しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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聖日の朝に 悪魔の誘惑

2023-11-05 | みことば静想
「あなたの神である主を試みてはならない」とも書いてある。(マタ4:7新改訳)

マタイ4章には、悪魔がしつこい誘惑をもってイエスを攻撃してきたことが記されている。それは次の三つであった。①もし神の子なら、全能なのだから、石をパンにしてみなさい。②もし神の子なら、神殿の高塔から飛び降りて見せよ、詩篇には御使いがあなたを支えるであろう、と書いてある。③もし礼拝を私(悪魔)にささげるなら、全世界の富をすべて差し上げます。▼さて、ここでむずかしいのは②ではないだろうか。なぜなら、主が三回とも「・・・と書いてある」と、聖書のみことばをもって答えているが、悪魔もまた「・・・と書いてある」からと聖書をもって誘惑してきたからである。私個人は、悪魔が聖句を自由に使って、主を誘惑した事実におどろかされる。というのは、みことばに勝る対抗手段はないのに、悪魔もみことばを使うとなると、私たちはなにをもって撃退したらよいのか、という問題が出て来るからだ。▼しかし主はこのときも「あなたの神である主を試みてはならない」と、聖書をもって答えて悪魔を退けられた。ということは、聖書のみことばを「邪悪な心で用いる」ことを主は明確に見抜いて断固拒否された、ということであろう。この鍵はマタイ4章1節、「それからイエスは、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれた」にある。衰弱しきったおからだを持っていたにちがいない御子は、しかし御霊の統御下にご自分を置かれ、そこから一歩もお出にならなかったのである。▼事情は私たちもおなじではなかろうか。いつも謙遜な心で御霊とともに歩み、天父の御心は何かを明らかに示されていれば、誘惑者が聖書を使って迫って来ても明瞭に識別し、退けることができるにちがいない。そこにほんとうの「勝利の生活」があると思う。