しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 <主の復讐の日>

2023-01-03 | エレミヤ書
「バビロンの中から逃げ、それぞれ自分自身を救え。バビロンの咎のために絶ち滅ぼされるな。これは、主の復讐の時、主がこれに報いをなさるからだ。」(エレミヤ51:6新改訳)
エレミヤ書51,52章は当時最大の都バビロンが滅びるありさまを詳細に預言しており、その描写に110節が費やされている。そして、預言通りエルサレム崩壊後70年にしてバビロンは滅びたが、エレミヤはここにそれをみごとな筆致で記した。▼興味深いことに、黙示録17,18章にも大バビロンという巨大都市の壊滅が記されており、両者の関係をどう見るかが問われてくる。私としてはエレミヤ時代のバビロンは終末に出現する大バビロンの予型ととらえてよいと思う。その視点から見れば、この二つを比較することによっていろいろなことがわかってくるであろう。▼まず第一に、両者とも世界最大の物質的繁栄を享受し、それを自慢していること、すなわち富と財宝が神の座を占めていることだ。またその結果、神に逆らう偶像礼拝を導入していることである。エレミヤはバビロンについて、「そこは刻んだ像の地で、偶像に狂っているからだ」(50:38同)と述べているし、黙示録の大バビロンは666という未曽有の偶像、つまり反キリストの上に座している。第二に、エレミヤ時代のバビロンは神の都エルサレムを踏みにじり、神の宮であるエルサレム神殿を焼き払い、神の民であるユダヤ人たちに迫害を加えたが、大バビロンという淫婦はキリスト者に迫害を加え、「聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っている」(黙示録17:6同)と記されるほどに残虐な行為に走るのである。▼ほかにも多くの類似点があるが、両者とも神に打たれ、あっというまに倒され、滅びていくというのが最大の特徴といえよう。その結果、エレミヤ時代のバビロンが滅ぼされたあと、聖地に帰還した選民により、神殿が再建されたのである。また黙示録では大バビロンが滅ぼされたあと、神の都・新エルサレムが現れる。こうしてみてくると、多くの類似点があってとても興味深い。そこで私たちキリスト者はこの世的な繁栄と物質的欲望のどれいにならないよう極力注意し、来るべき新しい世界にこひつじの血潮によって入れるよう、きよい信仰生涯を最後までつらぬくように努めるべきなのである。