぱん)ということを意味しない。それどころか、事態は予想もしないところに発展し、途方に暮れることが何度もある。▼本篇の表題が「ダビデが洞窟にいたときに。祈り」とあるように、彼は予期しない時にサウルに追いつめられ、絶体絶命の事態に立たされてしまった。神に油注がれた王でさえ、立ち上がる力も失せ、信仰も勇気も完全になくなってしまったのである。最後に残された唯一の道、それは天の神に向かい、叫び、あわれみを乞い、心の苦しみを言いあらわすことだった。おお、しかしダビデの子孫イエス・キリストもまた涙を流し、叫びながら御父に嘆願されたお方であられた。人の子イエスの三十数年に及ぶ御生涯、その隠された時間のほとんどは涙の祈りで埋まっていた。▼私たちの生涯に悲しみと悩み、霊が衰え果てるときがあるとすれば、それはキリストの十字架に近づき、その御苦しみをつぶさに眺めることにより、神の愛といのちにあずかるためだ、ということを知りたい。

「水のように 私は注ぎだされ 骨はみな外れました。心は ろうのように 私のうちで溶けました。私の力は 土器のかけらのように乾ききり 舌は上あごに貼り付いています。死のちりの上に あなたは私を置かれます。犬どもが私を取り囲み 悪者どもの群れが私を取り巻いて 私の手足にかみついたからです。私は 自分の骨をみな数えることができます。彼らは目を凝らし 私を見ています。彼らは私の衣服を分け合い 私の衣をくじ引きにします。主よ あなたは離れないでください。私の力よ 早く助けに来てください。救い出してください。私のたましいを剣から。私のただ一つのものを犬の手から。救ってください。獅子の口から。野牛の角から。」(詩篇22:14~21同)